ミュージカルの作り手となるアーティストやクリエイターたちはこれまで、どのような転機を迎えてきたのか。このコラムでは、その秘められた素顔をのぞくべく、彼らの軌跡を舞台になぞらえて幕ごとに紹介する。第6回は、歌やダンスの確かな腕前はもちろん、どんな作品、役柄にもスッとなじむ演技力で輝く
18歳でデビューして以来、村井は舞台やテレビドラマ、映画など多彩なジャンルで走り続けている。次回作は、2020年公演に続けての出演となるDaiwa House presentsミュージカル「生きる」。開幕を前に、初主演作の思い出や印象に残っている出演舞台のこと、また35歳を迎えて「魅力的な“おじちゃん”になりたい」と話す、現在の心境を聞いた。
取材・
第1幕、悪役のカワウソだった小6の村井少年
──子供時代の村井さんは、お芝居やパフォーマンスとの接点はありましたか?
はい。原体験としてよく覚えているのは、小学6年生のときの学芸会です。動物たちが主人公のお話をやって、僕は変なカワウソの役でした。そのカワウソは悪役で、観に来ている保護者たちをいじったり、笑わせたりするキャラクター。それが面白かったのがすごく印象に残っていますね。みんなで劇をやって、いつもの自分とは違うキャラクターを演じているというのも楽しかったです。その後、高校ではダンス部に入りました。当時からステージ上でパフォーマンスするドキドキ感がすごく好きでしたね。
──過去のインタビューによると、俳優になった直接のきっかけは高校生のとき、放課後に校門を出ようとしてふと思いつき、帰り道でオーディション雑誌を買ったことだったそうですね。デビューまでの経緯と、俳優デビュー作となった2006年の舞台「赤毛のアン」の思い出を教えてください。
雑誌を買ってからは、そこに載っていた事務所に履歴書を送り、面接を受けて。合格をいただいた事務所にお世話になって、少し経った頃に舞台「赤毛のアン」でデビューしました。初舞台はわけがわからないままやっていましたね。当時の僕は18歳でまだまだ子供。学生気分も抜けなかったので、出番直前まで袖で共演者としゃべっていて、スタッフさんに「あんたたち、うるさいわよ!」と怒られていました。謝りながら、「そうか、しゃべっちゃいけないんだ」と思ったことを覚えています(笑)。
──18歳らしいエピソードですね!(笑) デビュー後は、テレビドラマ / 舞台「風魔の小次郎」、「ミュージカル『テニスの王子様』」シリーズ、特撮ドラマ「仮面ライダーディケイド」など、注目タイトルへの出演が続きます。初期のキャリアの中で、特に印象に残っているお仕事は何ですか?
「風魔の小次郎」のことはよく覚えています。俳優を始めた当初はバイトと掛け持ちでした。バイクの免許を持っているので、お寿司を配達していたんです。あの頃の僕にとってお芝居はもう1つのバイトのような感覚でしたが、テレビドラマ「風魔の小次郎」で初めて主役をいただきました。緊張感や責任感ももちろんあったけど、撮影はとにかく楽しかった! 夏合宿みたいだったし、座組の男性陣では僕が最年少だったので、先輩たちがとても親切にしてくれました。クランクアップの日、撮影を終えたらみんなが僕のことを待ってくれていて、「おめでとう!」って胴上げしてくれたんです。あのとき「すごいな。こんなに楽しいことはないな」と感じたし、そこで「俳優を一生の仕事にしたい」と思いましたね。やはり振り返っても、「風魔の小次郎」は僕の俳優としての第一歩。あのとき出会った方々とは今でも交流がありますし、良い思い出です。
──初期から舞台、テレビドラマ、映画など幅広く活動されてきました。特に舞台が軸足になったきっかけはあったのですか?
気付いたら舞台のお仕事が多かったという感じで、特に意識はしていませんでした。僕としては、お仕事の中に境界線を引いているわけではありません。舞台でも映像作品でも、それこそセリフ劇でもミュージカルでも、結局はお芝居の1つだと思っているので、毛色が違うだけで根本は一緒という感覚です。
──また村井さんといえば、映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」シリーズの大ファンとしても知られています。例えば「マイケル・J・フォックスのようになりたい!」というように、俳優としてこのシリーズから影響を受けているのでしょうか?
「バック・トゥ・ザ・フューチャー」は、子供の頃からずっと観ていました。初めは親と一緒だったけど、最終的には家族の中で一番僕がハマって(笑)。朝起きてから、1人でずっとビデオを観ていることもありましたね。大人になってから観てもすごい作品ですし、「この映画がないと自分じゃないな」と思うくらい刷り込まれています。でもシンプルに映画として好きという感じなので、「ああなりたい」とかはあまり考えたことがなかったな。ただ俳優を続けていると、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のマイケル・J・フォックスやクリストファー・ロイドのように、「ハマり役で大ヒットした」という経験を人生で一度はしたいなと思いますね。「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のような傑作にはどんな俳優もなかなか出会えないかもしれませんが、出演作があれほど愛されるというのは俳優の夢だと思います。
第2幕、ただひと言の“Beautiful”…「RENT」で開かれた心の扉
──村井さんはデビュー直後からコンスタントにさまざまな舞台に出演し、「舞台『弱虫ペダル』」(以下ペダステ)シリーズでは2012年2月から2015年3月まで約3年にわたり主人公の小野田坂道役を務めました。
シリーズ化されている2.5次元作品では続編が次々に出てくるので、多少のキャスト変更はつきものですが、僕はできるだけ続けて坂道を演じたかった。例えばマンガ「弱虫ペダル」では3日間にわたって描かれるインターハイの様子を、ペダステではインターハイの1日目、2日目、3日目をそれぞれ独立した作品として上演していました。もし僕がお客さんだったら、3日間のインターハイの途中で主人公役が変わったらすごく寂しいと思ったんです。僕自身も作品愛がありましたし、「インターハイ3日目までは絶対に出たい」と思っていました。
──ペダステはハードな舞台として有名ですが、印象に残っていることはありますか?
大道具の台が壊れたり、マイクが壊れてしまったりと、トラブルが起きたときにみんなでフォローし合ったことをよく覚えています。やっぱり山あり谷ありだったときのことが印象に残りますね(笑)。みんなで一生懸命トラブルに対応した、そのチーム感が舞台ならではでした。ペダステは体力的にとてもハードで今の自分にはもうできないと思いますが、キャストが大変だとお客さんは観ていて楽しかったりしますよね。舞台と客席で何らかの相乗効果が生まれているのかも。ペダステは自転車レースをハンドルだけ持って足踏みで表現するので、大きなうそをついている舞台です(笑)。でも不思議と本当の自転車レースに見えてくるから面白いですよね。
──その後はミュージカル「RENT」の2015年、2017年公演でマーク役を務めます。本作は村井さんにとって初のグランドミュージカル、初の翻訳ミュージカルでした。実は出演前には「本格的なミュージカルは自分にとって畑違い」だと思っていたそうですね。出演前後でその印象に変化はありましたか?
「RENT」はもちろんミュージカルですが、ほかの作品とはまったく違う作り方をしている特殊な舞台でもあります。僕はミュージカルに対して華やかに歌って踊るイメージを持っていたけど、「RENT」ではカンパニーのみんなのハート、“心を作る”ための時間がとても長く取られていました。“本物の心”を音楽に乗せていく作業を通して感じたのは、「やっぱりお芝居をやるためには気持ちが大切なんだ」ということ。だから「形は少し違っても、これも1つのお芝居だな」と安心できましたし、「RENT」が“唯一無二のミュージカル”である理由を感じることができました。
──“心を作る”稽古ではどんなことをしましたか?
あるとき、「RENT」日本版リステージのアンディ・セニョールJr.に「皆さん、顔が見えるように輪になってください。今日は『Seasons of Love』を歌う前に、皆さんが大切な人を失った経験を教えてもらいたいと思います。恋人でも家族でも友達でもいいので、失った人の顔を思い浮かべながら話してください」と言われたんです。キャストは順番に話し始めたんですが、みんな嗚咽していて。誰しも、失った人の大切さとか喪失のつらさ、悔しさはそう簡単に思い出したくないし、あまり人に触れられたくない個人的な体験ですよね。だけど「RENT」の稽古場では、それをオープンするところから始まるんです。
「こういうことがありました」と話し終えたら、隣の人の手をぎゅっと握る。そうしたら今度は隣の人が体験を打ち明けます。誰かが話しているバックでは、「Seasons of Love」の「チャーン、チャーン、チャーッチャッチャーン」という伴奏がずっと流れているから、みんなそれでまた泣いちゃう。非常に心が刺激されて、あまり開けたことのない“扉”が開かれる稽古でした。全員が話し終えると「Seasons of Love」の前奏が始まって、そこで初めて歌うんですけど、みんな泣いているから声は出ないしピッチもめちゃくちゃ。全然歌えない人もいます。でも上手、下手ではなく、本当に綺麗な「Seasons of Love」でした。あの場で聴いた人しか体感できない、“人類賛歌”というんでしょうか。出し物でも何でもなく、ただその時間と空間を分かち合ったみんなの1曲でした。アンディは僕らの歌を聴いてただひと言、「Beautiful」と言いました。彼に「これが一番美しい。人としての綺麗な瞬間なんだよ」と言われて、僕も本当にそうだなと思った。ほかの作品でこういう稽古はしたことがないですし、本当に「RENT」は唯一無二だなと感じました。
──すごい体験をなさったのですね……。
「RENT」は海外からのクリエイティブスタッフと一緒に作り上げましたが、彼らは日本語がわからないからこそ、言葉にだまされることがない。「今の演技はなんか違う」「観客の胸に響かない」とすぐに気付くんです。それはすごく面白かったですし、やっぱり日本語でやろうと英語でやろうと、心があれば観る人に届くんだなと思いました。
──村井さんが演じたマークは、物語の語り手のような立ち位置で、仲間にビデオカメラを向けながら、傍観者としての疎外感を抱えている人物です。難しい役どころだと思いますが、どんなことを意識して演じましたか?
僕はカンパニーの皆さんと打ち解けるのは意外と早いほうですが、たまに1人ぼっちだと感じることがある。何かに深くのめり込んだり没頭したりすることは少なくて、何事も俯瞰で見る癖もあります。きっと僕自身もマークのような人なんです。常にどこかが冷静という性格なのかもしれません。たまにとんでもないドジをして、すっごく落ち込んでいることもあるんですけどね!(笑)
第3幕、“生きる”から“生き抜いていく”物語へ!魅力的なおじちゃんを目指して
──「RENT」以降はお仕事の幅がさらに広がった印象です。近年の出演作で特にご自身にとって大きかった作品は何ですか?
今年出演した、こまつ座さんの「きらめく星座」です。井上ひさし先生の作品はものすごくセリフが多くて覚えるだけでも大変でしたが、経験できて良かった。「デスノート THE MUSICAL」でもご一緒した演出の栗山民也さんと、また舞台を作れたのもうれしかったですね。栗山さんは僕とは全然違う世界観をお持ちで、演出を受けるのが楽しいです。それに栗山さんの舞台に出ると、言葉の重みや日本語で演劇をやることの面白さを痛感します。「きらめく星座」で得たものは大きかったですね。それに「きらめく星座」は、太平洋戦争の前年からの1年間を描いた作品。今、現実でも時代が戦争に引き寄せられている気がしていますが、この舞台をやっていてそれをさらに強く感じましたし、「世界情勢はこれからどうなるんだろう?」と思いつつ、戦争と平和のことを考えながら演じました。
最近は戦争を扱う物語や、さまざまなマイノリティの問題を扱う作品も増えた印象があります。ディズニー作品にも“どメジャー”なテーマの映画より、マイノリティを押し出した映画が増えましたよね。今まで日が当たらなかった人たちを救済する、“誰1人取り残さない”ことを目指す流れができてきたのはすごく良いことだと感じています。
──次回作は、ミュージカル「生きる」です。同作への出演は2回目ですね。どのような思いで稽古に取り組まれていますか?
稽古中、演出の宮本亞門さんが「人生はクローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇だ」というチャップリンの言葉を教えてくれて、「悲劇を悲劇として見せず、喜劇として作ったほうが観客の心によりしみる」とおっしゃったことが印象に残っています。悲しい話を悲しく作っても伝わらないというのは自分でも感じていたことですし、お客さんを楽しませるエンタメという意味で、バランスを大切にお芝居がしたいなと。若い頃はそういう風に考えられませんでしたし、大人になったからこそわかることだなと感じます。自分がその作品や役柄をやる意味を考えつつ、固定観念を持たずにいろいろな価値観を大切にしながらお芝居に取り組んでいきたいと改めて思っています。
──「生きる」には渡辺勘治役の市村正親さん、鹿賀丈史さんといったミュージカル界の先輩方も出演されていますが、そういった方々との共演でどんなことを感じていますか?
先輩たちはいつも僕の固定観念を打ち砕いてくださいます。僕はWキャストのとき、「もう1人のキャストに演技を寄せなくちゃ」「バランスを取って、同じようなキャラクターにしなきゃ」と考えがちでした。でも市村さんと鹿賀さんの勘治は、同じ役でも全然雰囲気が違う。もちろんお二人の間に信頼関係があるからだと思いますが、ご自身の感じたままにそれぞれの勘治像を作り上げてくださるのは、僕のような後輩にとってありがたいことです。お二人の演技を目のあたりにして「俳優として第一線でキャリアを重ねたお二人でも、同じ役を演じると全然違うものになるんだ。そんな風にやっていいんだ!」と発見しました。Wキャストだからといって、その役がまったく同じ人物になることはないし、だからこそ「生身の人間がその場で演じる演劇って面白いな。良いものだな」とも感じます。
──村井さんはお二人が演じる勘治の息子・渡辺光男役です。光男は勘治と同居しているものの、父親との心の距離は遠く開いているというキャラクターですが、今回はこの役柄をどのように演じようと思われていますか?
前回公演のときは「ダメなやつだな」と思っていたけど、今回は少し感じ方が変わりました。今回は演じていても同情してしまう人物になったし、勘治と光男の対立関係がさらに浮き彫りになっています。恐らく亞門さんは今回の光男について、“怒りも抱えつつ、真面目すぎるがゆえに父や周囲とズレがある人物”だと思っているのかなと。真面目な父子同士でズレていることに滑稽さや面白みを感じますし、そんな2人の姿を今回の「生きる」では大切にしていくのかなと思います。
振り返ると、2020年版「生きる」は、タイトルの意味がみんなにひしひしと伝わった公演でした。まさにコロナ禍だったあの頃、毎日感染者数が発表される中、いつ本番が止まるかわからない状態で舞台に立っていて。世の中のみんなが窮屈な状況で作られたバージョンだったということもあり、演じる僕ら自身にも「生きる」という単語がすごく響きました。今は状況も変わり、みんな感染に気を付けながらも、コロナ以前に近い生活が戻ってきている。だから今の僕らは、“生き抜いた”と言えるんじゃないでしょうか。生き抜いて「さあ、ここからどうする?」という問いを僕は感じていますし、2023年版「生きる」は“生き抜いていく人たち”の物語になるかもしれません。歌詞やセリフ、振付も2020年版から変わりますし、今まさに亞門さんが考える2023年版「生きる」を稽古場で作り上げています。
──新たな「生きる」への期待がますます高まりました。村井さんはこの10年近く、年間4・5本の舞台に出演し続けており、「生きる」のあともさまざまなお仕事が発表されています。お仕事に向き合う原動力は何なのでしょうか? また今後、俳優として目指す目標があればぜひお聞かせください。
僕の原動力は、知らなかった人やものとの新たな出会いです。“初めまして”の人と作品を作り上げていくのはワクワクしますし、初めての挑戦をすることも力になります。いろいろなお仕事をいただく中で、やったことがないジャンルに挑むのは、自分の性に合っているなと思います。
今後の目標はきちんと年を取ることですね。僕は今年35歳になりました。これまでは「三十代中盤から四十代の初めくらいが一番、俳優として仕事が少ない」と考えていたんですが、今は映像や演劇作品の登場人物の年齢層が上がり、例えばスーツを着た大人たちが悩むような作品も増えたと思います。ありがたいことに僕も今いろいろなお仕事をいただいていますが、今後40歳、50歳になったとき、年齢にふさわしく良い感じになれていたらうれしいです(笑)。
──素敵なおじさまになった村井さんのお芝居も楽しみです!
あははは! 僕はキャラ的に“おじさま”にはならないと思いますよ。“おじちゃん”くらいかなあ(笑)。だから、ちゃんと“おじちゃん”になるために実生活でも大人になっていきたいんです。例えば、結婚したり、子供が生まれたりといった段階を踏んで成長していく人もいますよね。僕にそういうことがあるかはともかく、日常生活での経験は自分のお芝居にも反映されていくと思いますし、40歳や50歳の僕にとって必要な演技とつながっているはず。そういう日常にも自分なりに向き合って、今後も楽しくやっていけたらいいですね。
村井良大 プロフィール
1988年、東京都生まれ。2007年に「風魔の小次郎」でドラマ初主演を果たし、「舞台『弱虫ペダル』」シリーズやバラエティ番組「戦国鍋TV~なんとなく歴史が学べる映像~」などで注目を集める。近年はテレビドラマ「教場」シリーズ、「あなたは私におとされたい」などのほか、ミュージカル「蜘蛛女のキス」、「ミュージカル『手紙』2022」、「ファースト・デート」、こまつ座「きらめく星座」といった舞台作品に出演。今年11月から来年1月にかけて舞台「西遊記」、来年6月に始まるミュージカル「この世界の片隅に」を控える。
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