生きるための闘いから、1人の人物の生涯、燃えるような恋、時を止めてしまうほどの喪失、日常の風景まで、さまざまなストーリーをドラマチックな楽曲が押し上げ、観る者の心を劇世界へと運んでくれるミュージカル。その尽きない魅力を、作り手となるアーティストやクリエイターたちはどんなところに感じているのだろうか。
このコラムでは、毎回1人のアーティストにフィーチャーし、ミュージカルとの出会いやこれまでの転機のエピソードから、なぜミュージカルに惹かれ、関わり続けているのかを聞き、その奥深さをひもといていく。
第12回には
取材・
“特別な日のお出かけ”で観たミュージカル
──ヤップさんの舞台の原体験は、いつでしたか?
たぶん小学生の頃ですね。初めて観たミュージカルは、9歳か10歳のときの「ジョセフ・アンド・アメージング・テクニカラー・ドリームコート」(以下、「ジョセフ」)か、「ジーザス・クライスト=スーパースター」(以下、「ジーザス」)だったと思います。「ジョセフ」は子供の頃に自分が初めて出演した作品でもあるんですよ。兄弟の中の1人を演じました。僕は昔から音楽が大好きだったので、「ジーザス」を観たときは、特に歌に圧倒されましたね。照明や舞台装置が美しかったのもよく覚えています。「わあ!」と感動しました。
──それから舞台をよく観に行くようになったのですか?
僕はアジア人で医者の家庭の生まれだったので、パフォーミングアーツが身近なものではなく、舞台を観るのは特別な日のお出かけのときくらい。「ジーザス」を観たのは、きっと母が観たがっていたからじゃないかな。「ジーザス」がオーストラリアで開幕したのは当時、大きな出来事でしたから。
──舞台は“特別な日のお出かけ”で観に行くものだったにもかかわらず、なぜ俳優になろうと思ったのでしょう?
自分も授業で若者に教える機会があるんですが、そのときにも言うのが、この道を選んだきっかけはパッションとコーリング(直感)だったということ。18歳の僕が進路を決めた理由は“情熱に引っ張られた”と表現するのが正しいんです(笑)。もともとパフォーマンスをするのは大好きでしたが、オーストラリアで、アジア人で俳優をするということは大変なので、両親からは反対されていました。演劇学科とはいえ、大学に受かったら喜んでくれましたけど(笑)。この業界には「自分には才能があるから、成功できる」と思って入る人はとても少なくて、僕のような人が大半です。僕もいまだにその情熱を持ち続けているから舞台に携わっているのでしょうね。
──“いまだにある情熱”というのは俳優として? それとも演出家として?
今はたぶん俳優と演出家の両方。ただ、18歳の僕は演出に対して全く興味がありませんでした。実際に演出を始めたのは28歳くらいですが、それまではパフォーマーに対する思いが強かった。俳優から演出家に転向したきっかけは、「ミス・サイゴン」に出演していたときで、僕は舞台恐怖症になってしまったんです。舞台に立てなくなってしまったので、違うものはないかと模索しているうちに、演出家にたどり着きました。僕の方向転換はたくさんある選択肢の1つではなく、必要に迫られたものだったんですね。そこで、道は少し変わったけれど、自分を突き動かすのは“舞台が好きだ”という気持ちなんだと改めて知りました。
──恐怖症になってしまったけど、2019年にはオーストラリアとシンガポールでミュージカル「アラジン」にサルタン役で出演されましたね。
なぜ「アラジン」の仕事を引き受けたかというと、1つには自分が舞台恐怖症を乗り越えられたのかを確認するため。やってみて、ちゃんと克服したとは言い難かったなと思います。それは単純に自分が2000人のお客さんの前で演じるということに対して、うまくいくときもあれば、不安が勝るときもあったので。2つ目の理由は、自分が演出家として続けていくうえで、演じるということに対して俳優がどれほどの負担を感じているのかを理解する必要があると思ったからです。確かに再び舞台に立つのは勇気がいることでしたが、挑戦したことで今は、1人の人間として“より良くなった”と思います。舞台に立つ俳優の思考や、彼らの生の舞台に立ち続ける勇気を、身をもって知ることができたので。
「ノー」と言わないヤップ、流されるままにイギリス・東京へ
──舞台だけではなく、近年は2016年のエジプトでのプレショーセレブレーションズ、2019年のアブダビでのUAE建国48周年行事など、さまざまな場で演出をされています。仕事選びにはどんなポリシーがありますか?
若い頃に演出家として仕事を始めたときに、良いアドバイスをもらったんです。それは、「ノー」となるべく言わないこと。たくさんのプロデューサーや制作者と関わり、仕事をすることがとにかく大事だと教わりました。ミュージカルだけでなく、ストレートプレイやさまざまなジャンルのシアターをやったほうが良いとも。また、現実的な問題として、シドニーは東京ほどミュージカルが盛んではないんです。特定のジャンルにこだわるのではなく、オープンマインドで、与えられたものを素直にやってきたところが大きいですね。
──そんなヤップさんがなぜ、日本の舞台に携わるようになったんでしょうか。
トゥイを演じ終わったとき、「もうこの作品と関わることはないだろう」と思ってたんですけど、プロデューサーのキャメロン(・マッキントッシュ)が「UKツアーのレジデントディレクターをやってみない?」と話をくれたんです。当時僕は若くて、イギリスなんて一度も行ったことがなかったのに、そんな僕が海を渡ってダブリンやマンチェスターでUKツアー公演のレジデントディレクターをすることになった。あとは流されるまま(笑)、世界のほかの都市での公演もやることになり、その1つが2012年の東京公演でした。東京で「ミス・サイゴン」をやったときに東宝の方々と知り合って、雑談の中で「いずれ僕も日本で演出をしてみたい」とポロッと口にしたら、1年後くらいに「ゴースト」の演出の話をいただいて。「ゴースト」でよりたくさんの舞台関係者と出会うことができて、今に至るわけです。
ある決断が演出家としての転機に
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【連載】ミュージカルの話をしよう | 第12回 ダレン・ヤップ、情熱に引っ張られて歩んできた演出家の道
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