「ノルウェイの森」ビジュアル(c)2010「ノルウェイの森」村上春樹 / アスミック・エース、フジテレビジョン

青野賢一のシネマミュージックガイド Vol.11 [バックナンバー]

ノルウェイの森

生と死に寄り添う音楽

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DJ、選曲家としても活躍するライターの青野賢一が毎回1つの映画をセレクトし、映画音楽の観点から作品の魅力を紹介するこの連載。今回は約10年前に公開された「ノルウェイの森」を取り上げる。村上春樹の同名小説を原作としたこの作品の音楽的な魅力とは。

/ 青野賢一

ジョニー・グリーンウッドによる濁りのない音色

映画「ノルウェイの森」は、「青いパパイヤの香り」(1993年)や「シクロ」(1995年)で知られるトラン・アン・ユンが監督を務めた作品。公開は2010年なので、かれこれ10年近く前になる。原作は1987年に発行された村上春樹の同名ベストセラー長編小説である。登場人物や設定は基本的に小説を踏襲しているが、映画では小説内のいくつかのエピソードは割愛され、133分にまとめられている。ほかの多くの村上作品と同様、小説「ノルウェイの森」は、死んでしまった人、あるいは失われてしまった事物が、残された人や事物の内面にどう存在し、また存在しないかを描いているわけだが、映画ではそうした側面を尊重しながら、恋愛の色を濃くして、曖昧で矛盾を抱えた登場人物がどのように変化を遂げるのかに焦点が当てられているように思う。映画音楽はRadioheadのジョニー・グリーンウッド。ポール・トーマス・アンダーソンの「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」(2007年)に続く2作目の映画音楽担当作品だ。

時代は1967年。ワタナベ(松山ケンイチ)とキズキ(高良健吾)は高校の同級生。キズキの幼なじみで彼の恋人でもある直子(菊地凛子)も同じ高校に通っている。3人で仲良く高校生活を楽しんでいたが、あるときキズキは自死してしまう。ワタナベは高校を卒業して東京の大学に入学したが、空虚な日々を送っていた。「僕の人生はまるで一時停止したようだ 読み漁っていた本の余白と同じように空っぽだった」。この語り(本作はワタナベの回想というかたちで物語が進む)に続いて、本作で最初の音楽がフェードインしてくる。濁りのないイノセントな音色のギターが奏でるのは、エモーショナルさを排除した反復するメロディ。どこか仄暗さがあり、激しくはないものの不思議な性急さが落ち着かない印象を与えるこの曲は、ワタナベの日常生活の描写──レコード店でのアルバイト、遅寝遅起き、水泳、そして同じ学生寮に住む永沢(玉山鉄二)との会話や2人して女性をハントし肉体関係を持つといった──に当てられている。

「ノルウェイの森」場面写真(c)2010「ノルウェイの森」村上春樹 / アスミック・エース、フジテレビジョン

「ノルウェイの森」場面写真(c)2010「ノルウェイの森」村上春樹 / アスミック・エース、フジテレビジョン

孤独なワタナベに共鳴するCANの楽曲

ある日、ワタナベは偶然直子と再会し、その後も2人は毎週日曜日に会って行き先の決まっていない散歩を繰り返した。「まるで魂を癒すための宗教儀式みたいに」。かつて一緒に遊んでいた者同士、再会の喜びは多少なりともあるはずだが、その感情を縄でぐるぐる巻きにして身動きすらできなくさせるように、2人の中にはキズキの死の記憶が生きている。そんな心情は、バイオリンを軸としたストリングスによるシリアスで逼迫した旋律に託されている。この逼迫した空気は、これに続く、直子がワタナベと過ごす彼女の20歳の誕生日の出来事を先取りしたかのようである。

誕生日の一件のあと、直子は東京の住まいを引き払ってワタナベの前から姿を消してしまう。直子を気にかけ、また同時に自分が直子を傷付けたのではないかという不安もあってワタナベは神戸にある直子の実家に手紙を送る。1人残されたワタナベには、再び孤独で時折永沢と女漁りに行く日常が訪れるのだが、ここではダウナーなムードのCANの曲(「Mary, Mary So Contrary」「Bring Me Coffee or Tea」)が使われている。ほどなくしてワタナベのもとに直子から手紙が届いた。それによれば、直子は精神状態が芳しくなく、医師の勧めにより京都の療養所で暮らしているという。

夏休みが終わり、授業が始まった。ワタナベが大学のカフェテリアで食事をしていると、サングラスをかけた女性が話しかけてきた。緑(水原希子)である。この緑の登場シーンは、一見なんということはない場面だが、カフェテリアの大きくて開放感のある窓、その外に見える木々のグリーンと少し傾きかけて長い影をもたらす太陽の光を背景に、朗らかさのあるギター曲──映画の冒頭で聴かれるそれとは明らかに調子の違う──が流れることで、緑の性質を雄弁に語っている。この曲に象徴されるように、メランコリーに傾かない緑の存在は、物語が進むにつれてワタナベの心の中で大きなものとなっていくのである。

「ノルウェイの森」場面写真(c)2010「ノルウェイの森」村上春樹 / アスミック・エース、フジテレビジョン

「ノルウェイの森」場面写真(c)2010「ノルウェイの森」村上春樹 / アスミック・エース、フジテレビジョン

The Beatles「ノルウェーの森」が流れるシーン

本作でジョニー・グリーンウッドが手がけた音楽は、基本的にはギターによるシンプルかつリリカルで余白の多いものか、シリアスな印象を残すストリングスおよびオーケストラサウンドのいずれかだ。どちらのタイプの曲も、鑑賞者の感情を煽るものでなく、その場面の登場人物の心の動きや状態に寄り添うものである。とりわけ後者は音の絡まり合いが複雑な心境とシンクロするところがあるのだが、物語の後半、雪の降る中で緑がワタナベに恋人と別れたことを告げ、ワタナベが緑に「時間が欲しいんだ」と言う場面の包み込むような美しい室内楽曲につなげて、オーケストラによる不協和音が押し寄せ、首を吊った直子の足が映し出される一連の流れは圧倒的である。

ところで、本作のタイトルはThe Beatlesの「ノルウェーの森」にちなんだものだが、作中でこの曲が流れるのは2度。1つはエンドロールで、ここではThe Beatlesのバージョンが使われている。もう1つは、療養所で直子と同室の元ピアノ教師のレイコ(霧島れいか)が、部屋で直子とワタナベを前にしてギターの弾き語りでこの曲を歌う場面である。ここで直子は、歌の途中で涙を流して下を向き、明らかに状態が悪くなった様子になるのだが、このことは同曲の歌詞と関係があるように思う。「ノルウェーの森」は、端的に言えば、男がノルウェー産の木材(Norwegian Wood)製の家具のある部屋に住んでいる女の子のもとをやる気満々で訪ねたが、結局何もできずに終わるという内容。直子は愛していたキズキと何度もセックスを試みたがうまくいかず、やがてキズキは死んでしまう。そんな記憶がこの曲を聴いたことでまざまざとよみがえってしまったのではないだろうか。

「ノルウェイの森」場面写真(c)2010「ノルウェイの森」村上春樹 / アスミック・エース、フジテレビジョン

「ノルウェイの森」場面写真(c)2010「ノルウェイの森」村上春樹 / アスミック・エース、フジテレビジョン

物語を彩る細野晴臣と高橋幸宏

最後に、曲ではないが音楽と音にまつわる話題を2つ挙げておこう。本作では、ワタナベのバイト先のレコード店の店主役を細野晴臣が、直子とレイコが暮らす療養所の入口にいる看守役を高橋幸宏がそれぞれ務めている。緑が件のレコード店を訪れるシーンで壁にディスプレイされたレコードが映るのだが、その中の1枚は細野の在籍したエイプリル・フールのアルバム(バックに流れるのはCAN「She Brings The Rain」)。なかなか気が利いている。それからもう1つは音、とりわけ自然音のあしらいについてである。雨音や波の音、風といった自然音の存在感が極めて大きいのは興味深いところだ。人間が抗えない力を持った自然が発する音は、もうここにいないだけに抵抗のしようがない死者の影響や存在とどこか通底しているように感じられる。ワタナベと直子がいい感じになったときに吹きすさぶ強風などは、キズキが吹かせているのではないかと思うほどだ。公開時、小説版のファンからは厳しい意見もあったと記憶している本作だが、こと音楽と音響については、作品の世界をイマジネーション豊かにうまく表現していると言えそうだ。

「ノルウェイの森」

「ノルウェイの森」DVDジャケット(c)2010「ノルウェイの森」村上春樹 / アスミック・エース、フジテレビジョン

「ノルウェイの森」DVDジャケット(c)2010「ノルウェイの森」村上春樹 / アスミック・エース、フジテレビジョン

日本公開:2010年12月11日
監督・脚本:トラン・アン・ユン
音楽:ジョニー・グリーンウッド
主題歌:The Beatles「ノルウェーの森」
出演:松山ケンイチ / 菊地凛子 / 水原希子 / 高良健吾 / 霧島れいか / 初音映莉子 / 玉山鉄二 / 糸井重里 / 細野晴臣 / 高橋幸宏 / 柄本時生 ほか
発売:アスミック・エース、フジテレビジョン
販売:ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント
価格:DVD 1219円 / Blu-ray 1886円 (共に税抜)

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