長渕剛が4月より開催している全国ホールツアー「TSUYOSHI NAGABUCHI HALL TOUR 2025 "HOPE"」が折り返しに入った。
「TSUYOSHI NAGABUCHI HALL TOUR 2025 "HOPE"」は最新曲「HOPE」を携えて行われているツアーで、長渕は公演ごとにセットリストを変え、MCでは観客と真剣に向き合い、熱い思いを吐露している。そんな中、5月30日に彼の故郷・鹿児島にある川商ホール(鹿児島市民文化ホール)第1ホールでツアーの9公演目が行われた。鹿児島に生まれ、鹿児島を愛し、鹿児島に魂を捧げ続けている長渕。思い入れのある地で彼はどのような歌を届けたのか。ライター冬将軍に、川商ホール(鹿児島市民文化ホール)第1ホール公演を取材してもらった。
取材・文 / 冬将軍撮影 / Hayato Ichihara
レポート
川商ホールに響いた「帰ってきたぞー! ふるさとよ!」
「僕の体の中に脈々と流れる鹿児島の血は、みんなとまったく同じ。どんなことがあってもあきらめない。どんなことがあっても前へ行く。そう教えてくれた父母、この鹿児島の大地に深く感謝します」
すべての楽曲を歌い終えると、割れんばかりの歓声の中、長渕は客席へ向かってそう語った。
「TSUYOSHI NAGABUCHI HALL TOUR 2025 "HOPE"」、再び長渕が鹿児島へ帰ってきた。長渕が生まれた街・鹿児島県日置市伊集院にある日置市伊集院文化会館でスタートしたホールツアー。2025年5月30日、ツアー9本目となる本ライブの舞台は、桜島を眼前に構えた川商ホール(鹿児島市民文化ホール)だ。
「“家族”が待ってるから」──。長渕はこの日、自分を待っていてくれたファンに向けて、MCでそう言った。「帰ってきたぞー! ふるさとよ! かごんま(鹿児島)で一番よか、夜を作りましょう」と、思わず出てくる鹿児島弁もまさに故郷の公演ならではであり、同じ鹿児島の血が流れる者に対し、仲間でも同士でもなく、友達でもなく、“家族”であると、そう言ったのだ。
ホール内に入ると、電球色、橙色、紫色の3色の照明が会場内を照らして観客を待っている。夕焼け空の色だ。この郷愁を誘う色はもう数十年、長渕のライブに欠かせないものになっている。見慣れた色の情景も鹿児島で見ると、自分の故郷でなくともよりノスタルジックな思いになる。それだけ長渕剛というアーティストと鹿児島との結び付きは強い。長渕のライブではおなじみの光景、開演前から自然と客席から巻き起こる剛コールが、別の地域でのライブとは異なる熱気に包まれているように感じるのも気のせいではないだろう。客電が点いている開演前から、これほどまでの熱気に包まれたライブはそうそうない。
開演に先立ち注意事項がアナウンスされると剛コールが強くなっていく。さらにオーディエンスの熱気を煽るように場内に流れるBGMのボリュームが上がっていき、客電とともに落ちた。
幽玄美なオープニングだ。昼田洋二(Sax)のテナーサックスがむせび泣き、ビグスビー・ユニットを搭載した1974年製フェンダー・テレキャスターを抱えた長渕とバンドメンバーのシルエットがステージに現れる。オープニングナンバーは多くの課題を抱える国内外の情勢に対し、日本人としての大和魂を鼓舞していく曲だ。矢野一成(Dr)の力強いビートを軸に重厚なアンサンブルが突き進み、長渕が吠える。その声に全力で応えるオーディエンス。満員の客席からかちどきの声のごとく、大きな叫びと無数の拳が突き上げられる。
長渕はライブ序盤に早くもツアータイトル曲「HOPE」を投下。「ぶっ壊れてく俺、俺」という強烈な歌い出しから発せられる気迫がすさまじい。歌に込めた怒りがバンドサウンドともに猛り狂う。ライブ映えする楽曲だと思っていたが、想像以上だ。テンション高めに前のめりになる長渕のボーカルと、それを引き戻すような林由恭(B)の地を這うグルーヴのせめぎ合いがスリリング。鼓動のような和を感じさるリズムに合わせて「HOPE!」の叫びが響き渡り、会場は手旗と拳で埋め尽くされる。“希望を持て”という直接的なメッセージより、「クソみてぇな世の中にとりあえず『HOPE=希望』と大声で叫んでみました!」という皮肉まじりでぶっきらぼうな長渕節が爽快だ。ただ、それはあきらめではなく、これこそが希望の狼煙であり“攻め”なのだと教えてくれる。それをまざまざと感じた、熱すぎる歌と演奏だった。
バンドメンバーで大きく注目すべきはギタリストだろう。イギリス仕込みの実力派、バッキーこと椿本匡賜に加え、名越由貴夫が「ARENA TOUR 2010-2011 TRY AGAIN」以来14年ぶりに長渕のツアーへ参加。コーパス・グラインダーズやYEN TOWN BANDなど、オルタナティブロックの雄として知られる名越の長渕バンドへの参加は当時衝撃であったが、今回も突飛なギタープレイを披露している。ミュージックビデオでのコミカルな振りでおなじみのあの曲では、バッキーとの阿吽の呼吸で流麗なアーミングプレイを見せ、会場全体があの花で咲き乱れた長渕の代表曲では、和情緒をまさぐっていく前半から無骨なオルタナティブロックへとカオティックに変貌していく後半へ展開するアレンジが秀逸。名越ならではのアバンギャルドなプレイを聴かせていた。長渕は以前、名越のことを「アイツは感性がすごい。狂気性を持ったギタリスト」と評し、今回の参加に際して「名越は日本の侍だから。彼の中にあるキラッとした刃物がね!」と語っていたが、言い得て妙。斬れ味抜群のプレイを至るところでさく裂させている。バッキーと名越、2人に役割分担はなく、“リードギター”と紹介していたのは長渕らしいところである。
故郷・鹿児島だからこそ届けられる長渕の歌
本ツアーのセットリストはレア曲が満載である。「20代の頃に作った歌」と紹介されたのはもの悲しくも強く美しい、隠れた名ラブソングだった。ライブで披露されるのは、おそらくこの曲が収録されたアルバムの発売時のツアー以来ではないだろうか。河野圭(Pf)が奏でる美しいピアノ伴奏に合わせた歌い出しに、オーディエンスはどよめきながらも長渕の歌声に各々自分の声を重ねていく。ファンは皆、長渕本人と同じくらい長渕の歌が好きなのだ。だから、どんなにレアな楽曲であっても皆が知っていて、長渕と一緒に歌うのである。そんな光景を見ながら、1番を歌い終えた長渕が思わず口を開いた。
「あのときからずっと一緒。心も一緒。若いときの歌をみんなと歌うと込み上げてくるものがあるね。なんでだろうね。いろんなことがあったからね。がんばってきたよね、一緒に……そしたら2番歌うわ」
そして、最後の節を歌い終えると、若い頃の恋愛観を込めた歌詞に若干の照れを感じたのか、「そんな言うたって、電話かけたくなるがね。あんたがかけるなかけるな言うたって、どげんしてんかけたくなるがね」と、歌詞に対するアンサーを女性目線の鹿児島弁で語り、笑顔を見せながらおどけてみせた。
そうした、故郷だからこそ見せる場面も多くあった。
バンドメンバーとともに敗北のメロディに乗せて、「故郷」を「鹿児島」に換え、「スカイツリーのてっぺんにのぼっても“鹿児島”は見えねぇ」と吐き捨てるように歌い終えると、前日の宮崎公演を終え、夜中の1時半に鹿児島に入ったと話す。曇り空だったが桜島の輪郭を見て、「帰ってきたな」と実感したと。
「まー、(桜島は)よく爆発しとるがね。世界から見るとね、住民はおかしいんじゃないかと言われてるけど、俺たちにとっては聖なる島だから。『まぁた、怒っとるね』と。脈々とマグマが地の底を流れてる。その上に俺たちは生まれた。だから、まあー、今日みたいに熱いっ!」
さらに、自身が生まれた街、伊集院(日置市伊集院文化会館)がツアーの始まりだったことから、長渕は幼き日々の思い出から両親へ馳せた思いを語り始めた。
「伊集院は徳重というところに生まれた。4歳くらいまで、そこから車の荷台に乗ってさ、後ろ向きでね。生まれた故郷が遠ざかっていく。そして着いたところが純心高校の下にある唐湊っていうところね。あそこに小学校までいた。周りは山とみかん畑。親父は警察官、お袋は指宿の出なので、宮ヶ浜に僕の歌碑がある。母は倹約家で無駄遣いが嫌だった。『父ちゃんの給料だけでは食っていけん。つよっちゃん、あんたも手伝わんで』──」
そう言われて、弁当の箱を作る内職パートの手伝いをしたという。小学校低学年の長渕にとって、母と一緒に糊で箱を作る作業は実に楽しく、彼はすっかり夢中になった。1箱1円、2人で1日がんばって500円くらい。そこからお駄賃として5円をもらって、駄菓子屋で豆菓子「すずめの卵」を買った。そんな幼き日々を過ごした鹿児島から18歳で福岡へ。無垢で社会を知らないから頭をはたかれたこともあったと振り返る。長渕は26歳で一度離婚したが、30歳で大恋愛をして結婚。ちょうどその頃、鹿児島の病院から母が末期がんと告げられたことを昨日のように覚えていると。東京の病院を駆けずり回って探し、手術。母は一命をとりとめたものの、今度は認知症になってしまう。
男は認知症になっても妻の名前だけは最後まで覚えているが、妻は夫の名前を最初に忘れてしまうのだと。「父ちゃんがっかりしてた」と、苦笑いをしながら話を続けた。認知症の母親が口癖のように言っていた「あんた、幸せでよかったねえ」という言葉。父親と一緒に病院へ行っても、友達を連れて行っても、いつもその言葉を投げかけられたという。
そんな母がいつしか自分と目を合わせてくれなくなった。目を合わそうとすると、母は目を逸らして窓の外を見る。だから窓のほうへ回って「俺、誰?」と聞く。するとまた「あんた、幸せでよかったねえ」と答えた。あれから数十年が経ったが、その言葉の意味は今でもわからないと語る。その答えをずっと求めていると。曲も売れた、名前も売れた、家も建てた、欲しいものをたくさん手に入れたはず、だが、いまだにわからない……。
「『あんた、幸せでよかったねえ』と聞かれたら、なんと答える?」
長渕は客席へ問いかけながらも、自問自答するように「もっと銭が欲しい」とブルージーに歌い始めた。1994年のツアー「LIVE '94 Captain of the Ship」のオープニングを飾った曲だ。あの頃の長渕は、認知症が進み衰退していく母親と自分の子供たちが成長する現実に直面し、人間そのものや死生観についての楽曲を多く書いている。母親の自宅介護を試みるも、限界を感じて挫折。そうした疲労もあって長渕は同ツアーの4公演目でダウン。以降のスケジュールは中止になった。以来、ライブではほぼ演奏されていなかった曲である。初めてライブで聴く長年のファンも多いはずだ。
同じ“血”が流れる“家族”とともに
本筋からは逸れるが、日本におけるカントリーギターの名手、徳武弘文が5月14日に亡くなった(参照:ギタリスト・徳武弘文が73歳で死去)。デビューからギター1本で全国を回っていた長渕が初めてバックバンドをつけてライブを行ったときのギタリストであり、バンマスを務めたのが徳武だった。フィンガーピッキングでエレキギターを速弾きする徳武のことを、長渕は後年“衝撃的だったギタリスト”として名を挙げている。そんな徳武がアレンジで参加した美しいアコースティックナンバーも、今回のツアーでは長渕、名越、バッキーによるトリプルアコースティックギターのアレンジで披露されている。
長渕といえば、アコースティックギターだ。バッキーが刻む低音弦の調べに合わせて、長渕本人に対する世間の風当たりを跳ね除けるような語りから入った、風刺曲のシカゴブルース風アレンジが絶品だった。もちろん弾き語りも披露された。沼田梨花、会原実希、マスムラエミコ、3人の女性コーラスの美麗なハーモニーを携えた曲に加え、愛する母が亡くなったときのことをつづった「コオロギの唄」、同じ“血”が流れる“家族”に向けて美しい12弦ギターで捧げた「BLOOD」、そして全編鹿児島弁で歌われる薩摩人のアンセム「気張いやんせ」では会場を揺らすほどの大合唱が轟いた。
弾き語り、アコースティックアレンジ、バンドサウンドと、長渕の楽曲とライブが放つ底知れぬパワーを余すことなく見せつけた2時間強。一体感というありきたりな言葉では言い表したくないほどのエネルギーに満ちた空間だった。私はライブ中、ふと会場を見渡すのが好きだ。オーディエンスが皆、本当にいい表情をして、手を挙げ、長渕とともに歌っているからだ。そんな会場の様子を見渡す長渕が一番うれしそうだった。
「またすぐ帰ってくるからな。そのときまた恩返ししたい。みんなに気合いをもらったし、パワーをもらったから、まずこのホールツアーを完璧にやって、みんなと一緒に希望の狼煙をあげて、そして秋にまた帰ってきます。アリーナでまた会おうぜ!」
そう言って長渕はステージを降りた。彼は11月8日、9日、西原商会アリーナ(鹿児島アリーナ)2DAYSで再び鹿児島に帰ってくる。「7 NIGHTS SPECIAL in ARENA」と題したアリーナツアーだ。本ホールツアーもまだまだ中盤戦。長渕のツアーはセットリストを含めてライブを重ねるごとに変化、深化していく。7月17日の広島文化学園HBGホールまで続くこのホールツアーがどうなっていくのか、そしてアリーナツアーがどんなものになるのかはまだ想像がつかないが、とんでもないことになるのは言うまでもないだろう。
公演情報
TSUYOSHI NAGABUCHI HALL TOUR 2025 "HOPE"
- 2025年4月17日(木)鹿児島県 日置市伊集院文化会館
- 2025年4月25日(金)茨城県 水戸市民会館 グロービスホール
- 2025年4月28日(月)東京都 東京ガーデンシアター
- 2025年4月29日(火・祝)東京都 東京ガーデンシアター
- 2025年5月5日(月・祝)埼玉県 大宮ソニックシティ 大ホール
- 2025年5月10日(土)福岡県 福岡サンパレス ホテル&ホール
- 2025年5月11日(日)福岡県 福岡サンパレス ホテル&ホール
- 2025年5月29日(木)宮崎県 宮崎市民文化ホール
- 2025年5月30日(金)鹿児島県 川商ホール(鹿児島市民文化ホール)第1ホール
- 2025年6月3日(火)静岡県 アクトシティ浜松 大ホール
- 2025年6月4日(水)三重県 三重県文化会館 大ホール
- 2025年6月22日(日)宮城県 仙台サンプラザホール
- 2025年7月5日(土)北海道 札幌文化芸術劇場hitaru
- 2025年7月12日(土)愛媛県 愛媛県県民文化会館
- 2025年7月15日(火)岡山県 倉敷市民会館
- 2025年7月17日(木)広島県 広島文化学園HBGホール
TSUYOSHI NAGABUCHI 7 NIGHTS SPECIAL in ARENA
- 2025年10月1日(水)大阪府 大阪城ホール
- 2025年10月2日(木)大阪府 大阪城ホール
- 2025年11月8日(土)鹿児島県 西原商会アリーナ(鹿児島アリーナ)
- 2025年11月9日(日)鹿児島県 西原商会アリーナ(鹿児島アリーナ)
- 2025年11月15日(土)愛知県 ポートメッセなごや 第1展示館
- 2025年11月16日(日)愛知県 ポートメッセなごや 第1展示館
- 2025年11月28日(金)神奈川県 Kアリーナ横浜
「TSUYOSHI NAGABUCHI 7 NIGHTS SPECIAL in ARENA」
チケット特別抽選先行予約
受付対象:全公演
受付期間:2025年6月23日(月)20:00~6月29日(日)23:59
プロフィール
長渕剛(ナガブチツヨシ)
1956年生まれ、鹿児島出身のシンガーソングライター。1978年にシングル「巡恋歌」で本格デビューを果たし、1980年にシングル「順子」が初のチャート1位を獲得。以後「乾杯」「とんぼ」「しあわせになろうよ」などのヒット曲を次々と発表し、1980年代前半には俳優としての活動も開始した。2004年8月には桜島の荒地を開拓して作った野外会場でオールナイトライブを敢行し、7万5000人を動員。さらに2015年8月には静岡・ふもとっぱらにて10万人を動員する野外オールナイトライブ「長渕剛 10万人オールナイト・ライヴ2015 in 富士山麓」を実施し、成功を収めた。2025年4月からは全国ホールツアー「HOPE」を開催中。10月よりアリーナツアー「TSUYOSHI NAGABUCHI 7 NIGHTS SPECIAL in ARENA」を行う。
長渕剛 TSUYOSHI NAGABUCHI | OFFICIAL WEBSITE