“King of J-Soul”の異名をとる久保田利伸が、2026年6月21日にデビュー40周年を迎える。デビューシングル「失意のダウンタウン」に始まり、久保田がこれまでリリースしてきた作品はシングル / アルバム含め80タイトルを超える。
デビュー40周年イヤー突入を記念して、音楽ナタリーでは久保田が発表してきた作品を歴代のジャケットアートワークとともに紹介する年表を、ソニー・ミュージックレーベルズのスタッフの証言を交えた解説付きで制作。日本のR&Bシーンのパイオニアの功績とその足跡を紹介する。
構成 / 中野明子
1986年
6月21日
デビューシングル「失意のダウンタウン」リリース

9月10日
1stアルバム「SHAKE IT PARADISE」リリース

12月21日
シングル「TIMEシャワーに射たれて・・・」リリース

1987年
2月26日
シングル「GODDESS ~新しい女神~」リリース

4月22日
アルバム「GROOVIN'」リリース

10月21日
シングル「CRY ON YOUR SMILE」リリース

1988年
2月26日
シングル「You were mine」リリース

9月30日
アルバム「Such A Funky Thang!」リリース

1989年
3月21日
ミニアルバム「High Roller」リリース

10月8日
ベストアルバム「THE BADDEST」リリース

1990年
6月21日
シングル「GIVE YOU MY LOVE」リリース

7月15日
アルバム「BONGA WANGA」リリース

10月1日
シングル「Be wanabee」リリース

1991年
3月21日
シングル「FOREVER YOURS(Duet with Alyson Williams)」リリース

9月1日
シングル「Honey B / Keep On JAMMIN'」リリース

9月21日
企画アルバム「PARALLEL WORLD I “KUBOJAH”」リリース

11月1日
シングル「雨音」リリース

1992年
7月1日
アルバム「Neptune」リリース

アメリカ移住
1993年
5月14日
シングル「夢 with You」リリース

5月14日
シングル「ふたりのオルケスタ」リリース

9月22日
ベストアルバム「THE BADDEST II」リリース

1994年
11月2日
シングル「夜に抱かれて ~A Night in Afro Blue~」リリース

12月1日
シングル「ZA-KU-ZA-KU Digame / SUNshine, MOONlight」リリース

1995年
1月28日
アルバム「BUMPIN' VOYAGE」リリース

7月7日
シングル「虹のグランドスラム」リリース

9月10日
アルバム「SUNSHINE, MOONLIGHT」リリース(全米デビュー作)

10月21日
ミニアルバム「Funk It Up / Nice & EZ」リリース

「キング・オブ・Jソウル」「ファンキー久保田」「Japanese R&Bのパイオニア」「King of J-Soul」と呼ばれ日本のR&Bシーンの先駆者として名を馳せてひさしい久保田利伸だが、そんな彼にも黎明期と呼ばれる時代があった。1962年7月24日に静岡県で生を受けた久保田は、ミュージシャンを目指して大学進学を機に1981年に上京。大学でファンクバンドを結成し、試行錯誤しながらいくつもの小さなライブハウスで研鑽を積む。
その歌唱力は音楽業界に早々に見つかり、キティミュージック(現ユニバーサルミュージック)と専属契約を結ぶ運びに……と音楽的なキャリアとしてトントン拍子に見えた。しかし、そこで久保田を待ち受けていたのは、ソロアーティストとしてではなくまず作曲家としての仕事。デビュー前の久保田が岩崎宏美、小泉今日子、鈴木雅之らの楽曲を手がけたことは広く知られている。中でも久保田の名を世に知らしめたのが、トシちゃんこと田原俊彦に提供した「It's BAD」。それまでほとんど日本になかったラップを取り入れた曲調のポップスは大きな話題を呼んだ。このことからもわかるように、久保田はデビュー前から自らが作り出す作品にブラックミュージックのエッセンスをにじませ、独自の音楽を生み出していたのだ。
作家として評価される一方で、いちアーティストとして世に出られないことに業を煮やした久保田は、独自にライブ活動を行ってゆく。業界での存在感を高めていく大きなきっかけとなったのは、洋楽カバーを収めた「すごいぞテープ」。海外アーティストのストレートカバーから、自身の声だけでアカペラ多重録音で1曲にするという離れ業、そして「ひとりWe Are The World」といった内容に、多くの業界人が度肝を抜いた。結果、レコード会社争奪戦の末にCBS・ソニー(現:ソニー・ミュージックレーベルズ)が久保田を獲得。1986年6月にシングル「失意のダウンタウン」で悲願のアーティストデビューを果たす。フレッシュかつ高い歌唱力で注目を浴び、同年9月に「流星のサドル」「Missing」といった名曲を収録した1stアルバム「SHAKE IT PARADISE」を発表。そこから飛ぶ鳥を落とす勢いで、日本に今までいなかったアーティストとしての存在感を高めていく。全国ツアーを重ね、1988年5月、日本で初めてのアーティストとして代々木第一体育館の舞台に立った。
久保田のキャリアにおいて最初の大きなアルバムヒットとなったのが、1988年9月に発表された3rdアルバム「Such A Funky Thang!」だ。R&Bの要素を取り入れながら、ポップスを極めた本作はオリコン週間アルバムランキング1位を記録したのに加え、自身初のミリオンヒット作に。なお、このアルバムはアメリカ・ロサンゼルスでレコーディングが行われた。海外、とりわけアメリカの音楽に傾倒していた久保田にとっては念願のことであった。現地の空気をたっぷりと含んだサウンドやアプローチは、2025年の今聴いても新鮮かつ洒脱。「Such A Funky Thang!」での制作をきっかけに、久保田の海外への憧れはさらに増し、「地球を相手に歌っていきたい」との信念が、のちのニューヨーク移住へとつながる。
1989年10月には、デビューからそれまでのシングル曲を中心とした初のベストアルバム「THE BADDEST」を発表する。こちらは200万枚を超えるセールスを記録し、1990年の年末にはアリソン・ウィリアムズとともに「NHK紅白歌合戦」に初出場。その頃には人気を不動のものとしていた。国内での地盤が盤石になっていたにもかかわらず、久保田は1993年に満を持してニューヨークに拠点を移す。日本に照準を合わせたシングルヒット曲をリリースし、2枚目のベストアルバム「THE BADDEST II」を発表する傍らで憧れの地で全米デビューに向けての制作を着々と進めた。ちなみに、久保田はニューヨーク移住直後の1994年から1999年まで、日本ハム「シャウエッセン」のCMに出演。外国人たちに囲まれながら陽気に会話を交わしたり、大量の「シャウエッセン」を抱えて登場したり、ブラウン管の中でもファンキーな一面をさく裂させていた。そして1995年9月には全米デビューアルバム「SUNSHINE, MOONLIGHT」をToshi Kubota名義でリリースし、夢への大きな一歩を踏み出した。
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1996年~2005年