くるり「東京」ジャケット

“東京”はどのように歌われてきたのか (後編) [バックナンバー]

東京出身ミュージシャンにとっての東京と、地方出身ミュージシャンにとっての東京

タイトルに“東京”が含まれる曲から見る東京のイメージの変遷

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グループサウンズやフォークのブーム以降、自作自演で音楽を奏でるミュージシャンが爆発的に増加した結果、“東京”を歌う歌詞はどんどん多様化していきました。平成に入るとバンドブームやCD時代の音楽業界の活性化に伴って、さらに多くのミュージシャンがデビューし、バンドが結成され、そして上京し、“東京”を歌うことになります。

前編では1980年頃までの東京像について書きましたが、後編では平成以降、J-POP時代に“東京”がどのように歌われているのか、その特徴を探っていきたいと思います。

/ O.D.A.(WASTE OF POPS 80s-90s) ヘッダ画像 / くるり「東京」ジャケット

J-POPの“東京”を代表する1990年代の5曲

1990年代のJ-POP初期、今も活動する多くのミュージシャンやバンドがデビューしました。出自も活動スタイルもさまざまな彼らの“東京”をタイトルにした楽曲の歌詞を見ていくと、それ以降のJ-POPにも頻出する東京像がここで生まれていることに気付きます。その中でも代表的な事例となった5曲を紹介します。

1993年 斉藤和義(栃木県出身)「tokyo blues」
⇒地方から夢を持って上京してきたものの、思うようにいかない東京での生活を描いた歌詞。「歩いて帰ろう」がスマッシュヒットする半年前にリリースされた1stアルバム「青い空の下…」に収録されています。

早いもんだなこの街に来てあっという間に2年半

割れんばかりの夢詰め込んだ

風船はしぼみっぱなし Oh-!

このような、“上京してはみたものの”的な歌詞は、このあと非常に多くのミュージシャンにリアリティを持って歌われることになります。斉藤和義はその後成功を収めることになりますが、決してそうなるミュージシャンばかりではありません。中にはラストアルバムに呪詛のような歌詞の“東京”の楽曲を書いて表舞台から去るミュージシャンもいます。

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1993年 ピチカート・ファイヴ(北海道出身)「東京は夜の七時」
⇒東京を舞台にした恋愛をベースにした歌詞。東京出身のミュージシャンであればフラットに描きがちなパターンなのですが、ピチカート・ファイヴの一聴では都会的で華やかな楽曲のイメージとは異なり、北海道出身の小西康陽の歌詞での“東京”は影の部分を伴っています。

トーキョーは夜の七時

嘘みたいに輝く街

とても寂しいだから逢いたい

ピチカート・ファイヴがこの後にリリースした「トウキョウ・モナムール」「モナムール東京」「東京の合唱」にも同様の傾向があり、小西康陽が2011年に立ち上げたソロプロジェクト・PIZZICATO ONEの活動では、その影の部分を全面に押し出した歌詞を描いています。

東京の生活にある程度なじんだとしても、地方出身のミュージシャンの歌詞には、東京に対して持つこのような影や違和感を伴ったものが多く見られます。

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1994年 小沢健二(神奈川県出身)「東京恋愛専科・または恋は言ってみりゃボディー・ブロー」
⇒「東京タワー」「高速道路」というフレーズとタイトル、これによって“都市”感が楽曲全体の背景に広がり、この曲を彼独特の質感に彩っています。 

キラキラと街が光る真夏の宵の口

高速道路を走り2人で出かけましょ

東京タワーをすぎる急カーブを曲がり

あっという間に海が見えりゃ気分も晴れるでしょ

“東京”というフレーズやその歌詞に散りばめられたパーツによって歌詞の背景を描く形の表現は、構造としてはムード歌謡と共通する部分がありますが、松任谷由実も特に初期に使用していたスタイルです。そしてそのスタイルが、小沢健二のセンスによってJ-POP以降の表現へとアップデートされています。この後も都市の情景を借景とするようなスタイルで恋愛や生活を描く歌詞は絶え間なく登場することになります。

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1996年 サニーデイ・サービス(香川県出身)「東京」
⇒東京在住の曽我部恵一がその日常を描いたアルバムの象徴的なタイトル楽曲です。この曲には“東京”というフレーズはまったくなく、都市を感じさせる単語も、それも東京を指すかもわからない「街」というフレーズしか出てきません。

おんぼろ列車に乗って田舎道

銀の帆張った船は海の上

ぼくも駆け出そうか

今日は街の中へ

瞳の中で風が吹いて

このような、タイトルには「東京」とあるのに歌詞には一切出てこないというタイプの楽曲は、1976年の木之内みどり「東京メルヘン」(作詞:松本隆)や1994年のエレファントカシマシ「東京の空」がありますが、そのスタイルをさらに抽象化し、“ほのかに都市の匂い”をさせることで歌詞に幾重もの構造を持たせることに成功している歌詞だと思います。

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1998年 くるり(京都府出身)「東京」
岸田繁本人が「上京してきて所持金500円の状態でアパートにいた時に書いた」と語っていた、くるりのメジャーデビュー曲です。

東京の街に出てきました

あい変わらずわけの

解らない事言ってます

恥ずかしい事ないように見えますか

駅でたまに昔の

君が懐かしくなります

地方出身者が上京してきてからの生活の心情を、わかりやすく絶望や希望の言葉で描くのではなく、その日常生活や微妙な心情の描写の積み重ねでつづった楽曲。この曲ほど繊細な歌詞はこの後もなかなかないにしても、常温的な言葉の積み重ねでもって東京の生活や東京にいる自分の心情を紡ぐタイプの歌詞は多くのミュージシャンによって書かれるようになっていきます。

戦前からの“楽しい街・東京”的な歌詞、ムード歌謡の“冷たい街だけどあなたがいれば生きていける”タイプの歌詞、または沢田研二「TOKIO」のような未来・架空的なイメージの歌詞など、昭和の間に出現した“東京”。さらに1990年代に現れたこれら5曲それぞれの東京のイメージが、これ以降の東京を歌うJ-POP楽曲の相当数のプロトタイプ的存在になっていると言っても過言ではありません。

東京出身ミュージシャンにとっての“東京”の変化

東京像が多様化していく一方、変化があったのが東京出身のミュージシャンによる“東京”の歌詞です。出身地であり、現在の生活の場でもあるため、上京してきたミュージシャンのように地元と比較しての東京観を持つことができない東京出身のミュージシャン。彼らの描く“東京”は、ごく普通の恋愛であったり、イメージとして記号的に使用しているだけであったり、ポジにもネガにも捉えられない、非常にフラットな取り上げ方であることが主でした。

1984年 THE STREET SLIDERS(東京都出身)「TOKYO JUNK」

Tokyo Junk Tokyo Junk

Tokyo Junk Tokyo Junk Tokyo Junk

追いかけろ 狂った夢を

追いかけろ 狂った夢を

Get it on, Get it on

Get it on, Get it on

      

このような歌詞は今も多くありますが、2000年を過ぎた頃から、東京出身にもかかわらずあえて地方出身者的な視点で“東京”を描いたり、地方から上京してくるミュージシャンなどに対する東京出身者の視点を持つ曲が現われ始めます。

2009年 スガシカオ(東京都出身)「TOKYO LIFE」

深夜テレビの中でシンデレラのスカートがひらひら揺れている

いつの間にか4時 今日誰とも話していないけどそろそろ寝なきゃ…

思い描いた TOKYO STORY

こんなんだっけ? TOKYO LIFE

      
2016年 赤い公園(東京都出身)「東京」

東京

グッドラックを背負って

飛び込んでくるモノは

帰る海がある

故郷と思うには

あまりにも窮屈かい

このような動きは、過去に発表された地方出身者視点の“東京”の楽曲が膨大にあることが、最近の作詞者の念頭にあった結果ではないかと推測します。過去に東京を歌う楽曲が多数あることを前提にしての、ある意味メタ視点的な東京が生まれたのだと言っていいでしょう。これもある意味で東京ならではの現象です。

地方出身ミュージシャンの変化と“東京”

逆に、地方出身のミュージシャンについては、まさにこれまでに紹介してきたような“東京”の歌詞が何人もの手によって描かれているのですが、1人のミュージシャンにフォーカスすると、そのキャリアにおいて“東京”が付く楽曲を複数歌っている場合、彼がその時々でどのように東京を捉えていたかがわかります。2人のベテランミュージシャン、広島県出身の浜田省吾と鹿児島県出身の長渕剛の事例を見てみます。

浜田省吾が“東京”とタイトルに付いた楽曲をリリースしたのは、いずれもJ-POPの時代の前ではありますが、1978年の「グッドナイト・トーキョー」と80年の「東京」。たったの2年ですが、その落差は驚くほどです。

1978年 浜田省吾「グッドナイト・トーキョー」

Good Night Tokyo ざわめく街角

Good Night Tokyo 流れるイルミネーション

熱い通りを 醒めた男のロマン 駆け抜けてく この夜

1980年 浜田省吾「東京」

東京 俺をねじまげないで

東京 あの娘引き裂かないで

高速道路の下で生まれて

地下鉄の上で死んでいく

「グッドナイト・トーキョー」でも彼は決して東京をポジには捉えていませんが、「東京」の強烈なネガにはおよぶべくもありません。2年の間に何があったのか、ということなのですが、78年、3rdアルバム「Illumination」の頃の浜田省吾はまだ大ヒットを持たず、アイドル歌手などに楽曲提供しながら自身の楽曲を制作していた時期。自身のアルバムの音楽性についても、ロックミュージシャンというよりはシンガーソングライター的なニュアンスが強い時期でした。そして80年の「Home Bound」でようやく現在に至るロックサウンドを手に入れたのですが、そのリードシングルだったのがこの「東京」です。かつこの曲は沢田研二の「TOKIO」に触発されて、“ダークサイドの東京”をあえて書いたと本人も語った歌詞。そのような状況から、このようなハードで刺激的な詞になるのも必然だったと言えます。彼の音楽性の変化と、ほかのヒット曲からの影響によって生じた落差だったわけです。

長渕剛が“東京”と付く楽曲を歌ったのは91年の「東京青春朝焼物語」と、2009年の「東京」。ここでの彼には明らかな変化が見て取れます。

1991年 長渕剛「東京青春朝焼物語」

今日から俺 東京の人になる

のこのこと 来ちまったけど

今日からお前 東京の人になる

せっせせっせと 東京の人になる

2009年 長渕剛「東京」

夢が東京の暮らしの中で

どうか消え失せてしまわぬように

傷つき泣く夜を数えたら

この日の太陽 忘れぬように

「東京青春朝焼物語」は、アルバム「JAPAN」の収録曲。すでにこの頃には彼は「乾杯」や「とんぼ」のヒットによってスターダムにのし上がってはいたのですが、それでもまだこういう“まだ東京になじめない”歌詞を書ける心持ちがあったということです。しかし、それから18年の時を経て書いた「東京」の歌詞は、“上京してくる人を気遣う”視点からなるものです。ミュージシャンとして独り立ちし、年長者になった今、過去の自分のような若いミュージシャンに対するいたわりの気持ちがそこにはあります。

東京は変化し続ける街ではありますが、首都・日本最大の都市としての位置付けはブレることはありません。東京をキーにした定点観測的な視点によって、上京し、さまざまな経験を積みながら活躍するミュージシャンの変化・成長を見届けることができます。そして調べれば逆に、希望を持って上京してきたミュージシャンが最後には絶望している、そんな悲しい変化も見られるのかもしれません。

ディスられる街“東京”の正体

“東京”を歌う楽曲について、最近のもう1つの変化として挙げられるのが、時代を追うにつれて全体的に東京をネガに描く歌詞の割合が減りつつあることです。もうすでにネガに描く歌詞が多くあることを知っていて、または上京後の生活についての実態も、すでに情報として得られるようになったことで、あえて自分がそのような歌詞を書くことの必然性にたどり着かないことや、すでに多数のミュージシャンがそうしているように、上京しなくても問題なく音楽活動ができる環境がこれまで以上に整い、上京しないミュージシャンが増えたことなどが一因かと推測します。

たとえばBUMP OF CHICKENの「東京賛歌」はそのタイトル通り、それまでディスられ続けてきた東京を擁護するような、慈しみに満ちた歌詞になっています。

2007年 BUMP OF CHICKEN(千葉県出身)「東京賛歌」

嘘が多いとか 冷たいとか 星が見えないとか苦情の嵐

上手くいかない事の腹いせだろう ここは幾つも受け止めてきた

何をしに来たんだっけ 誰のためなんだっけ

道路も線路も繋がってるけど そりゃそうだけど

勝手に飛び出して 勝手に辿り着いた

この街だけが知っているよ 忘れた夢の引き出しを

それでも、ただネガな歌詞は減ったと言え、「灰色の街」だの「空が狭い」だの「憎しみに満ちた」だのというネガティブワードが入っている歌詞は今も当たり前のようにあります。ここまで公に散々に言われる街は世界中を見てもほかにはなかなかありません。少なくとも今の日本で東京以外の都市や地域がネガティブに歌われることはほとんどありません。

この理由は、過去の“東京”やそれ以外の都市名が入った楽曲が増えていった過程にありそうです。

東京を含め多くの都市が歌詞で描かれるようになったのは、前編で紹介した通り、1950年後半以降のムード歌謡の流行によってです。東京以外の都市を歌った楽曲でも多くのヒット曲が誕生していますが、ムード歌謡は主にその街の繁華街を舞台にして、そこで生まれる恋愛模様を歌うことが多いため、街そのものをネガに捉える必要は一切ありません。また、曲がヒットすることでその都市は“町おこし”的な効果を見込むことができますし、歌手にとってもその都市でほかの都市以上の売り上げが期待できるなどのメリットがあります。

都市名をタイトルや歌詞に折り込むスタイルは、ムード歌謡の衰退後は“ご当地ソング”として主に演歌に引き継がれ、ヒットすればその都市や繁華街に歌碑が建てられてそこが観光名所化したり、駅の発車メロディとして取り上げられたり、近年では楽曲のリリースに合わせて歌手がその都市の観光大使に任命されることもあるほど、両者持ちつ持たれつの関係になっています。そしてそういう状況下では当然ですがその土地をネガに歌うことなどありえません。そんな相互メリットで成り立つ“ご当地ソング”がごく普通の存在になった結果、現在は大衆歌謡においてその都市をネガに歌う理由は、現在ではコミックソングなどの一部を除いてなくなっています。

一方東京は、ムード歌謡前から現在に至るまでその楽曲は数多く、さらに続々と作られているため、作り手も“ご当地ソング”的に考えることはありませんし、もし今そのように考えて“ご当地ソング”的な楽曲を制作したとしても、ことさらにその曲を都知事や東京観光財団が取り上げるという可能性もないでしょう。ヒットソング化しようとするビジネス上の意味においても、褒める必要など何もないということになります。

実際にほかの都市以上にある、人口密度、ラッシュ、渋滞、人のつながりの希薄さなどの諸問題、減ったとはいえ、今でも夢を抱いて上京し、成功したり夢破れたりする人それぞれのドラマの場。そんな過去からの東京像と今の事情も相まって、東京は少なくとも日本のほかの都市には見られない、自由な表現を好きに乗っけることができる、白いキャンバスのような都市となったのです。

東京は、日本の首都・日本最大の大都市という立場は不変ですが、時代につれて常に変わり続ける都市でもあります。そして、その時代の人の気持ちにつれてさまざまに歌われてきた都市でもあります。これからも東京は、便利だけど窮屈で、人に夢を与えるが時に非情に裏切る街であり続け、しかしその時代に沿ってさまざまな表情を見せる都市でもあり続け、さまざまなミュージシャンにさまざまに歌われていくことでしょう。

2020年になってからも、スタイルとしては過去からある“上京してはみたものの”的な歌詞ではありながらも、その赤裸々な感情のリアリティが特徴的な藤川千愛の「東京」や、強烈なメッセージをはらみつつも希望と理想を歌ったGEZANの「東京」など、特筆すべき楽曲が登場しています。

そしてこれからもまた、新しい“東京”の楽曲が生まれるのです。

※記事初出時、歌詞に誤字がありました。お詫びして訂正します。

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O.D.A.

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