アーティストがお気に入りの楽器を紹介する本企画。第15回は
取材・
シンセが好きで楽器店でバイト
シンセサイザーって“synthesize”という英語の動詞が語源で、“合成する機械”という意味なんです。なので、正しくは楽器のシンセサイザーは“ミュージック・シンセサイザー”、つまり“音楽を合成する楽器”です。僕のシンセサイザーとの出会いは1980年代、高校生のときです。Yellow Magic Orchestra(YMO)が出てきたときの衝撃がすごくて、「なぜこんな前衛的な音が少人数のプレイヤーで鳴っているんだろう?」って思って調べたら、シンセサイザーという楽器はあらゆる音を作れることがわかりました。この楽器があれば自分のイメージする音をいくらでも重ねられる。そんな楽器との出会いは衝撃でした。
YMOが作ったテクノというジャンルもシンセサイザーが登場したからできたものでした。そして僕の師匠であるTM NETWORKはそれをさらにポップスの世界に持ち込んでみせた。ただ僕は、シンセサイザーの音色自体は小学校の頃から冨田勲先生のレコードで聴いていました。「なんでこんなにこのレコードはオーケストラとは違って、聴いてるだけで絵や色が見えてくるんだろう?」と思ってました。冨田勲作品は究極の絵画ですよ。しかも、絵画だと2次元ですけど、冨田先生の音楽からは3次元的な広がりを感じたり、時間の流れも加わってる。先生の影響で、今でも僕はインスト曲を作るのがすごく好きなんです。歌詞ではなく音で空間や色を伝えられたら、聴いている側のイマジネーションもいろいろ刺激できて楽しい。そういうことはいつも思ってます。
とはいえ、シンセサイザーの存在を知った当時の僕はまだ高校生だったので、なかなか自分では買えませんでした。だからカタログを集めたり、シンセサイザーのショールームに行って触ったり勉強したりして。当時は秋葉原にもROLANDのショールームがありましたし、楽器屋さんにもシンセがたくさん展示してありました。だから、僕は高校生のときは楽器屋さんでアルバイトすることを選びました。最新の楽器が次から次へと展示されますし、それこそバイトの空き時間に取扱説明書も読み放題。そのおかげで新しい楽器の仕組みもわかるようになった。好きになったらとことん調べたくなるんですよ。
今まで買ったシンセは100台以上
初めて自分で買ったシンセはROLANDのSH-101というアナログシンセです。グレーで小さめのボディで、鍵盤も2オクターブくらいしかなかったかな。モノフォニック(和音が出ないタイプ)のシンセサイザーでした。ちょうど僕が高校生になる時期はシンセのデジタル化が進んだ時期で、僕はギリギリでアナログシンセに触れていた世代なんです。でも、最初にアナログシンセを選んだ理由は、高校生でもちょっとがんばってバイトしたら買えるくらいの値段だったからなんですけどね(笑)。その後にYAMAHAのデジタルシンセDX-7が出てきたんですけど、そっちはまだ高くて買えなかった。ただ使い方は楽器屋さんでバイトしてるうちに全部覚えちゃいましたね。
バイトしていた楽器屋さんでシンセサイザーのことをいろいろ勉強していたら、そこに来られたYAMAHAの営業の方に「本社まで面接に来ませんか」とお誘いを受けて、スタッフとして仕事をするようになりました。まだ高校3年生なのに東京本社での講師をやったり、浜松の工場で新しく開発されたシンセのバグをチェックをするために通ったりしてました。最新のシンセの説明書も書いたりしてましたから。その後、TM NETWORKのサポートを経てaccessでデビューして1990年代には新しいシンセが出るたびに片っ端から買ってましたね。今まで買ったシンセは100台以上はあると思います。
リビングがスタジオに
そして2014年。MOOG社のWebサイトに、ドーンと、Moog Modularのキース・エマーソンモデルの写真が出てたんですよ。それまでは(壁状になっている装置が)3階建てのモデルは市販されていたんですが、キースはその標準モデルを自分用にカスタマイズして5階建てにしたものをライブで使っていたんですよね。Webサイトに出ていたのは、その「キース・エマーソン特注モデルの復刻版を世界で5台だけ作ります」というアナウンスだったんです。ところが値段も書いてないし、発売方法も書いてない。「欲しいと思ったらここにメールしなさい」という1行だけ(笑)。でも、僕は「これは持つしかない!」と見た瞬間に思ったのでMOOG社と直接やり取りをして購入を決めました。お値段はスポーツカー1台分くらいでしたね(笑)。
あとで聞いた話なんですが、MOOG側としても最初は「この人は本当にこれを買うのか?」と疑問視して、いろいろ僕の名前を検索しまくったそうです。そしたらYouTubeでシンセを演奏してる動画がいろいろヒットして、「この人だったら買うだろう!」と思ったらしくて(笑)。ただパーツからすべて復刻するものなので、注文してから実際に届くまでは1年くらいかかりました。完成品は成田に航空便で届いたんですが、空港から電話がかかってきました。「浅倉さん、何か大きいものを買われましたよね? フォークリフトとかお持ちですか?」って。250kgあるこのシンセがハードケースに入って運ばれてきたんです(笑)。
それをなんとか運んでもらって、うちに搬入しました。ところが契約では届いても勝手に箱を開けちゃいけないことになっていて「本社からエンジニアが日本に行って本当に動くかどうかを確認するので、それまでは触らないでください」ということだった。2カ月くらいでっかいケースに入ったままでした(笑)。それで、エンジニアさんの確認も終わって、無事に納品されたわけです。本当は地下のスタジオに持ち込みたかったんですが、何しろ250kgですから、スタッフ全員にいやな顔をされまして(笑)。僕の女性マネージャーが「スタジオを1階に持ってくればいいんじゃない?」という意見を出してくれて、それでここはもともとリビングだったのに、このシンセのためにレコーディングできるスタジオになりました。
実は、キース・エマーソンが来日してコンサートをするときに「このMOOG Modularをライブの本番で貸してもらえないだろうか」という問い合わせがきたんです。こちらとしては、これをキース・エマーソンに弾いてもらえたらもう完璧だし、喜んでOKの返事をしたんですが、残念ながらそのライブが実現する前に彼は亡くなってしまいました。すごく悲しかったですけど、うちにこのシンセが来ちゃった以上は、これからはこのシンセで作られるいい音を僕が語り継ぐ……というか、弾き継いでいく責任があるなと思いましたね。
アンティークなプロペラ機にお客さんを乗せてる感覚
このマシンは1970年代の楽器の忠実な復刻なので、電源を入れてから4時間して回路が温まるまで待たないと楽器としてうまく作動しないとか、そういう不便さも当時のままです。何しろ、壁の中のたった1つ照明が点かなかっただけでチューニングが狂ったりします。最初の頃はライブの前日の夜に僕が会場に行ってチューニングして、スタッフにも「このまま本番まで一晩中電源を落とさないでください」とお願いしたこともありました。それでも本番中はチューニングが狂うので、チューナーを見ながらツマミで調整して弾かなくちゃいけない。モジュラーケーブルのつなぎ方1つで音が変わるし。実際に演奏している場面は今度出るDVDでも見れますが、これを弾いているときは、とにかく一番いい音を奏でられるよう調整にかかりっきりなんで、客席の反応を見る余裕はまったくないですね(笑)。僕としてはこれを演奏するのは、超アンティークなプロペラ機にお客さんを乗せて、計器をいじりながら操縦してるような感覚なんです。
この“タンス”(大型モジュラーシンセの呼称)を起動すると、触る前の時点で音を発振します。でも本体だけだとできることはそれだけ。そこからこの楽器に内蔵されているいくつかのボルテージコントロール(電圧制御発振器)、いわゆる“オシレーター”を動かして音の波形を選択し、音色を決めて、さらにそれを鍵盤とつないで信号を送ることでメロディが生まれます。音の出力はアンプを通すことで調整するんですが、もっと強力な音を鳴らしたいと思ったときは、別のオシレーターにモジュラーケーブルをつないで高い音を出したり、音を重ねたり、フィルターをかけて音を変えたり。1つひとつモジュラーケーブルをつないで、配線を確認しながら調整していきます。
こういうアナログな行程を経ることで、これでしか出せない音の揺らぎが生まれます。実際に初めてライブで鳴らしたとき、「いい音ってこういうことなんだ」と初心に戻りました。今の時代、音楽ってコンピューターの中で完結していたり、配信で音が圧縮されていたり、音のダイナミックレンジがどんどん狭くなってきていますよね。そんな時代に、こういうマシンから出る、たった1音で鳥肌が立つという体験を提供したい。壁がビリビリいうほどの重低音も出せるし、耳に聴こえないけど何か鳴ってるんだろうなってゾクゾクするような音も出せる。音がすごすぎてライブ会場のスピーカーを壊しちゃったこともあります。まずは、この音の力を伝えていきたいですね。去年の8月にはこのシンセを最新のEDMと同期させる実験的な演奏もやりました。当時の常識では誰も考えなかったようないろんなアイデアで“古き良き”を更新していけたらいいなと思っています。まだ僕はこのシンセが本来出せる力の30%くらいしかわかってないんじゃないかなあ。というか、どこまでいけばこれを究極的に把握したと言えるのか、今はまだわからないですね。
そういえば、ディズニーランドのエレクトリカル・パレードのテーマ曲も、もともとのオリジナル(Perry & Kingsley「Baroque Hoedown」)は、ほぼこのシンセの音でできています。電飾とアナログシンセを組み合わせたパレードを夜にやるなんて、ウォルト・ディズニーの目の付け所もいいですよね。もし興味があったら原曲も聴いてみてほしいです。これからもまだまだデジタルテクノロジーは進化していきますけど、その中でどういうアイデアが生かせるかを考えるときにやっぱり古きよきものを知ってないと、いいアドバイスはできないと僕は思ってます。
浅倉大介
1985年よりヤマハのシンセサイザー・ミュージックコンピュータの部門でシステム開発に従事。1987年から約5年間TM NETWORKのサポートメンバーを務めたのち、1991年アルバム「LANDING TIMEMACHINE」でソロデビューした。1992年には貴水博之とのユニットaccessを結成し、「MOONSHINE DANCE」「夢を見たいから」などヒット曲を連発。1995年に一旦accessを活動休止したのちはソロ活動やIcemanのユニットで活動するほか、T.M.Revolution、藤井隆など多くのアーティストをプロデュースし、数々のヒット曲を手がけた。2017年には小室哲哉とPANDORAを結成。10月2日には今年1月に行われたソロライブ「LIVE METAVERSE Cθda growth」の公演初日の模様を収録したDVDが発売された。11月29日からは「Daisuke Asakura Club Tour Seq Virus 2019 -令和元年Final-」を3都市で開催する。また2002年にaccessとしての活動を再開し、精力的にライブなを行なっており、10月13日からはホールツアー「access TOUR 2019 sync parade」がスタートする。
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