本日11月4日、都内にて「
1920年代から1930年代にかけてフランスで活躍した日本人画家、藤田嗣治の半生を描いた本作について、フジタ役のオダギリは「この映画はフジタの教科書でもなければ、歴史を学ぶものでもない。今日みんなと一緒に観ながら、改めてそう感じました」と語る。小栗も「伝記映画や絵画技法を紐解く作品として作っていません。明治19年に生まれたフジタがどのように“今”に接近し、日本とヨーロッパの文化の違いを受け止めて生きたのか。そんなことを描いたつもりです」と学生たちに伝えた。
また小栗の「絵描きの映画ですから。フジタの残した絵をおとしめないように心がけ、“感じる映画”というものにしました」という説明に同調するように、中谷は「セリフがとても少ない作品で、あまり饒舌に語らないからこそ思い描く余地があるんですかね。感動の涙や笑いでなく、見終わったあとの沈黙こそがこの映画に対する賛辞だと思います」と静かに語る。
そんな話を受け、学生からは「非説明的で物静かな画面に、独特な会話がすっと入ってくるのが印象的でした」という感想が。小栗は「絵画には言葉も動きもないですよね? 映画の場合は、言葉と動きだけで『わかる』『わからない』という判断をしがちなんです」と分析し、映画ならではの醍醐味を「選ばれたフレームの中で、言葉が散ったり沈んでいったり、日常会話とは違う響きが画面の中でよみがえる体験」だと学生たちに語りかける。
続いて「絵は1人で描くけれど、映画は大勢で作る。そんな中で役者が監督に反抗する手段は?」という質問が飛び出すと、今度はオダギリが「僕はけっこう反抗的なんですよ」と回答。しかし「これまでは台本を読んだ時点で『すべて任せてくれ』と思っていた。でも小栗監督の脳みそは面白くて、自分が思い描くフジタ像と180度違う考え方だったり、監督のおっしゃることのほうが完全に正しかったり。だから今回に関しては“ゼロ反抗”でした」と振り返る。最後に小栗は「映画を撮りながら思うのは『誰が主語なのか?』ということ。絵画も同じで、言葉で主語を明示できない。でもそれを豊かなことだと受け止めたほうが、絵の鑑賞も面白くなるし映画の奥行きも広がるのでは」と語り、学生たちを奮い立たせた。
またイベントでは、フジタが描き上げた「五人の裸婦」「アッツ島玉砕」という2つの絵画のレプリカがステージ上に用意され、神奈川県立近代美術館館長の水沢勉氏によって解説が行われる場面も。西洋と日本、2つの文化を生き抜いたフジタの絵画的アプローチを受け、先週実際にフジタの絵画を鑑賞したばかりだというオダギリは感心しきりの様子であった。
「FOUJITA」は11月14日に東京・角川シネマ有楽町ほかにて全国ロードショー。
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- 「FOUJITA」公式サイト
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11/14(土)公開【FOUJITA-フジタ-】
大学生と、絵画を通して映画を語るティーチインが行われていました。オダギリジョーさん、中谷美紀さん、監督の小栗康平さんが出席し、興味深いやりとりが伝えられています。
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