
マンガ編集者の原点 Vol.19 [バックナンバー]
「ねずみの初恋」「満州アヘンスクワッド」の白木英美(講談社 ヤングマガジン編集部)
今一番“エグい”編集者が登場
2025年9月5日 15:00 2
マンガ家が作品を発表するのに、経験豊富なマンガ編集者の存在は重要だ。しかし誰にでも“初めて”がある。ヒット作を輩出してきた優秀な編集者も、成功だけではない経験を経ているはず。名作を生み出す売れっ子編集者が、最初にどんな連載作品を手がけたのか──いわば「担当デビュー作」について当時を振り返りながら語ってもらい、マンガ家と編集者の関係や、編集者が作品に及ぼす影響などに迫る連載シリーズだ。
今回は、本連載史上、最も“黒い”編集者──もとい、アングラな世界をテーマにした作品やダークな作品の編集を得意とする、講談社の若きエース編集者・白木英美氏に迫る。ヤンマガを牽引する人気作「満州アヘンスクワッド」「ねずみの初恋」「邪神の弁当屋さん」などを担当し、2024年に始動したヤングマガジンのYouTubeチャンネル「ヤンマガ日常ch」では、「白木氏の超多忙な1日」に密着した動画も公開されるなど、名実ともに同誌の“顔”である白木氏。ヤンマガのカラーをさらに黒く塗り込めていく精力的な編集者は、これまでどんな人生を送り、どんな信念を持つのか──。
オンラインで行われたインタビューであり、筆者と白木氏は初対面だったが、そうとは思えないほど盛り上がった取材。回答がいちいち面白く、こちらからもツッコミを入れたくなるラリーの応酬。一朝一夕で身につくものではない、天性の磁力。いつまでも話していたくなるような不思議な魅力に富んだ白木氏のロングインタビューをお届けする。
取材・
“性癖を歪められた”音無響子という女
少年・白木氏が育ったのは茨城県。最寄りの駅まで徒歩1時間くらいかかる“山の上”で暮らしていた。
「サッカー少年団に入っていて、絵を描くことも好きな子供でした。母がマンガ好きだったので、家の本棚はマンガで埋め尽くされていて、そこから取って読む。そんな感じでマンガ好きになりました。小学校の卒業アルバムの『将来の夢』欄には『マンガ家』と書いてありましたね。
母が高橋留美子先生のファンだった影響で、僕も『らんま1/2』や『めぞん一刻』、あとは、『動物のお医者さん』(佐々木倫子)なんかを読んでいて。それ以外で好きだったのは、父が読んでいた『栄光なき天才たち』(森田信吾)。父の影響で『火の鳥』(手塚治虫)や『美味しんぼ』(原作:雁屋哲、作画:花咲アキラ)も読んでいました。自分でも『サイコメトラーEIJI』(原作:安童夕馬、漫画:朝基まさし)とか『GTO』(藤沢とおる)を本棚に追加していきました」
女性向けマンガに青年マンガと垣根なく読んでいった。年齢相応にジャンプも好きだったという。人生で一番影響受けたマンガは「『めぞん一刻』か『SLAM DUNK』(井上雄彦)」。
「意外だと言われるんですが、僕、会社に入るまではヤンマガとは無縁の人間でした。学生時代はラブコメとかスポーツマンガが好きで、特に好きだったのが『めぞん一刻』。先生の描く女の子がかわいいと思いつつ、音無響子さんに性癖を歪められましたね。まさに高嶺の花で、五代くんに感情移入して読んでいました。僕はすれ違いが起きるラブコメがすごく好きなんですけど、その原点だと思います」
名作、「めぞん一刻」。一刻館に下宿する貧乏浪人生・五代裕作のもとに、新しい管理人である音無響子がやって来る。恋心をつのらせる五代だが、響子の心を占めるのは、結婚半年でこの世を去った夫への思いで──。ビッグコミックスピリッツ創刊号(小学館)である1980年11月号から連載を開始し、それから半世紀(!)経とうかという令和の現在でも、多くの人の胸に残り続ける、高橋の初期代表作であり、青春ラブコメの金字塔的作品だ。
「あくまで個人的な意見ですが、僕は今のラブコメって優しすぎると思っている。すでに付き合っている状態から、その愛を深めていく、みたいなパターンも多くて、すれ違いも起こらない。でも僕は『すれ違ってほしい!』とずっと思っていて(笑)。『恋愛ってこんなにつらいことも起こるんだ……!』みたいな、きつい恋愛を見ていたいんです。『めぞん一刻』はもちろん、『I"s』(桂正和)に夢中になっていたことも起因している気がします(笑)」
甘さではもの足らず、恋愛のもたらす苦しさ、しんどさが欲しい──。いや、むしろつらさが恋愛を一層甘く、切なくする。議論を先取りすると、まさにその指向が、大ヒット作「ねずみの初恋」につながっていったのかもしれない。
さて、マンガ家を夢見る白木少年のマンガ家としての理想は、「とにかく絵がカッコいい」という理由で井上雄彦だった。目指すのをやめたのは、1つ上の兄の影響があったという。いわく、兄は「僕から見ると天才。サッカー部で運動神経が良くて、イケメンでヤンキーだけど、成績は学年で一番」という、まさにマンガの主人公みたいな存在。
「そのマンガの主人公の下に、僕が平々凡々に生まれてきちゃった。だから子供のときに、『自分は才能がある側じゃないな』ってどこかで思っちゃったんですよね。多分、自分は井上先生みたいな天才にはなれないだろうという気持ちがあって、ふと諦めたのかなと」
少し切なくも聞こえる話だが、そうした思いや経験は、今の白木氏が持つ美点や魅力につながっているように思える。兄とは今もとても仲が良いという。マンガ家を目指すのをやめた白木氏が情熱を傾けたのは、部活だった。
「僕は、ひたすらスポーツをやっていた人間なんです。サッカー、バスケ、ハンドボール、大学でラグビー。『SLAM DUNK』を読んで部活っていいなと思ったし、編集者になりたいと思ったのも、やっぱりスポーツマンガに受けた影響が大きかった。
講談社に入りたかったのも、スポ根文化の影響が大きかったんです。マガジンで連載していた作品だと『ダイヤのA』(寺嶋裕二)や『あひるの空』(日向武史)が代表的ですが、『天才ではない主人公が努力で成り上がる』という描き方が好きだったんですよ。必殺技を基本的には使わず、敗北もしっかり描く。講談社の作品は、挫折を経ての成長を描くのがすごく上手だと思っていたから、講談社に入りたいと思っていました。僕は高校のときにジャンプからマガジン派になったんですけど、移行するにあたって、講談社のそういう点が自分に合っていたのではと思っています」
若かりし読者の段階で、出版社によってスポーツマンガの組み立てやカラーが異なることに気づいていたとは驚きだ。大学は東京外語大に進学し、ロシア語を専攻。モスクワ大学に1年留学した。
「ロシア語を選んだのは、ロシアに興味があったからというより、単純に一番難しい言語をやってみたい気持ちがあったから。僕、1回自分を追い込む癖があって、めっちゃムズいところからやってみよう!とロシア語を選んだんです。だけど、大学に入ってみたらもっと難しい言葉が普通にあって、『あれ、ちゃうやん!』となりました(笑)」
“わけがわからない試験”をヤケクソ突破した就活
留学と留年を経た、合計6年間の大学生活。就活では、講談社と小学館で出版社を2社、あとは商社やメーカー、海運を中心に受けていたという。
「出版がめちゃくちゃ倍率高いってことだけは聞いていたので、第一希望でしたが出版は正直ダメ元の気持ちで受けていました。出版業界の就活って、商社とかに比べてわけがわからなかったですね。例えば商社の面接だと、形式通りの質問で『リーダー経験はありますか?』と聞かれて、『ありません』と答えたら、面接官がみんな一斉にバツをつける、みたいな。スペックで見られている感じ。そちらのほうが求められているものがわかりやすくて対策しやすかったですが、出版社はまったく対策していなかったのでかなり翻弄されました。
講談社や小学館の筆記試験は激ムズで、まったくできなかったのを覚えています。一般常識問題という、いわゆるSPIとは別の試験があるんですが、時事問題だけではなくて女性誌とかの知識も問われるんです。『スカーフのこういう巻き方の名称は?』みたいな。こんなんわかるか!みたいな(笑)。あまりにわからなくて、講談社の試験では、最後に作文があったからヤケクソで彼女に振られた話を書いたんです。ポエム調で『ロシア留学中、彼女を寝取られました』というエピソードを書いたら、それが面接官にすごく刺さったらしくて。次の面接では『ねえねえ、今どんな気持ち?』って聞かれたんですよ(笑)。それで、すごく面白い会社だなと思いました」
筆記試験はスットコ(予想)だが、作文で一風変わったエッセイを書いてきた候補者を残す──。曲者を好む、出版社ではありえそうなエピソードだ。
「出版社の面接では、『どんな企画がやりたいの?』と聞かれることが多いと思います。だけど僕はそうした常識をまったく知らず、『企画って持ってこないとダメなんですか?』みたいなリアクションしたら、面接官が2人とも『え!?』みたいな感じになって(笑)。でも逆に面白いって思ってもらえたのか、『じゃあ好きなマンガでいいから教えて』と言われて、『ヤバい、捨てられる!』と思って一生懸命話しました」
「挫折からの勝利」のストーリーを好む白木氏だが、それを地で行くような人生だ。
治安の悪い人たちが巣食う部署=ヤングマガジン編集部へ
2014年、念願叶い講談社に入社した白木氏。希望部署は、週刊少年マガジン編集部かモーニング編集部だった。
「マガジンでは『ダイヤのA』や『あひるの空』、『ベイビーステップ』(勝木光)のようなスポ根もの、モーニングでは『宇宙兄弟』(小山宙哉)、『GIANT KILLING』(ツジトモ)、『ブラックジャックによろしく』(佐藤秀峰)みたいなお仕事ものに携われればと思っていました。モーニングのお仕事ものって超カッコいいな!という気持ちがありましたね」
ところが蓋を開けてみると、その2誌とはかなり毛色が違うヤングマガジンに配属となった。
「人事部から『君はヤンマガ!』って言われて『え?』って。うれしい3:困惑7みたいな気持ちでしたね(笑)。今でも覚えてるんですけど、ヤンマガ配属の日の部会で、会議室で四角形に並べられた席の前に出て僕がしゃべるんですけど、席にはドレッドヘアの人とモヒカンの人がいて、どちらも顔が怖かったんですよ。その人たちはみんなヤンマガの部員で、なんなら同じタイミングでヤンマガに異動してきた人も顔が怖かった(笑)。『俺はなんてところに来てしまったんだ……』という気持ち、強烈に覚えていますね」
治安の悪い見てくれの、コワモテ編集部(現在は女性部員も4人いて、柔和な雰囲気に変わっているそうだ)。それまでヤンマガをまったく読んだことがなかったという白木氏。編集者のキャリアをスタートした新人時代は、「脳が思い出すのを拒否する」くらい、大変な日々だった。新人・白木氏が担当したのは、「賭博堕天録カイジ ワン・ポーカー編」(
「全部で5作品を担当して、グラビア以外の記事ページも膨大にあったんですが、特にその2つが時間的にものすごく大変だったんですよね。どちらの仕事も楽しかったんですけど、グラビアは急に朝6時からロケが入ってその日1日潰れることもあるし、福本先生の打ち合わせは夜22時くらいから入ることも多い。その2つだけでけっこうパンパンだったんです。ただ、“せっかくマンガ編集者になったからには新作も立ち上げたい!”と思い、必死こいて新人作家さんと打ち合わせをしていたのが、1年目ですね」
そして福本の担当で忘れられないのは、「1回、ネーム描いてきて」と言われたこと。
「もちろん『お前が話を作れ』という意味じゃなくて、『1回描いてみて、俺のと比べてみよう』と。要は、ネームを描くのがどれだけ大変かを1回体感してみてほしいということだと思います。福本先生にネームを見ていただけるなんてかなり貴重な機会なので、徹夜で描いて自分なりのベストを持っていったんですが、当然結果はまったくダメで(笑)、さすが福本先生という感じでしたね。自分にとってはすごくいい経験でした。福本先生やマンガ家の方々をよりリスペクトするようになりましたし、ネーム1つでもこれだけの時間がかかるんだ!というのが身にしみました」
今度は、福本作品を地で行くようなエピソードだ。そんな福本には、一度だけ褒められたという。
「『お前は作品に対して嘘はつかないよね。そこは続けてね、信用してるよ』という旨のこと言っていただいたんです。打ち合わせを終えてタクシーで帰るときに、泣きそうになりました(笑)。うれしかったですね、あの日は」
「エグい作品といえば白木」の原点……「生贄投票」
Young Player @lifelinewithme
@comic_natalie Behind every manga, an editor