マンガ編集者の原点 Vol.9 [バックナンバー]
「あさひなぐ」「ダンス・ダンス・ダンスール」の生川遥(小学館ビッグコミックオリジナル編集部)
やれることはなんでもやる
2022年11月30日 16:00 4
天才・東村アキコ「数時間で50ページ」ネームのすさまじい速さ
さまざまな作家との仕事を振り返り、自らを「作家運があり、天才としか仕事していない」と語る生川氏。その中でもすさまじかった天才の例として、
「『雪花の虎』という上杉謙信が主人公のマンガを準備していたときのことです。舞台となる上越に一緒に取材に行って、城跡や山を見たりして1日歩き回ったのですが、次の日の夜に、50ページ以上の第1話のネームを見せられたのには驚きました。しかも、東村さんは当時『東京タラレバ娘』を連載中で、同じ日の昼間に『タラレバ』の原稿を30~40枚くらい描いたともおっしゃっていて……。取材に行った翌日で疲れているはずなのに、その仕事量って……ちょっと意味がわかりませんでしたね。規格外にすべてが速い。
50ページのネームを数時間で仕上げてくるのがまずおかしいですし、あのときは常識が壊れるなというくらいの驚きがありました。東村さんは頭の回転も手も速いだけでなく、マルチタスクができる人なので、しゃべりながらネームを描けるという稀有な人です。作画中にしゃべりながら手を動かす作家さんは多いですが、さすがにネームもできる方というのはほとんど聞いたことがないですね。いろんなタイプの才能を持つ方がいますが、東村さんはまぎれもなく天才だなと思います」
数々の逸話を持つ作家、東村アキコにまた新たな伝説が加わった。『雪花の虎』は2015年から連載された、東村にとって初となる歴史マンガ。上杉謙信が女性だったという説に基づいた大河のため、通常のフィクションよりもネームも複雑だと思うのだが……恐ろしい作家である。
「2016年に、浦沢直樹さんの個展があって、その際に公式ガイドブック『描いて描いて描きまくる』を作らせていただいたのもいい経験でした。浦沢さんにこれまでの連載作の創作秘話などについて14万5000字にのぼる超ロングインタビューをさせてもらったんですが、マンガ作りにおいて大事なこと、ヒントになることがほとんどすべて詰まった本になっていると思います。浦沢さんは分析力と言語化能力も超一流なので、10年以上にわたって浦沢さんを担当させていただいていることで、どれだけ鍛えていただいたか計り知れません」
面白さとは「脳が喜ぶかどうか」
さて、これまで星の数ほどマンガを読み、ネームを見ている生川氏に、「面白いって何?」と問うてみた。答えはシンプルで身体的。「理屈じゃない」と語る。
「面白さって、最初にネームを読んだときに脳が喜ぶかどうかでしかなくて。ページをめくって、『あーもうオーケー!』ってなる感覚が1話の中に最低1カ所あるかどうか、読み終わったときに『面白かった!』っていう感覚があるかどうかがすべてだなと思います。それはコマ割りやセリフ、テンポなどが作用し合って生まれるグルーヴ感みたいなものだと思うんですよね。音楽のライブとも似ていて、理屈じゃなくてグルーヴ感があるか、場の熱気に観客が呼応したときにのみ生まれる感覚と等しいものがある。同じアーティストの同じツアーであっても、今ひとつなライブといいライブってあるじゃないですか。それはライブを構成している複数の要素の化学反応の結果なんですよね。体でわかる感じがしています。
だから、読んだときにその感覚があるかどうかにすべてがかかっていて、それがないと『何が足りないんだろう?』って考えますし、逆に言うとそこさえあればあとは破綻していてもいい。整えることは後からいくらでもできますから」
常々、面白い作品や推しは「脳の栄養」だと思っているが、生川氏の「脳が喜ぶ」感覚に似ているのかもしれない。そんな氏が編集者として大事にしているのは、「作家がすべて」という一言に尽きるという。
「マンガは、とにかくマンガ家さんがいないと始まらないんですよ。だから、マンガ家さんが一番いいパフォーマンスするためには何ができるのかを考え抜いて、そのためなら、私はなんでもやります。アイデアを求められれば当然必死に考えますし、資料集めや取材の手配ももちろんやる。同じように、プライベートのお手伝いをすることで時間が空いて、その間に作品に集中できるのであれば私が代わりにやる、というだけです。
やっぱりマンガを描いて世に発表するってとてつもないエネルギーがいることで、もちろん物理的にもそうだし、精神的にもめちゃめちゃ削られるんですよね。今はSNSがあるから、良くも悪くもいろんな反響を目にすることができる。叩かれても嫌だし、反響がないならないでへこむ。そうした部分も作家さんは1人で引き受けていて、すごくしんどいんです。それらを抱えながら、自分の名前で発表し続けている人たちへのリスペクトがすごくあるので、その努力や葛藤をないがしろにしたくないと思っています。
『俺がこの作品を作ったんだ』みたいなことを自信満々で言える編集者にはどうしたってなれないんですよ。なりたくもないですが(笑)。作家さんがいないと何も始まらない仕事ですから。ただ、私もどうしても人間なので、惚れた作家さんのためじゃないとがんばれないというのもあって、本当に好きで才能があると思っているからこそできる仕事のやり方だなと思います。そう思える作家さんたちを担当させてもらえていることは、心底ラッキーだなと思いますね。セールス的な部分も含めて、作家さんがその作品を描くことによってご自身も報われるというか、描いてよかったなと思っていただけるように仕事をしたい。その先にはきっと、喜んでくれる読者がいるんだと思っています。逆に言えば、読者が喜ばないと作家は満足しないので、そこは表裏一体だとも思います」
編集者にとってはトライアンドエラーでも……
自分が惚れ込んだ作家へのとめどないリスペクトと、その先の読者を見つめるまっすぐな視線──編集者としての誠実な振る舞いに頭が下がる思いだ。現在生川氏は、ビッグコミックオリジナルで複数の作品を担当している。リチャード・ウー原作、
「図らずも、現在担当している『卑弥呼』と『セシルの女王』が、2作とも女王を主人公にした作品です。『卑弥呼』は異動したときに引き継がせてもらった作品で、リチャード・ウーさんこと長崎尚志さん原作、中村真理子さん作画の歴史大作です。もともと編集者だった長崎さんは歴史を含めとにかくいろんなことに造詣が深く、『魏志倭人伝』や『日本書紀』、『古事記』などからいろんなエピソードを引っ張ってきながら、邪馬台国=九州説に基づいてこのお話を組み立てています。
邪馬台国の女王・卑弥呼って、一般的には呪術を使う祈祷師みたいなイメージが強いと思います。だけど、本作では兵法を駆使し、自らの頭の良さで道を切り拓きながらカリスマになった好戦的な女として卑弥呼を描いていて、強い女が実力でのし上がっていく話です。登場するエピソードには歴史的な文書からの裏付けがきちんとあることが多いので、歴史ファンからすると何倍にも楽しめる作品ですが、何も知らなくても、新しい卑弥呼像にワクワクさせられるお話なので、ぜひ読んでいただきたいと思います。現在11巻まで出ています」
続いて、「セシルの女王」のこざきとは、前作「あさひなぐ」からの付き合いだ。
「2年前に『あさひなぐ』が完結したタイミングでちょうど私がオリジナルに異動になり、こざきさんも一緒に移籍してきていただいた形になります。『セシル』は始まったばかりでもうすぐ3巻が出るところ。こざきさんって、登場人物たちの感情を描くのが鬼のようにうまいんですよ。『あさひなぐ』も薙刀マンガというスポーツもののふりをした女子たちの感情爆発バトルみたいなところがありましたが(笑)、歴史上のキャラクターたちの感情をまるで友達のように身近に感じられる形で描いたら、誰も見たことのない歴史マンガになるんじゃないかという目論見でスタートしました。
16世紀のイングランドを舞台にした、エリザベス1世と彼女を支えた忠臣の物語で、絶対君主・ヘンリー8世の2番目の妻である王妃アン・ブーリンとある少年の出会いから始まるんですが、歴史上の出来事なのに、友達の話を聞いているみたいなリアリティで、読者も一緒に悲しんだり喜んだりできるような作品になっていると思います。歴史ものがとっつきにくくて苦手とか、世界史は全然わからないという人も絶対に楽しめると思うので、ぜひ読んでいただきたい作品です」
そんな生川氏の野望はシンプル。大ヒットを作ることだ。
「マンガ編集者の野望は大ヒットを作ること以外ないんですよ。担当する作品は常に大ヒットしろ!って思いながらやっています。それが結果として作家さんに返ってくることになるので、その目標はブレずにやり続けたいですね」
編集者人生の中で、「ヒット作のための条件」についてわかっていることはあるのだろうか? ここでも、生川氏の頼もしいスタンス「なんでもやる」が聞けた。
「うーん、それがわかるなら教えてほしいです(笑)。繰り返しになりますが、私はやれることはなんでもやる、と思っています。マンガは昔に比べて刊行点数がとにかく増えていて、この15年くらいで2倍以上になっています。それは1点あたりの売り上げが減ってきているから、刊行点数を増やして売り上げを保とうという出版業界全体の流れがあったり、Webサイトなどマンガを掲載する媒体が増えていたり……とにかく単行本がたくさん出て1点1点が埋もれちゃう中で、どうやって目立っていくか。その話にどうしてもなってしまう。
考えられる限りのことは全部やっているつもりなんです。1巻目の引きをこうしたら?から始まって、いろいろと挑戦する。だからといって必ずしも売れるわけではない。編集者はトライアンドエラーだと割り切れますけど、作家さんはその作品に何年も人生をかけているので、『トライアンドエラーされてたまるかよ!』っていう立場じゃないですか。その意味で、編集者が本当にがんばらないといけないし、やれることはやらないと、と思います。可能性が少しでもあるならと思いながら、日々足掻き続けていきたいです」
生川遥(オイカワハルカ)
2005年に小学館に入社。週刊ビッグコミックスピリッツ編集部に15年間在籍したのち、2020年にビッグコミックオリジナル編集部に異動。主な担当作品に浦沢直樹「あさドラ!」、
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オリジナルのオイカワです。 @harcoikawa2
は、気付かぬ間に公開されていた……漫画編集者として新人の頃の担当作を中心にお話しさせていただきました。お時間ございましたら是非ー! https://t.co/cSVmlbekj6