
マンガ編集者の原点 Vol.18 [バックナンバー]
「ミステリと言う勿れ」「マロニエ王国の七人の騎士」の永田裕紀子(小学館 月刊flowers編集部)
マンガ家たちからの信頼厚い、医師免許を持つ異色の編集者
2025年6月9日 15:10 1
マンガ家が作品を発表するのに、経験豊富なマンガ編集者の存在は重要だ。しかし誰にでも“初めて”がある。ヒット作を輩出してきた優秀な編集者も、成功だけではない経験を経ているはず。名作を生み出す売れっ子編集者が、最初にどんな連載作品を手がけたのか──いわば「担当デビュー作」について当時を振り返りながら語ってもらい、マンガ家と編集者の関係や、編集者が作品に及ぼす影響などに迫る連載シリーズだ。
今回は、月刊flowers(小学館)の永田裕紀子氏が登場。
取材・
マンガが大好きな少女は、なぜ医学部に入ったのか
大分県出身の永田氏。開業医の次女として生まれ、住まいは病院の上だった。
「あまりテレビをつける家ではなかったこともあり、私の興味はマンガや本に“全振り”でした。病院の待合室には手塚治虫先生の作品が揃っていて、それを全部読んだのが最初のマンガ体験だった気がします。『火の鳥』『アポロの歌』『MW(ムウ)』『奇子(あやこ)』『陽だまりの樹』など、今思うと子供にはちょっと早いものもありました(笑)」
やがて少女マンガを愛読するようになり、「タッジー・マッジー」(山口美由紀)や「ぼくの地球を守って」(日渡早紀)、「アーシアン」「源氏」(高河ゆん)、「月の子」(清水玲子)、「海の闇、月の影」(篠原千絵)、CLAMP作品など、マンガ好きとして順調に成長していく。学園ラブよりファンタジーが好きだったという永田氏は、アニメも好きで「ふしぎの海のナディア」や「新世紀エヴァンゲリオン」にもハマった。そしてあるとき、マンガという創作物に関してショックを受ける。
「マンガに描いてある出来事はどこか別の世界で実際に起こっていることだと思ってました。子供だったせいか、あまり現実とフィクションの境目がわかってなくて。でもある日、何かのきっかけで『これ人が描いてるの? この枠の線って人が定規で引いてるの!?』と衝撃を受けたのを覚えています。小学生の頃でした」
中高生では、のちに担当することになる田村由美の「BASARA」に出会い、夢中になっていたという。こうしてマンガやアニメなど、物語にのめりこむ少女時代を経たものの、進学校をスイスイと進んできた永田氏は、あまり深く考えることなく大学の医学部に入学してしまう。
「自分でも視野が狭かったと思うのですが、進学校で勉強漬けだったので、大学に入ること自体がゴールになってしまっていて、そのあとの人生を考えていなくて。勉強したら成績が上がるのがスポーツみたいな感覚でそれほど苦ではなかったんです。なので、あまり何も考えずに医学部に入ってしまった。というのも、例えば親が会社勤めだった場合、大学を出たらどこかに就職するという選択肢もイメージできると思うんです。ただ私の場合は家が開業医で、病院の上に住んでいたから父親の通勤姿を見たことがなくて、自分がお医者さん“以外”で働く姿をイメージできていなかった。
それで、勉強をワーっとがんばって医学部に入った後に、『この後も人生が続くんだ……!』と気づくという(苦笑)。九州の大学だったのですが、入学した後に初めて将来何になるかを考えました」
医師免許を持ちながら、エンタメ業界を目指し就職活動
マンガやアニメ好きが高じて「エンタメ系で仕事をしてみたい」という思いを強く持つようになった永田氏。学生時代、アメリカ・フロリダ州の「Give Kids The World Village」という難病の子供と家族たちが滞在するアクティビティ施設で自ら応募してボランティアとして働き、エンタメが持つ力を改めて実感する。同級生と同じように医者の道には進まず、大学5年で就活を始めた。ただし、医師免許は取得したというから流石である。意外なことに、医学部を経て医者ではない道を目指すことについて、親からの反対はなかったという。
「本音では医師になってほしかった部分もあると思うのですが、『医師免許さえ取ってくれれば、あとは自由にしていい』と言われました。ありがたかったですね。ただ、小さい頃から『1人でも生きていけるように、手に職はつけておいてほしい』とは言われていました。
エンタメ関係で就活を始めたものの、小・集・講(小学館・集英社・講談社)は全部落ちて、白泉社はその年採用がなく、KADOKAWAも落ちまして。一緒に受けていたキャラクターグッズの制作会社に新卒で入ることになりました」
「エンタメ系の仕事がしたい」という夢を見事叶え、新卒でキャラクターグッズの営業として社会人スタートを切った。
「その会社は小学館や集英社、講談社の仕事もしていたので、出版社の垣根なくキャラクターグッズを作る仕事に携わりました。新卒で入ったので、仕事のノウハウを一から教えてもらって、本当に感謝しています。ただ、これもまた入る前に気づけという感じなんですが、すでに完成したキャラクターを広げるよりも、そのキャラクター自体を生み出す場所で働きたいと思うようになりました」
どうも永田氏は、動きながら考えるタイプのようだ。方向性を決めて突き進み、行動することによって「今やっていること」と「やりたいこと」の差分をゼロに近づけていく、そんな印象だ。ちなみに、そんな永田氏にこれまで「ガチハマリ」したキャラや作品を聞いてみたところ、意外な答えが返ってきた。
「『新世紀エヴァンゲリオン』で人生が変わったと思います。特にアスカというキャラにずっと感情移入してて。高校時代に上映された劇場版(『新世紀エヴァンゲリオン劇場版Air /まごころを、君に』)は100回以上観て、『作品とは一体誰のものか?』とエンタメと受け手の関係についてずっと考えてました。『ナディア』から『エヴァ』、実写の『ラブ&ポップ』まで、庵野秀明監督の手法に自分はすごく影響を受けていて、自分が何かの作品に触れて“気持ちいい”と感じる根っこは、監督の映像作品から来ていると思います。
ただ、だからといってアニメ業界で働きたいとは思わなかったんです。アニメは何百人という人が関わり化学反応が起きて素晴らしい作品ができると思うんですが、自分は絵を描きたいわけでも脚本を書きたいわけでもない。自分自身がマンガ家になりたいと思ったことも一度もないんです。一方でマンガだと、基本はマンガ家さん1人で世界を作って、編集者もサイドにいて最大2人なので、より強く作家性が作品に反映されるのが魅力で自分には合っていると思いました」
ちなみにアスカ然り、永田氏が好きなキャラにはある傾向がある。それは、“がんばる女の子”像だ。
「『BASARA』の更紗、そして氷室冴子先生の『なんて素敵にジャパネスク』の瑠璃がドーンと来ました。女の子ががんばって、歯を食いしばって自分の足で立つ姿を応援したくなるんです。『エヴァ』のアスカは、こんなにがんばっているのにシンジに勝てないというしんどさがある。“がんばる女の子”にはいつも心打たれるので、私の少女マンガ好きの原点は、やっぱりそこな気がします」
初めての編集職 メディアワークス、スクウェア・エニックス時代
さて、永田氏のキャリアに話を戻そう。新卒で入社した会社でキャラクターグッズの営業職を経験し、「キャラクター自体を作る場所に行きたい」と改めてマンガ編集者を目指すようになった永田氏。2社目では出版社のメディアワークスに入社し、月刊電撃コミックガオ!で編集者としてのキャリアをスタートさせた。この頃手がけたのは、当時アニメ化されていたライトノベル「半分の月がのぼる空」(橋本紡)のコミカライズなど。ただ、当時のことは「忙しすぎて記憶がない」と語る。
「アニメやゲームコラボも多い雑誌で、毎号付録でフィギュアがついたり、いろいろな企画があったことは覚えています。『半分の月がのぼる空』はアニメ放送時期だったので、アフレコの取材をしたり。7日連続で会社に泊まってロッカーの裏で段ボールにくるまって寝るような生活でした。当時は若かったのでなんとか乗り切れましたが、本当に記憶がスポッと抜けています。ただ、初めてのマンガの現場だったので楽しかったですね」
第二新卒として、編集としてのいろはを教わった。
「今考えると、先輩方はよく私を放り出さずに根気強く教えてくださったと思います。第二新卒といっても中途採用みたいな立場だったので、いわゆる新入社員教育ではなく、いきなり現場に放り込まれてマンガ家さんとの打ち合せや声優さんの取材、みたいな世界でした。今考えたら本当に恥ずかしい出来事ばかりで申し訳なかったです」
その後、2度目の転職でスクウェア・エニックスに入社し、月刊少年ガンガン編集部に配属。当時は「鋼の錬金術師」(荒川弘)のアニメが放送されていたり、「ひぐらしのなく頃に」のコミカライズが連載されていた頃で、雑誌はバブル状態だったという。
「毎月ハガレンの付録がついて本当に盛り上がっていました。私は新人作家さんを担当したり、『ひぐらしのなく頃に』や『ファイナルファンタジー』の記事を作ったりしてました。少年ガンガンはゲーム会社の出版部門なので出版社とも雰囲気は多少違っていたように思います。ただ、少女マンガ誌自体がないので、自分が一番やりたい少女マンガはできないことにもどかしさも感じていました」
初めて医者として働く
スクエニを辞めて3度目の転職に成功し、永田氏は念願の少女マンガを担当するように──とはいかない。永田氏はここに来て、編集者としてではなく、医者として働く選択をする。
「一番やりたい少女マンガに携われないことに少し疲れてしまって。ここで一度編集の仕事には区切りをつけようと、都内の総合病院で医師として働き始めました」
当然、筆者のまわりには同じようなキャリアの人がいないので、医師免許があれば、別の職業を経てからでも医師として働くという選択をする人もいることを初めて知った。医師としてのキャリアでいくと「医大を卒業したての新人」である永田氏は、国家試験合格後の初期研修として、さまざまな診療科をローテーションする研修医として働くようになる。
「救急部門で当直したり、色々な科を回りました。勤めていた総合病院では、路上生活者の方やヤクザの組長が入院されていたり、縊死で自殺された方の現場に行って処置をする傍らでご家族の修羅場に直面したこともありました。本当に事実は小説より奇なりという出来事ばかりで……。今でも、現実はままならないからこそ、きれいごとに見えたとしてもせめてエンタメの中では夢を描いてほしい、それを届けたいと思っています」
ときに過酷な現場を経験しつつも、病院での仕事は楽しかったという。だがある日、小学館が久しぶりに中途採用を開始することを偶然知る。
「ほかの出版社の中途採用は年齢制限が厳しめなのですが、小学館はそのときの自分でも受けられるくらいの条件でした。なにより小学館には少女マンガ誌があることが大きかった。自分は田村由美先生や吉田秋生先生、さいとうちほ先生や渡辺多恵子先生の作品が大好きだったので、『これが最後のチャンスだ、これで落ちたら医師として生きていこう』という思いで受けました」
自分がもしも面接官なら、履歴書の資格欄に「医師免許」の文字を見ると驚くだろう。だが、小学館の面接では「珍しいね」と言われた程度だった。
「自分でも、医師免許を持っていることがマンガ編集の役に立つとは思っていなかったので、それを何かアピールするつもりはまったくありませんでした。職歴欄や資格欄があったから書いた程度で……。むしろ印象的だったのは、エントリーシートの『あなたが読んでいる雑誌と、それらのよいところ・悪いところを書いてください』という課題で、10個くらい枠があったのを自分で勝手に線を引いて20個くらいに増やしてたくさん書いたのですが、面接でそこに注目されたことです。というのも私は雑誌文化で育ったので、サンデー、ジャンプ、マガジンに、女性誌やファッション誌、カルチャー誌に経済誌と、いろんなジャンルの雑誌を月に数十冊購入して読んでいたんです。
採用された後で、面接してくれた会社の偉い人から『君、雑誌いっぱい読んでたから採ったよ』と言われました。本当かどうかはわかりませんが(笑)。」
採用される側にもする側にも、出版文化への愛を感じるエピソードだ。
念願の少女マンガ編集部へ!
紆余曲折を経て、2007年に晴れて小学館に入社し、まずは週刊ヤングサンデーに配属される。
「『今日恋』は4巻あたりから担当させてもらいました。水波先生はすごく人気の作家さんなので、『なぜ少女マンガが初めての私が?』と驚いたのを覚えています。作品に対してとても真摯な方で、お話作りはもちろん、絵に対する情熱がとても強かったですね。取材も本当に丹念にされていて、一緒に波照間島に取材に行ったこともあります」
「今日恋」は、Sho-Comiで2007年から2011年まで連載されていた作品で、水波の代表作の1つである。ヒロインは、自分にはおしゃれは似合わないと思い込んでいる超地味な高校生・つばき。高校の入学式の日に、軽薄そうなロン毛男・京汰の隣の席になるが、ひょんなことから絡まれて激昂しまい、京汰の自慢のロン毛をばっさり切ってしまう──と、第1話はかなりパンチの効いた出会いから始まる。性格は水と油の2人が、徐々に心を通わせていくというストーリー。2010年にはアニメ化、2012年には武井咲と松坂桃李主演で映画化され、コミックスも累計1000万部を超える大ヒットとなった。
「少女マンガに来て驚いたのは下絵チェックがあることでした。私がそれまでいた少年・青年マンガでは、打ち合わせをしたらプロットやネーム、次はもう原稿が届くという段取りで、ネームの後に下絵チェックが入るのが初めて。先輩に理由を聞いたら、『少女マンガは表情が命。恋に落ちたり、言葉にならなくても切ない思いがあふれるような、ここぞというシーンでは表情ひとつで印象ががらっと変わってしまうから、必ずチェックする』と言われて、納得しました」
初めての少女マンガ編集の現場でのびのびと仕事をする永田氏の姿が目に浮かぶ。「今日恋」が2012年に実写映画化された際に、同作のプロデューサーと交わした忘れられない言葉があるという。
「とにかく作品を知ってもらわないと始まらない、と。特に映画は観る作品を決めずに映画館に来る人も多いから、『週末、何観ようかな』と思ったときに存在を知っておいてもらわないと選択肢にすら入れてもらえない。だから、とにかく知ってもらうこと、宣伝が何より大事なんだとおっしゃっていて、目から鱗でした。
というのも、当時の私は『いい作品なら必ず売れるはず』と勘違いしていたところがあって。でも当然それだけでは駄目で、作品の面白さはもちろんですが、同じくらい宣伝やパッケージングが大事なんだと教えられました。出版社の意義って、そこにもあるのかなと。作家さんが持つ作家性は様々なので、それが食材だとしたら、それを中華なのかイタリアンなのか、はたまた和食で読者にお出しするのかを考えます。でもどんなに美味しい料理でも、タッパーで出てくるよりも、美しいお皿にキレイに盛り付けてあったほうがより多くの方に手を伸ばしてもらえますよね。それと同じで、コミックスのカバーを含めたパッケージングは大事だと痛感しました」
コンテンツの量が膨大となり、消費も手軽になった現代、読者に選んでもらうためのパッケージや宣伝の工夫は必須となった。
「編集者は本が売れなくても給料が出ますが、作家さんは売れないと本当に経済的に困ってしまう。作家さんがSNSやpixivでも作品を発表できる時代になぜ出版社で描いてもらえるのかというと、編集部のサポートに加えて、培ってきた宣伝や販促があるという部分は大きいと思います。『いいものを描いてもらいさえすれば必ず売れる』と思っていた当時の自分を叱り飛ばしたいですね(苦笑)」
岩本ナオからもらった感涙のメッセージ
コミックナタリー @comic_natalie
編集者が“担当デビュー作”を語るコラム【マンガ編集者の原点】
第18回は田村由美、岩本ナオ、さいとうちほ、絹田村子らflowersを代表する作家陣を担当してきた永田裕紀子氏が登場。
医師免許を持つという異色の編集者の、ライフヒストリーと編集道に迫った。
https://t.co/yLNwgzTJBK https://t.co/ZGAk9zQYd7