イラスト:旧都なぎ(ALGL)

コミティア―マンガの未来のために今できること 第2回 [バックナンバー]

コミティアの歴史

存続が危ぶまれる今、問い直される「コミティアとは何か」

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「ティアズマガジン」の充実化と原画展増加

中村代表は13年間、手伝いを含めると15年間在籍したぱふを1993年8月号で退社。31歳でコミティアに専念することとなる。1992年の第24回から購入が必須となった「ティアズマガジン」はますます情報誌化し、商業作家や雑誌編集者へのインタビューの増加、誌上で「コミティアVSコミケット」の議論を白熱させたりと、安定しつつあったコミティアを揺さぶるような誌面づくりになっていく。メイン会場は東京流通センターのままだが、交通の便がいい池袋サンシャインシティを時々利用するようになった。

1990年代は、アニパロで一時代を築いた投稿雑誌・ファンロード(ラポート)投稿者が同人誌を出す際にコミティアに参加する例が少なくなかった。「ティアズマガジン」表紙イラストやイベント告知チラシは時代ごとのコミティアの象徴であると同時に、広く一般に向けてアピールする役割を担っており、プロ・アマ問わずさまざまな作家が起用されているのだが、第25回表紙の志摩冬青(漆原友紀)氏、第26回表紙の立花晶氏、第32回チラシのこがわみさき氏、第37回チラシのこげどんぼ*氏、第39回チラシの亀井高秀氏、第40回チラシのシラトリユリ氏、第42回チラシの思い当たる氏、第43回表紙の犬上すくね氏、第49回チラシのぴぃたぁそると氏……といった人々はみなファンロード投稿者である。ファンロード関係以外で目立つ名前をあげると、第31回表紙を描いた山名沢湖氏は当時まだ商業デビュー2年前だが、同人誌「水素」が高く評価され注目を集めていた時期で、第33回表紙の野火ノビタ氏はコミティアをきっかけに榎本ナリコ名義で商業デビューしている。第46回チラシの冬目景氏は商業連載前の1994年からウエダハジメ氏、てん氏、若氏らと一緒にサークル・ながまる堂で同人誌を出していた。

1990年代後半からは企画展や原画展が目立ちはじめた。もともと会場が広くなったタイミングで、余ったスペースを有効活用するために生まれた苦肉の策だったが、一般層をコミティアに惹きつける新たな魅力となり、作家らにはプロの原画の線を見ることで刺激を受けてほしいという期待もあった。1995年の第33回では、BELNE氏、今市子氏、TONO氏など当時のコミティア常連サークルの作家が参加する商業誌・ネムキ(当時・朝日ソノラマ、現・朝日新聞出版)の原画展を含む関連企画が行われ、これをきっかけにマンガ雑誌単位での原画展も行われるようになる。ここには商業誌を受け入れていこうとする意図があり、作品にアマもプロもないというコミティアの考え方がある。もっとも昨今はデジタル作画が増えているため、アナログの原画展開催が難しくなってきているようだ。

過去に行われた原画展をざっとメモしておこう。作家単位では第8回=BELNE、第10回=安倍ひろみ、第27回=小林智美、黒沼オディール、第40回=村田蓮爾、第43回=作画グループ、第58回=兄弟仁義、第66回=今市子、第68回=芳崎せいむ、第69回=羽海野チカ、第72回=こうの史代、第77回=水野英子、第84回=西原理恵子、第104回=ながやす巧、第116回=諸星大二郎、BELNE……。マンガ雑誌単位では、第33回=ネムキ、第44回=ヤングキングアワーズ(少年画報社)、第46回=別冊少女コミック(小学館)、第49回=週刊少年チャンピオン(秋田書店)、第52回=ウルトラジャンプ(集英社)、第54回=コミックビーム(当時エンターブレイン、現KADOKAWA)、第80回=モーニング×アフタヌーン×イブニング(いずれも講談社)、第88回=アックス(青林工藝舎)、季刊エス+スモールエス(当時飛鳥新社、現復刊ドットコム)……。企画展は無数にあるが、近年で印象的だったのは第70回=岩田次夫読書会メモリアル、第97回=MGMメモリアル読書会、第104回=手塚治虫トリビュート展などがあげられる。

コミティアは1999年に第50回&15周年とキリのいい数字を迎え、会場は東京ビッグサイトをメインに移行。記念出版された「コミティア50thプレミアムブック」は、歴代「ティアズマガジン」の表紙とチラシのイラストをほぼすべて収録し、インタビューやメイキング記事、歴史を振り返った、この時点での集大成である。中村代表は「次は100回ですね」と皆に言われ〈その言葉を聞くとちょっと気が遠くなる〉と書く。カタログの挨拶に〈コミティアはいつもここにいます〉と書き続ける重みが増していくのだった。

「コミティア50thプレミアムブック」(美術出版社)

「コミティア50thプレミアムブック」(美術出版社)

出張マンガ編集部設置とイラスト本の増加

コミティアを次の段階に進めたのは2003年2月、第63回から始まった出張マンガ編集部の存在だろう。出版社に声をかけ、作品を見てもらう雑誌編集部スペースを設置したもの。当日はコミックビーム編集部に3時間待ちの行列ができるほど好評となり、当初は40誌にアプローチして10誌ほどだった出展も、現在は100誌近い編集部が参加。ほかの同人誌即売会も追随する人気企画となった。この背景には、雑誌への原稿持込が年々減少しているという事情もあるようで、自分から連絡するほど自信はないけど企画の一部で見てもらえるなら試してみたい、という潜在需要を掘り起こした点がよかったのだと思われる。実際に出張編集部をきっかけにデビューしたマンガ家も多いという。出張編集部コーナーの存在によって、趣味ではなくプロを目指すマンガ家の一群が可視化され、会場の雰囲気が少し変わったように感じられた。

2000年代を通してデジタル環境とインターネットの影響は小さくない。たとえばイラストメイキング記事が人気だった雑誌・コミッカーズ(美術出版社)は24号/2000年春号からCG入門講座を開始している。前年にも単発的に2回だけ入門記事はあったが、本格的な連載はこの号から。ここでのCGとはコンピュータで描いた絵という意味で、紙とペンではなくパソコンとペンタブの時代がやって来たのだ。この頃から同人誌印刷所がアナログ原稿以外にデータ入稿にも対応し、同人誌の作り方が変わっていくのである。同誌編集長だった天野昌直氏は2003年に新たに季刊エスを創刊。エスでは読者投稿イラストの審査員の一人として中村代表が不定期に参加しており、2006年・第78回では企画「『季刊エス』イラスト公開コンテスト」、2009年・第88回では「季刊S+SS メイキング&イラスト展」を開催するなど、コミティアと関わりが深い。

コミティアの申し込み枠にジャンル「イラスト」ができたのは2005年11月の第74回。2009年11月の第90回では、コミティアとタイアップする形で同じ会場にてpixivマーケットが開催。開設からまだ2年目だったイラストSNS・pixiv初の即売会企画で、お互いのパンフレットで相互入場可能だった。pixivに絵を投稿している若い描き手がコミティアに足を運ぶきっかけのひとつとなり、現在のコミティアでもっとも数の多い「イラスト本」の増加は、季刊エスとpixivマーケットの影響が大きい。

さて、2000年代のコミティアの大きなトピックとして、「夕凪の街」にまつわるエピソードも触れておきたい。1997年からサークル・の乃野屋で参加していたこうの史代氏は、週刊漫画アクション編集部から話を持ちかけられ、「夕凪の街」という作品を描き下ろす。おそらく8月の終戦日近くの号に載る予定だったものの、原爆と後遺症というテーマの繊細さゆえに編集部が掲載を迷っていた。そこで2003年8月末のコミティア第65回の見本誌コーナーに提出するために、こうの氏が1冊だけ閲覧用のコピー誌を制作。読書会で密かに話題を呼ぶ。そうこうしているうちに漫画アクションの休刊が決まり、「夕凪の街」は休刊直前の9月30日号に無事掲載される。ただ、週刊誌はすぐ店頭から消えてしまうため、改めて同年11月の第66回に同人誌で「夕凪の街」を販売。〈本年のマンガ界の最大の収穫〉と絶賛された本作は、ジュンク堂書店池袋本店のコミティア委託コーナーでも300冊近く売れ、その反響に驚いたアクション編集部が続編「桜の国」を依頼し、2004年に単行本化。第8回文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞を受賞するに至った。こうの氏は〈商業誌で発表できない可能性もあったけれど、その時はコミティアで出せば良いや〉と考えていたそうだが、ほかでダメならコミティアがある、という安心感が作家を支え、結果「夕凪の街」という作品の力がコミティアという場を通じて広まったことで、近年劇場アニメ化された「この世界の片隅に」までつながった、と考えるのは大げさではないだろう。

こうの史代「夕凪の街 桜の国」(双葉社)。本書は、カバーを取ると同人誌版「夕凪の街」の表紙イラストが登場する仕掛けになっている。

こうの史代「夕凪の街 桜の国」(双葉社)。本書は、カバーを取ると同人誌版「夕凪の街」の表紙イラストが登場する仕掛けになっている。

なお、ジュンク堂書店池袋本店のコミティア棚は、雑誌編集者が定期的にチェックしているといい、オノ・ナツメ氏の同人誌をここで見つけた編集者が連載を依頼し、マンガ・エロティクス・エフ(太田出版)掲載の出世作「リストランテ・パラディーゾ」につながるなど、即売会の外で影響力を持っている。

文化庁メディア芸術祭とオリンピック

2011年3月11日の東日本大震災の後の初開催である5月・第96回のコミティアは、参加をキャンセルしたサークルは30ほど。むしろ知人と会えた、開催されてよかったという反響が大きく、「場」の機能を再確認するきっかけとなる。そして2012年5月の記念すべき第100回は、5609サークル参加の過去最大規模で、ずっと出てなかったけど100回だから久しぶりに出てみたという懐かしいサークルも多数参加し、100回を祝した特別な同人誌がいくつも作られ、過去から現在までのコミティアが一堂に会したような珍しい回となった。それまで2000~3000サークル参加規模だったのが、100回を境に4000~5000サークル規模に変化。コミティアはますます巨大化していく。

第102回からは海外マンガフェスタが始まった。海外のマンガ家や出版社を招いて日本に紹介する催しで、運営事務局からの「コミティアで開催したい」というオファーから実現したもの。第1回では浦沢直樹氏と大友克洋氏を目玉に海外コミック作家を招いたトークライブが好評を得た。以降、2018年の第126回まで毎年秋のコミティアで定期開催されていた。

2010年代はコミティア参加作家の名前をコミティアの外で見かけることが多くなった時期だ。とくに文化庁メディア芸術祭マンガ部門などはコミティアを定期チェックしていると思わせる頻度である。先ほど触れたこうの史代以外にも、2007年にコミティア常連サークルであるメタ・パラダイムの白井弓子氏が同人誌「天顕祭」で第11回マンガ部門の奨励賞を受賞しているし、2011年の第15回から設けられたマンガ部門の新人賞に絞ってみても、第15回の西村ツチカ、第16回のおざわゆき田中相、第17回の今井哲也、第21回の板垣巴留増村十七、第22回の鶴谷香央理、第23回のイトイ圭和山やま……といった名前は、皆コミティアに出展経験のある作家である。

2013年にはこうした受賞作家を踏まえて、中村代表自身が第17回文化庁メディア芸術祭で功労賞を受賞。翌年の第107回コミティアで受賞記念企画「大中村展」が開催され、これまでの歩みを振り返る試みがなされた。2014年という年はちょうどコミティア30周年の年であり、2012年の100回記念から盛り上がりが続いていた。とくに大きな記念事業は、発行・コミティア実行委員会、発売・双葉社の形で刊行された「コミティア30thクロニクル」の出版だろう。コミティアで作品を発表した経験を持つ作家74人の同人誌時代の作品を全3冊・計2000ページのボリュームで収録した、コミティアの歴史を凝縮した貴重なシリーズである。正直なところ、これさえ読めばこの歴史原稿を読む必要がない。

「大中村展」パンフレットの小冊子。

「大中村展」パンフレットの小冊子。

2010年代後半のトピックは東京オリンピックの影響による会場問題である。2015年頃からネット上で懸念されていたが、2020年夏の東京オリンピック・パラリンピック開催によって、2019年4月から東京ビッグサイトの東展示棟が使用できなくなる。コミックマーケットをはじめ大規模同人誌即売会でよく使用される会場だけに影響は必至で、その対策を話し合い同人文化を盛り上げていくために、コミティアを含む同所を利用している7団体によって「DOUJIN JAPAN 2020」が組織された。

2020年の新型コロナウイルスと同人誌即売会

だが、結果として、2020年に入り、「DOUJIN JAPAN 2020」は東京オリンピックよりも新型コロナウイルス対策を話し合う場となっているようだ。東京オリンピックは現状2021年に延期となり、会場利用不可期間が延びたのに加えて、そもそも大人数で集まる密な即売会は開催について世間の理解を得づらい。同人誌即売会にもっとも逆風が吹いているのが2020年~2021年の状況といえる。コミティアは2020年の5月と9月の開催が中止となり、11月も見通しが立たないまま、クラウドファンディングに頼らざるを得ない存続の危機にあるのは、公式サイトなどで表明されているとおりだ。

同人誌即売会の今後を考えることは本稿の目的ではない。ただ、全部オンラインに移行すればいいというよくある意見には、手軽な決済手段をもたない若年層のこと、目当てのものだけでない「目的外」に出会う面白さ、全員がひとつの場所にいることの高揚感、未知の描き手と未知の読み手が直接対峙する少しの緊張感、などについて説明することになるだろう。同人誌即売会は東京だけの特権ではないし、探せば地方のどこにでもある。新型コロナの影響で開催できないのは大規模なものだけなので、興味があればまずは近場の小規模イベントに行ってみるといい。もしかしたら同人誌の本当の面白さに出会えるかもしれない。

コミティアの様子。

コミティアの様子。

同人誌の本当の面白さ、とは何か。それは「創作の野性」である。これはかつてBELNE氏が同人誌にあって商業誌にはないものとして語った言葉だが(ぱふ1985年2月号)、万人のために整えることをしていない、自分が作ったものをそのまま届けたいという意志が生み落とすむき出しの表現。商業媒体に行くときっと失われるもの。それが山ほど待ち受けているのが同人誌即売会であり、コミティアという場所なのだ。

ばるぼら

ネットワーカー。古雑誌収集家、周辺文化研究家。主な著書に「岡崎京子の研究」、「20世紀エディトリアル・オデッセイ」(赤田祐一と共著)、「日本のZINEについて知ってることすべて」(野中モモと共著)など。

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