「救い、巣喰われ」は、駆け出しアイドルの南瀬天と、人気俳優の宝生アキの関係を描く芸能界ラブストーリー。メンバーから嫌がらせを受ける日々を送っていた天が、人気俳優のアキこと千秋と出会い、彼の“ヤンデレ”っぷりに堕ちていくさまが描かれる。コミックナタリーでは作品の見どころを紹介するとともに、「救い、巣喰われ」の大きな魅力の1つであるヤンデレヒーロー・千秋の魅力を掘り下げ。献身、執着、束縛、攻撃……ヤンデレのあらゆる側面を網羅する千秋に天は、そして読者はなぜ惹かれてしまうのか。“ヤンデレ”という存在の奥深さを、マンガライター・ちゃんめいが徹底解説する。
文 / ちゃんめい
私たちはなぜ“ヤンデレ”という存在に惹かれてしまうのか
──好きすぎてそれ以外のものは全部いらない。そんな物騒な言葉を、そのまま文字通りに行動に移してしまう人たちがいる。愛しい人を束縛し、周囲の人間を敵視し、自分自身さえ犠牲にしてしまうほどの情熱を持った存在。それがいわゆる“ヤンデレ”と呼ばれるキャラクターたちだ。
“ヤンデレ”とは「病んでる」と「デレ」をかけ合わせた造語で、恋愛対象に寄せる愛情が強すぎるあまり、精神的に病んだ状態になることを指す。ヤンデレにはさまざまな魅力があるが、突き詰めれば「何があっても自分だけを見てくれる絶対的な存在」という一点に集約されるのかもしれない。どんなときも揺らぐことなく、常に自分を最優先に考えてくれて、ほかの誰にも目移りすることがない。君さえいればいいと言い切ってくれるような、極端なまでの一途さ。それは、現実の人間関係ではまず得られない種類の安心感であり、心に潜む孤独への不安すら包み込んで溶かしてくれる甘さを孕んでいる。まるで自分の存在がこの世界の中心であるかのように錯覚させてくれる愛……。その“揺るがなさ”こそが、読む側の心をじわりと満たしていく。
一方で、ヤンデレの愛情は、あまりにも常識を超えているがゆえに相手や周囲を傷つけてしまうこともある。けれど、そうした行動の裏には、ただ“狂っている”という言葉では片づけられない理由があったりする。例えば、孤独や欠乏の中で生きてきた人間が、ようやく手にした“たったひとり”だったとしたら。それは単に狂っていたのではなく、ただ手放したくなかっただけなのかもしれない。物語を読み進める中で、“ヤンデレ”という一言で切り捨てていた感情の奥に気づいたとき、その人物の見え方はまた少し変わってくる。
「救い、巣喰われ」に登場するヤンデレ俳優・千秋も、まさにそんな人物。彼の愛は、まっすぐで、狂おしく、逃げ場がない。けれどこの作品が特異なのは、そんな王道的ヤンデレ要素を押さえつつ、舞台が芸能界というきらびやかな場であることによって、愛ゆえの“ヤン”も“デレ”も桁違いにスケールアップしているという点だ。恋に落ちるのも、嫉妬するのも、独占するのも、すべてがスキャンダル級。その非現実的な空気の中で、ふと触れてしまう彼の孤独と純粋さに、胸をぐっと掴まれる瞬間がある。
今回は、千秋というキャラクターの壊れた愛を通じて、私たちはなぜ“ヤンデレ”という存在に惹かれてしまうのか。その理由についてここで考えてみたい。
健全な愛し方がわからない千秋の愛し方
本作「救い、巣喰われ」の主人公は、駆け出しのアイドル・南瀬天。その整った容姿ゆえに、所属グループ内では嫉妬の対象となり、日常的に嫌がらせを受けている。そんなある日、彼女は人気俳優・宝生アキ(本名・千秋)の出演するドラマに代役として抜擢されることに。天の演技に可能性を感じた千秋は、以降、彼女に強い興味を抱くようになる。
始めのうちはそれも千秋にとって“いつもの遊び”の1つに過ぎなかった。彼は、元トップアイドルにして、今やテレビでも引っ張りだこの超人気のイケメン俳優。その一方で、舞台裏では女性関係が派手で、気に入った相手には躊躇なく手を出し、惚れられた瞬間に飽きては切り捨てる、という身勝手な恋愛を繰り返してきた。
そんな千秋だったが、天だけはいつもとは違った。彼女の芯の強さ、濁りのないまなざしに触れたことで、千秋の中に“本気の恋”が芽生えてしまう。けれど彼には、誰かを素直に愛するという経験がない。人を弄ぶことでしか感情を保てなかった日々を生きてきたから、健全な愛し方がわからないのだ。
それもこれも、幼い頃に母親からまともに愛情を注がれなかったことが根底にある。満たされなかった心を埋めるように、愛を支配にすり替え、関係性の主導権を握ることで、自分の存在価値を保とうとしてきたのだろう。そんな千秋が、初めて誰よりも大切にしたいと思ったのが天だった。だからこそ、千秋の思いはときに異常なかたちを取る。
例えば、まだ無名のアイドルである天に、芸能界の先輩として丁寧で寄り添うようなLINEを送りながらも、返事が来ないと鬼のような連投を繰り返す。さらには、彼女を貶めようとしたアイドル仲間に、自身の持つ芸能界の権力で報いを与えることさえする。
千秋の魅力を引き立てる“顔の演出”
さらに、物語が進むにつれて、千秋の暴走はさらに過激さを増していく。俳優仲間でもあり、天の初恋の人でもある朝倉浬の登場により、千秋の独占欲や不安は一気に膨れ上がる。浬に対しては、自分の地位や周囲の目を気にせず胸ぐらを掴みかかったり、ときには怒りを抑えようとして血が出るまで車の窓を殴ったりする。天が奪われるかもしれないという恐れが、彼をさらに極端な行動へと駆り立てるのだ。
献身、執着、束縛、攻撃……ヤンデレのあらゆる側面を網羅しながらも、それを芸能界というきらびやかな舞台で堂々とやってのけることで、彼の“ヤン”はより鮮烈に際立つ。しかも彼は、ファンにとっては手の届かないスターという存在でもある。そのギャップが読者の感情をより深く揺さぶる。
また、そんな千秋の魅力をさらに引き立てているのが、彼の“表情”だ。天を抱きしめながらも、彼女からは見えない位置で浮かべる不敵な笑み。恋敵に対して嫉妬に狂ったように剥き出しになる怒りの表情。そうした演技なのか本音なのかわからない“顔の演出”が、あまりに豊かで、まさに「俳優ってすごいな……」と感心せずにはいられない。ヤンデレとは本来、内面の描写に重きを置かれがちだが、彼の場合はその表情の“画力”も手伝って、愛と狂気の振り幅が視覚的にも刺さってくる。
そして見逃せないのが、そんな千秋を目の当たりにしてなお天が見せる胆力である。ときには恐怖心を抱きながらも、彼にまっすぐ向き合い、純粋な恋心を抱くその姿勢は、ただのヒロインに留まらない芯の強さを感じさせる。しかも彼女、あろうことかこの稀有な体験をはからずも“芸の肥やし”として活用していくのだ。自身の経験や揺れ動く感情をそのまま演技に昇華し、作中で目覚ましい成長を遂げていく憑依型俳優っぷりには、「まさかの相乗効果!?」と読者もちょっと笑ってしまうかもしれない。
ヤンデレとは、不器用でまっすぐな“純愛”
さて、ここからは千秋の“デレ”の瞬間についても注目していきたい。天が「アイドル時代の千秋を見たい」と言えば、番組の企画でかつて手放したアイドル活動に戻り、再びステージに立つ。デートではペアのマグカップを選ぶだけで心から喜び、はにかむように笑う。
また本作には、ティーンズラブ作品ならではの、やや過激なラブシーンも描かれる。嫉妬に駆られ、思わず一線を越えそうになる場面もあるが、そんなときでも千秋は、天の気持ちに耳を澄まし、ふと立ち止まる。無理強いは決してしないという、ヤンデレには珍しい“自制心”が彼の一途さに一層の説得力を与えている。
そんな千秋の姿勢は、天本人に対してだけではない。彼は、天の妹弟に優しく接し、母親には礼儀正しく挨拶を交わす。さらには、貧しい家庭で育った天のために、新たな住まいの手配や経済的支援までさりげなく行ってしまう。ただ“彼女だけ”を愛するのではなく、天が大切にするすべての存在を、彼もまた同じように大切にしようとするのだ。ある意味では、完璧なスパダリであり、まるで慈愛の化身のようにも見えてくる。そんなところもまた、読者の心をざわつかせる。
こうして、彼の“歪み”と“慈愛”に触れていくと、そのすべてが天を真剣に思った証なのだと気づかされる。それと同時に、彼の言葉や行動の奥にあるものについて思いを馳せてしまうのだ。
彼の根っこにあるのは「天を手放したくない」という強すぎる願い。そしてその願いは、ただの所有欲ではなく、ようやく愛せた誰かを、この尊い感情を、どうにか守り抜こうとする必死さにも見えてくる。愛されることを知らずに育った人間が、生まれて初めて「この人だけは大事にしたい」と思ったとき、その気持ちはまっすぐであり、どこか不器用で、極端だ。
そして、改めて千秋の姿を追いかけるうちにふと気づくのは、ヤンデレとは決して特殊な愛のかたちではないのかもしれない、ということだ。それは、誰もが心の奥に秘めた「たった1人をとことん愛したい」と願う思いが、極端なかたちであらわれたものだから。そしてその裏側には、どうしようもなく不器用で、痛々しいほどにまっすぐで、誠実な、千秋が天に向けているような“純愛”が存在しているのだ。
「誰かを深く思うこと」の本質に向き合わされる
そんなふうに、「救い、巣喰われ」という物語を通して、千秋の感情の奥行きを辿っていくうちに、ふと自分自身にも問いかけが返ってくる。自分はこれまで、誰かをここまで強く思ったことがあっただろうか? あるいは、誰かにこんなふうに思われたことがあっただろうか? と。
私たちは千秋というキャラクターを通して、ヤンデレという属性にただ惹かれるのではなく、その奥にある「誰かを深く思うこと」の本質に向き合わされている気がする。愛とは何か、執着と献身の境界線はどこにあるのか……。そうした問いを静かに突きつけられるこの作品は、読み終えた後も、しばらく心の中でざわざわと鳴り続ける。だからこそ、もう一度ページを開いてみたくなるのだ。そんな余韻をぜひ一度味わってみてほしい。
本作は各電子書籍ストアで配信されており、気になったときにすぐ読み始められるのも魅力の1つ。けれど、愛と狂気の揺らぎにじっくり向き合いたいなら、また、ティーンズラブというジャンルならではの艶やかで情感豊かな描写の数々を堪能するなら紙で読むのがおすすめだ。ページをめくるたび、千秋という存在の濃密さに、きっと心をかき乱されるはずだ。
プロフィール
ちゃんめい
マンガライター。マンガを中心に、エンタメ系コンテンツの書評・インタビュー・コラムの執筆を行う。月に読むマンガの数は100冊以上。共著として、9人の論者が独自の視点から「ベルセルク」を読み解く「ベルセルク精読」がある。
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