加藤登紀子、元
表題曲が制作されたのは、宮城県のテレビ局・TBC東北放送で放送中の朝の情報番組「ウォッチン!みやぎ」を仙台在住のヒザシが観たことがきっかけ。同番組では東日本大震災による津波被害を受けた宮城県塩釜市の浦戸諸島・桂島に住む77歳の女性・内海和江が、周囲の苛立つ姿や切実な声を聞きながら在りし日の島の風景に思いを馳せ、避難所となっていた小学校の体育館で詞を綴る姿が放送されていた。
番組を観たヒザシは「どうにかしてこの詩を残したい。より多くの人に感じてほしい」という募る気持ちを抑えられず、メールを送り、番組ディレクターとともに内海と邂逅。避難所や桂島を幾度も訪問して島民の思いを書き連ね、これに震災前の島の風景を感じさせる美しいメロディを付けた。
その後、原詩を書いた内海が大ファンだということから加藤登紀子に「この曲を歌ってほしい」とオファーし、加藤がこれを快諾。ヒザシは楽曲制作のほかギター演奏でも参加しており、さらに宮城県気仙沼市の自宅で被災して故郷が火の海と化すところを目撃した熊谷育美がピアノを弾いている。またジャケットは宮城県塩釜市出身の平間至が撮影を担当している。
なお浦戸諸島では4月から「わせねでや 島うた便」と名付けられた連絡船が運行しており、船内放送で「わせねでや」が流れていることから島民の間では既に新しい島歌として親しまれている。
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音楽ナタリー @natalie_mu
加藤登紀子×元キャプテンズ・ヒザシが被災地の思いを歌に http://t.co/tnhGvwvW