鳥羽一郎×山川豊×木村竜蔵×木村徹二の木村ファミリー大座談会「この一家が演歌界を牛耳っていく」

木村徹二が2月にリリースしたシングル「雪唄」が現在ヒット中だ。兄・木村竜蔵が作詞作曲したこの曲はポップスのマナーを取り入れたバラード歌謡で、演歌の枠を超えてその魅力が波及し、多くのリスナーを獲得。これを受けて7月9日には、亡き祖父の思い出をテーマにした「湯呑み酒」と、父親である鳥羽一郎の「鯱」のカバーをカップリングに収録した「雪唄【特別盤】」も発売されることになった。

これを受けて音楽ナタリーでは今回、鳥羽一郎とその弟の山川豊、そして木村竜蔵と木村徹二の4人によるファミリー座談会を企画。演歌一族である木村家ならではのエピソードや、普段のステージからは知ることのできないそれぞれの性格、そして音楽への思いなどについて、家族だからこその距離感でフランクに語り合ってもらった。

取材・文 / ナカニシキュウ撮影 / 須田卓馬

家族仲がそのまま出たステージ

鳥羽一郎 こんなふうにこの4人がそろって出るというのは、今までほとんどやってきていないんですよ。竜蔵くんとテツ(徹二)は竜徹日記をやってるし、俺と豊が兄弟で出るパターンもありましたけど、4人そろってというのはね。

山川豊 今年2月に日本橋三井ホールでやった「木村家ファミリーコンサート」が初でしたね。なんだか、自然体で臨めたショーでしたよ。楽屋の雰囲気そのままでステージに上がって、歌を歌って、というような感じでね。

鳥羽 「楽しかった」というお声をたくさんいただきました。最初に「二代目」のイントロがかかって、徹二が出てくるのかと思いきや俺が出てくるっていうサプライズ演出もあったりね。こういうのは珍しいパターン。

木村徹二 僕のところにも「楽しかった」「またやって」という声がすごく届いています。地方とかに行くと「東京だけじゃなく、こっちでもやってよ」と言っていただくことも多くて。やっぱり豊さんもおっしゃったように楽屋の空気感というか、普段の家族仲のよさがそのまま出ているようなステージだったので、それを楽しんでいただけたんだろうなと思いますね。

木村竜蔵 いい意味で力が抜けた、堅苦しくないナチュラルさがあって。それが心地よかったですね。楽屋の雰囲気そのまま、とまでは僕は言わないですけど(笑)。

山川 1人で立つステージとは全然違ったね。

徹二 違いましたねー。

鳥羽 トークに関しても台本があってないようなもので、何が飛び出すかわからないというね。それがよかったのかな。

山川 出てきたものにみんなが合わせる。家族ならではの阿吽の呼吸というか、なんとも言えない感覚がありましたね。

鳥羽 ほとんどテツが仕切っているような感じだったんで、バランスがよかったのかな。俺と豊が2人でボケてるみたいなね(笑)。

山川 僕らがボケて、テツがツッコミ担当。

左から山川豊、鳥羽一郎。

左から山川豊、鳥羽一郎。

徹二 やっぱり自分が年齢的にも経歴的にも一番後輩にあたるので、先輩にかき回してもらったほうがやりやすいというのはあります。僕がツッコまれてたら怒られてるみたいになっちゃうし(笑)。親父も豊さんも普段のコンサートでは見せないようなふざけ方をするんで、お客さんからは「鳥羽さんと山川さんって、こんな人だったんだ?」という声が多かったですね。「ああいう2人の姿を見れてよかった」って。

あれは俺の間違いだったね

徹二 自分のコンサートのMCでもずっと言い続けてるんですけど、家庭環境に恵まれたなとは思っています。豊さんと親父はもちろん、僕のデビューまでの経緯やデビュー後の流れに関しては兄貴が9割方考えてやってくれているので、そのありがたさは常にすごく感じていますね。ただ、周りからよく「そんな環境に生まれて、どんな感じなの?」と言われることも多いんですけど、ほかがわからないので……。

竜蔵 よその家に生まれたことないもんな。

徹二 そうそう(笑)。小さいときから親父も豊さんも普通にテレビで歌ってたし、兄貴も僕が中学生くらいのときにデビューしてるんで、身近な存在がメディアに出ているのが当たり前という環境で育ってきたんですよ。だから自分もこの世界にスッとなじめたのかな、という気はしています。

左から木村竜蔵、木村徹二。

左から木村竜蔵、木村徹二。

鳥羽 テツに関しては、子供の頃から「この子は演歌を歌ったらいいんじゃないか」と思ってはいたんだよ。なんかこう、心地いいコブシの感覚が小さいときから自然に備わっていて……このコブシだけはね、教わってできるもんじゃないからね。持って生まれたものだと思うんだ。

山川 テツが大学生のとき、兄貴が「演歌でデビューしたらいい」って言ったんだよね?

鳥羽 うん、「デビューするなら今だよ」と。あれは俺の間違いだったね。

徹二 (笑)。

鳥羽 “現役の大学生が演歌を歌う”ってのは、あるようであんまりないパターンなんだよ。だから「やるなら今じゃないか」と言ったんだけど、彼は大学を卒業してからでも遅くないと思ってたんじゃないかな。で、結果的にはそっちが正解だった。

徹二 兄貴が一生懸命止めてくれたんですよ。それがなかったら、大学生のときにデビューしてたかもしれないです。当時の僕の技量を冷静に判断したうえで、「“大学生演歌歌手”という肩書きがなくなったときに何が残るのか」というのをすごく説いてくれて。兄貴はずっと昔からいろんなことを僕より先に経験して、噛み砕いて道を示してくれる存在だったんで、ここは従っておこうと(笑)。

竜蔵 一番は「潰したくない」という思いでしたね。ちょっと生意気なことを言いますけど、僕は子供の頃から演歌の世界をずっと見てきて「動きの鈍い業界だな」と感じていたんです。だからデビューするにしても、彼自身がセルフプロデュースできるくらいの地力を確立してからじゃないと、たぶん潰れちゃうんじゃないかなと思っていました。歌の才能は間違いなくあるから、いつか花開くだろうとは思ってましたけど、そのときはまだ「今じゃないな」という感じでしたね。