B-DASH特集|14タイトル110曲サブスク解禁!我が道を突っ走ってきた3人の軌跡

B-DASHのGONGON(G, Vo)の一周忌となる2025年7月5日、彼らが1999年から2007年までに発表したシングルおよびアルバムの14タイトル110曲がサブスクリプションサービスで配信された。

音楽ナタリーではこれを機に、バンドシーンにおいて唯一無二の存在だったB-DASHの歴史と音楽性を紹介。彼らのエポックメイキングな10曲を軸に、当時のインタビューのエピソードを交えながら、その軌跡をたどっていく。

文 / 高橋美穂

B-DASH 楽曲配信はこちら

「KIDS」(1999年5月発表)

「ENDLESS CIRCLE」ジャケット

「ENDLESS CIRCLE」ジャケット

B-DASHにとって初めての音源となったマキシシングル「ENDLESS CIRCLE」収録曲で、キッズ大喜びのキラーチューンとなっている。リリースがHi-STANDARDの「MAKING THE ROAD」と同じ1999年というのが象徴的だが、メジャーをインディーズが凌駕し、メロディックパンクがアンダーグラウンドを飛び越えた時代。「AIR JAM」世代の躍進を食らった若者たちが続々とバンドを組む中、B-DASHは当初から突出していた。TANAMAN(B, Cho)の咆哮やARASE(Dr, Cho)の性急なビート、そしてGONGON(G, Vo)の吐き出すようなボーカル&シンガロングできるサビ。メロディックパンクと、時を同じくして隆盛していたミクスチャーロックのいいとこ取りとも言えるクレバーな曲調だった。ちなみに歌詞は、彼らの特徴の1つである“めちゃくちゃ語”ではなく、わかりやすい英詞である。楽しいことが大好きな無邪気キャラであり、研究を尽くす努力家であり、奇想天外な発想をする天才であるGONGONが頭角を現した第一歩。

「炎」(1999年12月発表)

「FREEDOM」ジャケット

「FREEDOM」ジャケット

1999年にリリースされた1stミニアルバム「FREEDOM」収録。のちに「平和島」で広く知られるようになった“泣ける日本語詞”として、最初に(まさに)火が付いた楽曲ではないだろうか。「僕らの中で輝いている いつまでも消えない炎」と直球勝負。GONGONはTHE BLUE HEARTS好きを公言していたが、彼が少年だった頃の時代性を感じる歌詞とメロディが、当時の時代性と言えるツタツタ走る2ビートのメロディック感と融合している。B-DASHと同じリミテッドレコード所属だった175Rが1stアルバム「Go!upstart!」をリリースしたのが2002年。MONGOL800がチャートで1位を獲得した2ndアルバム「MESSAGE」をリリースしたのが2001年。いわゆる青春パンクと言われるムーブメントがライブハウスを超えていく以前に、その萌芽と言える楽曲をB-DASHは生み出していた。しかし実は、GONGONはこの楽曲ができたとき恥ずかしくなって、一度「鼻毛ボンバー」というタイトルにしたことを当時のインタビューで明かしてくれていた……照れ屋さん。

「Water Pow」(1999年12月発表)

1999年のライブの様子。

1999年のライブの様子。

こちらも「FREEDOM」収録。「ツッパリ ミネラルウォーター ウォーター マッチョマン」という、いかつく面白い描写も若干あるが、「湯ファキ奈良バディ」など、英語を聞いたまんま日本語にしたような歌詞もある。ついに“めちゃくちゃ語”の登場だ。この斬新な手法は、面白がる人、感心する人、そして批判する人と、当時の反応はさまざまだった。しかし考えてみれば、洋楽をコピーする際に適当に歌ったことがある人は多いだろう。B-DASHは、オリジナルソングでも洋楽のノリを出したい。でも英語がわからない。だから適当に歌ってみた──という素直すぎる思考回路で“めちゃくちゃ語”を生み出したのだ。そもそもGONGONは、「炎」でわかるように伝えたいメッセージも内包したボーカリストである。しかし、同じぐらい“バンド”そのものも好きなのだ。彼のルーツの1つであるRage Against the Machineばりにゴリッゴリな、まさに「マッチョマン」な「Water Pow」を聴いていると、常識やバランスにとらわれず、徹底的に振り切るという方向性が見えてくる。

「Race Problem」(1999年12月発表)

活動初期のライブの様子。

活動初期のライブの様子。

こちらも「FREEDOM」収録。この曲でB-DASHを知った人も多いんじゃないだろうか。というのも、テレビで頻繁に流れていたから。当時、深夜に「HANG-OUT」という音楽番組が放送されていた。その番組では、特にB-DASHが所属していたリミテッドレコードのバンドが多く取り上げられていた。リミテッドレコードからは、175R、SHAKALABBITS、SKA SKA CLUB、そして現HEY-SMITHのイイカワケン(Tp)がメンバーだったLONG SHOT PARTY、さらにthe band apartやlocofrankも作品をリリースしていた。ちなみにB-DASHは「リミテッドレコード」という楽曲も作っている。徐々にネットが広まり出した頃で、まだ口コミや雑誌でバンドを知る人も多かった時代に、インディーズバンドがテレビに登場するのは新鮮だった。特に「Race Problem」は「Water Pow」以上にめちゃくちゃ語。それでいて、歌から始まる展開やほんのり切ないメロディと軽快なビートが印象的で、とても中毒性があった。

「メロディック本門寺」(2001年8月発表)

「○-マル-」ジャケット

「○-マル-」ジャケット

2001年にリリースされた1stフルアルバム「○-マル-」収録。なお今作には「△」という楽曲も収録されている。B-DASHのアルバムタイトルは秀逸で、2002年の2ndは「ぽ」、2004年の3rdは「ビッグ ブラック ストア(連絡しろ)」である。実際に大黒屋さんという友達に連絡してほしくて名付けたらしいけれど、どんだけ友達が好きなんだ!? そして、「メロディック本門寺」という曲名も強烈。和のテイストは一切ないメロディックパンクがなぜ“本門寺”かというと、メンバーの地元・大田区にある池上本門寺に由来しているのだと思う。B-DASHにはほかにも「平和島」「情熱の若竹公園」と、大田区の地名が登場する曲名がある。GONGONはかつて、自分の感覚を「小学生の夏休みみたい」と例えていた。また「ファンと友達になっちゃう」と話していたこともある。慣れ親しんだ場所で、慣れ親しんだ人たちと、伸び伸び音楽を鳴らすのが好きだったのかもしれない。

「ちょ」(2002年6月発表)

「ちょ」ジャケット

「ちょ」ジャケット

2002年にリリースされたメジャー第1弾シングル表題曲。それを「ちょ」なんて曲名にしてしまう手腕は、「おふざけ?」「戦略?」と、当時の音楽シーンをざわつかせた。歌詞もめちゃくちゃ語なのだが、それに加えて曲調も挑戦的だった。カラッと突き抜けたサウンドと、エモーショナルでストレートなメロディは、海外のメロディックパンク直系。当時は今よりも“メジャーデビュー”に対して危惧するキッズが多かった。お茶の間や大人たちにウケるように日和ったバンドになっちゃうんじゃないの?と。しかし、B-DASHのデビュー曲は、日和るどころか、個性に蛍光ペンを塗りたくったようなパンチのある「ちょ」だった。また当時は、インディーズおよびパンクシーンでも、メロディックパンクあり、青春パンクあり、さらにさまざまなレーベルがあったため、今よりもカテゴライズが細かかった。B-DASHはメジャー進出なうえに、歌詞は日本語でも英語でもないめちゃくちゃ語である。さらに常にジャケットを飾っていた“トニオちゃん”というマスコットキャラクターや、ファミコンを思い出させるバンド名の存在も相まって、サブカル的な雰囲気もまとっていた。各地にバンド仲間はいたけれども、“どこにも属していない感”は、この頃から強くなっていったように思う。

「平和島」(2002年9月発表)

「平和島」ジャケット

「平和島」ジャケット

2002年にリリースされたB-DASHの代表曲で、ストレートな日本語詞が印象的。実はGONGONの弟・SOTAが中学生のときに書いた歌詞に、高校生のGONGONが曲を付けたものだ。「ちょ」の次のステージとしてJ-POPに打って出る際に、あえてこの楽曲を引っ張り出してきたと当時GONGONは明かしていた。「マニュアル通りに生きたって 何も始まらない」という少年らしい歌詞は新しいリスナーをつかんだ。なお、シングル「平和島」のカップリングには、坂本九「上を向いて歩こう」のカバーも収録された。めちゃくちゃ語というアバンギャルドな発想の裏には、スタンダードへの憧れもあったのだろう。なお、SOTAはB-DASHのマスコットキャラクター・トニオちゃんの生みの親。2人の父親も歌手であり、GONGONは家族から受けた影響も話してくれていた。

「SECTOR」(2003年5月発表)

「SECTOR」ジャケット

「SECTOR」ジャケット

個人的にはB-DASHの中で一番ぶっ飛んでいると思っている、2003年リリース曲。1曲の中に3曲ぐらいの要素が詰まっているプログレッシブな方向性ながら、なぜかめちゃめちゃキャッチーなのだ。まず低音が効いた力強いリフにはじまり、オリエンタルな歌メロへ。めちゃくちゃ語を華麗にメロディに乗せて間奏もなく進んでいくかと思いきや、半ばで哀愁漂うメロディに変化し、「あの日 あの時 君との想い出を 忘れはしない」なんて日本語詞を歌い出すのだ。感動的になった!と思いきや、「夕暮れ時のバイオレンスワールド」と続けるという……この展開そのものがバイオレンスだよ! 最後は軽やかなビートに乗せて「ポケベル合唱団よ」と謎フレーズが歌い上げられ、「ランランラン♪」のシンガロングと「フゥー!」「イェー!」や笑い声が混じり合って楽曲が締めくくられる。当時、「一番ラクな作り方だった」とGONGONは話してくれた。つまり、最もピュアにGONGON節が出ている楽曲なのだと思う。邦楽も洋楽も、激しさも温かさも、仲間もユーモアも孤独もひっくるめた最狂キラーチューン。曲名は、GONGONが愛用していた腕時計に由来している。

「ハーコー」(2004年11月発表)

「ハーコー」ジャケット

「ハーコー」ジャケット

2004年にリリースした「ハーコー」=B-DASH流のハードコアな楽曲。これもめちゃくちゃ語なのだけれど、こんなグルーヴィに発語をメロディに乗せられるボーカリストはなかなかいないのではないだろうか、と思える技巧に満ちている。「ふぁいびっ茶」という謎の咆哮からの、突き抜けた演奏とキレのいい歌。メロディアスなラインを織り込みつつ、グッとくるサビへ突入していく。リズミカルな中盤を経て、さらにグッとくるサビを畳みかけ、余韻を残す。めちゃくちゃ語というのを差し引いても、純粋にずば抜けてカッコいい楽曲。

「GO GO B-DASH!」(2005年8月発表)

「NEW HORIZON」ジャケット

「NEW HORIZON」ジャケット

4thアルバム「NEW HORIZON」収録曲──というよりは、彼らのライブのSEとして知られているインスト。歌詞にメンバー名も出てきてテンションが高まっていく。とはいえ、当初B-DASHはライブバンドというより曲先行だった。ことさらメロディックパンクはライブハウスから出てくるイメージがあると思うけれど。GONGONは打ち込みで“GONGON Techno”というプロジェクトを生み出していたほど内省的な制作を好んでいたし、「人がたくさんいるところが苦手」というシャイな一面もあった。だけど楽曲は飛び跳ねたくなるものばかり──ということで、彼らのライブには、職人的に演奏するバンドと熱狂するフロアというコントラストが生まれていた。ARASEのビートは熱いし、TANAMANも熱く叫びつつも、GONGONはひょひょうとしていた印象が強い。マキシマム ザ ホルモンやELLEGARDENといった対バンの飛躍に刺激されるように、徐々に熱を帯びていったけれど、我が道を行く姿勢は変わらなかったな。そんなところも“らしかった”し、最初から楽曲は完璧だったB-DASHの伸びしろを感じることができたライブが好きだった。叶うなら、また観られますように。

2010年に行われたライブ「B-DASH presents SERVICE 4~ALL TIME BEST~」の様子。東京・SHIBUYA-AXにて。

2010年に行われたライブ「B-DASH presents SERVICE 4~ALL TIME BEST~」の様子。東京・SHIBUYA-AXにて。

2010年に行われたライブ「B-DASH presents SERVICE 4~ALL TIME BEST~」の様子。東京・SHIBUYA-AXにて。

2010年に行われたライブ「B-DASH presents SERVICE 4~ALL TIME BEST~」の様子。東京・SHIBUYA-AXにて。

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プロフィール

B-DASH(ビーダッシュ)

1997年に東京で結成された3人組バンド。メロコア調のパンクサウンドに、日本語とも英語とも取れない意味不明な歌詞を乗せたナンバーで話題を集め、1999年にシングル「ENDLESS CIRCLE」でシーンに登場。その後「ちょ」「平和島」「ハーコー」などオリジナリティあふれる名曲を次々に発表する。2016年2月にアルバム「EXPLOSION」をリリース。2017年2月17日をもって解散した。