ミュージカルの話をしよう 第15回 [バックナンバー]
屋比久知奈、みんな一緒にその場を共有する感覚が好き(前編)
舞台の世界に飛び込むなら“今”しかないと思った
2021年10月28日 18:00 1
生きるための闘いから、1人の人物の生涯、燃えるような恋、時を止めてしまうほどの喪失、日常の風景まで、さまざまなストーリーをドラマチックな楽曲が押し上げ、観る者の心を劇世界へと運んでくれるミュージカル。その尽きない魅力を、作り手となるアーティストやクリエイターたちはどんなところに感じているのだろうか。
このコラムでは、毎回1人のアーティストにフィーチャーし、ミュージカルとの出会いやこれまでの転機のエピソードから、なぜミュージカルに惹かれ、関わり続けているのかを聞き、その奥深さをひもといていく。
第15回に登場するのは、突き抜けるような歌声で観客の心をつかむ
取材・
姉妹でモスラを呼んでいた?バレエや音楽と共に過ごした少女時代
──屋比久さんは、4歳の頃からクラシックバレエを習っていたそうですね。
はい。母がバレエの先生で、私と姉が3・4歳の頃に教室を開いたんです。父はクラシック音楽が大好きで、子供時代から音楽やバレエに触れる機会が多かったですね。当時はバレエダンサーに憧れていましたが、私は歌も大好きで。どこでも歌ってしまう子供だったので、よくお風呂で歌っていました。近所のおばあちゃんから「今日も歌っていたね」と声をかけられることがあって、恥ずかしかったです(笑)。声も大きかったので、家族には「あなたは歌い手になるかもね」と言われたことを覚えています。
──小さい頃はどんな音楽が好きだったのですか?
いろいろ聴いていましたが、その時々で耳に残った曲をひたすら練習していましたね。ディズニーソングや英語の童謡が多かったのですが、姉も私もなぜか映画「モスラ」の曲が好きで。1日中「モスラーヤ、モスラー♪」と歌っていたので、親は「勘弁して!」という感じだったかも(笑)。それからKiroroさんの「未来へ」はすごく思い出に残っています。私が小さい頃に母がよく流していたので、歌詞の意味もわからないままに歌っていましたね。
──人生で初めて観たミュージカルは劇団四季の「ライオンキング」だそうですね。
小学1年生くらいのとき、家族で東京に行き、観劇しました。舞台には私の大好きな踊りや歌がギュッと詰まっていて、キラキラしていて、「こんな世界があるんだ!」と衝撃を受けました。CDで曲を覚えて、家で1人で「ライオンキング」を演じていましたね(笑)。「ヤングナラをやってみたいな」という気持ちもありましたが、当時はただ憧れていたのだと思います。以降も家族でよく東京へ観劇に行きましたし、沖縄で何か公演があればそのたびに連れて行ってもらいました。
──初舞台はやはりバレエの発表会?
そのはずですが、実はまったく記憶がなくて……でも子供のときから舞台に限らず、自分がしたことに対してリアクションをもらえることがうれしくて、一発芸を披露することもありました(笑)。周りの人が拍手してくれたり、笑顔になってくれたりすることが喜びでしたし、みんなが一緒にその場を共有しているという感覚が好きですね。
アメリカ留学で「自分は何も持っていない」と思った
──屋比久さんはTOEICで915点をマークするほど英語がお得意です。なぜ英語に興味を持ったのですか?
英語や英語圏の文化が、昔から身近だったんです。小さい頃から映画を字幕で観たり、母が英語の歌を聴かせてくれたりしていて、割と早い段階でアルファベットを覚えました。それに私のおばはアメリカに住んでいますし、沖縄という土地もアメリカと交流があります。意識的に「英語を勉強したい!」と思ったきっかけは、小学6年生くらいのときに観た映画「ハイスクール・ミュージカル」でした。楽曲自体も素敵ですし、リズミカルな英語の響きが音楽的ですごく好き。英語には日本語とはまた違った美しさや楽しさがあるし、表現の幅が広くて良いなと思いました。それで自分なりに歌詞を書き出して辞書を引いたりして、勉強を始めました。
──高校在学中には、ミシガン州の高校に10カ月間留学されました。留学先で印象に残ったことは?
やはりアメリカは多様性の国だな、というのが第一印象でした。「1人ひとりが国を動かしていくんだ」というエネルギーを感じて、それがすごくカッコよかった。アメリカでは個々の意見や価値観が尊重されているというより、むしろ必要とされています。調和を重んじる日本とは教育方針も違うので、授業で必ず「この問題についてあなた自身はどう思う?」と問われるし、ディベートやディスカッションが積極的に取り入れられていました。議論するときって、たとえなんとなく考えていることがあっても「みんなにどう思われるかな」「反対されたらどうしよう」と口に出すのをためらうことがあると思うんです。だけどアメリカでは“反対”も意見の1つとしてきちんと受け止めてもらえる。真っ向から否定するのではなく「ではなぜあなたはそう思うの?」と対話が生まれることには、特に衝撃を受けました。
多様性が必要とされている以上、アメリカでは自分の考えをしっかり持っていないと、生きづらさを感じるかもしれません。私自身も議論の時間には、自分が何も持っていないことに気付かされて。でも「自分なりの意見がある人って素敵だな」と思えましたし、しっかりと“自分”を持てる人になりたいなと今でも思っています。
縁がつながって出場した「ミュージカルのど自慢」
──高校卒業後は琉球大学法文学部に進学し、国際言語文化学科で英語文化を専攻されました。大学2年生のときには「フットルース」を英語で上演し、ヒロイン役を務めています。
大学では英語の成り立ちや、英文法、構造などを勉強しました。英米文学や英語圏の文化、アメリカの歴史、児童文学などにも触れましたね。「フットルース」は大学のカリキュラムの一環として取り組んだのですが、これは私が「ミュージカルを仕事にしたい」と思った大きなきっかけの1つです。舞台で歌って踊ること自体も楽しかったですし、みんなで1つの世界を作り上げてお客様にお届けすることって良いなと、改めて感じて。だからその後も大学に通いながら、ミュージカル「H12」などいくつかの舞台に参加しました。
──沖縄と東京で上演された「H12」に出演したのは、「フットルース」に携わった大学の先生に背中を押されたからだそうですね。さらにその後は「H12」のプロデューサーの勧めで、2016年の「集まれ!ミュージカルのど自慢」に出場します。勝負の1曲に「ミス・サイゴン」の「命をあげよう」を選んだのはなぜですか?
「H12」のあとにご縁があって、あるオムニバス形式のショーに参加しました。その中で「命をあげよう」を歌っていたので、当時自分が最も練習を重ねていて、一番身体にしみ込んでいる曲だったんです。歌いこなすだけの力があるかどうかは置いておいて(笑)、せっかく練習したし、大舞台で披露できる機会があるのならやってみたいと思いました。それに曲自体が持っているメッセージがすごく強いので、「曲に助けてもらおう」という気持ちもありましたね。
「モアナと伝説の海」はこれからも立ち返りたい作品
──帝国劇場で行われた「ミュージカルのど自慢」グランドファイナルで見事に最優秀賞に輝き、パフォーマンスを観ていた現在の事務所のプロデューサーからスカウトされます。当時、現役大学生だった屋比久さんは、バレエや英語についても高いスキルをお持ちでしたが、進路を決めることへの迷いはなかったのですか?
やはり迷いはありました。英語を使う仕事に興味があったので、スキルアップのために海外の大学に進学することも考えていて。そのためにはお金や語学力が必要ですし、「就職してお金を貯めながら勉強しようかな」と思っていました。でも私は昔からブロードウェイが好きで、「いつかあの舞台に立ってみたい」という憧れもあった。そんなときにスカウトしていただいたので、家族とも話し合って「こんなチャンスは二度とない。海外に行って英語のお仕事を始めることはあとからでもできる。だけど舞台の世界に飛び込むチャンスは今しかないのだし、きっとこのタイミングでお話をいただいたことに意味やご縁があるはず」と、決断に至りました。実はバレエの世界でプロになることは、中高生くらいの頃に諦めていたんです。でもミュージカルの世界を目指す私にとって、バレエのスキルは“宝物”。だから子供の頃からバレエを続けてきて良かったなと思いました。
──デビュー作となった2017年公開のディズニー・アニメーション映画「モアナと伝説の海」日本語版では、吹替と主題歌の歌唱を務めます。デビュー作でヒロインという大役を見事に務め、同作は屋比久さんの代名詞とも言うべき作品になりました。大海原に旅立つモアナを演じた経験は、ご自身にどんな影響を与えましたか?
モアナにはすごく勇気をもらいました。この映画は、人間が歴史や土地、自然、家族愛といった大きなものに包まれていることを実感できる作品です。沖縄から東京に出てきた私は足元がグラついている気がしていましたし、ワクワク感と同時に恐怖や緊張、不安を抱えていて。だけどモアナを演じながら良い意味で自分自身の“小ささ”を感じましたし、「モアナもこんな感覚だったんだろうな」と思えました。モアナは冒険の中で失敗したり傷付いたりしますが、彼女はそれすらも受け入れて、「私はここからどうしていきたいか」と考えて立ち上がれる人です。初めてのアフレコでは悔しい思いもしましたが、モアナのおかげで乗り越えられたと思っています。今でも気分が落ち込んだときにモアナの映画を観たり、音楽を聴いたりするんですよ。そうすると当時の自分を思い出したり、「あの経験を乗り越えられたんだから」という自信が湧いてきたりして。折に触れて立ち返りたい作品になりましたし、これからもそうあり続けると思います。
前編では、沖縄で音楽やバレエに囲まれて育った幼少期、アメリカ留学で受けた衝撃、大学時代の舞台出演をきっかけとして、本格的に走り出したミュージカルへの“道”について語ってもらった。後編では、プロとしてキャリアを歩み始めた屋比久の代表作を振り返る。
プロフィール
1994年、沖縄県生まれ。2016年に開催された「集まれ!ミュージカルのど自慢」で最優秀賞を受賞。2017年に日本公開されたディズニー・アニメーション映画「モアナと伝説の海」日本語版でヒロイン・モアナ役の吹替と主題歌の歌唱を務め、プロデビューを果たした。近年の出演舞台にオフィス3〇〇 40周年記念公演「肉の海」、ミュージカル「タイタニック」、リーディングドラマ「シスター」、ミュージカル「レ・ミゼラブル」、ミュージカル「天使にラブ・ソングを~シスター・アクト~」、ミュージカル「NINE」、ミュージカル「屋根の上のヴァイオリン弾き」がある。今年10月から12月までミュージカル「GREASE」、来年7・8月からはミュージカル「ミス・サイゴン」が控える。
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