左からMC正社員、DOTAMA、KEN THE 390。

ジャパニーズMCバトル:PAST<FUTURE hosted by KEN THE 390 EPISODE.4(前編) [バックナンバー]

MCバトルイベントの低迷と隆盛:MC正社員&DOTAMA

MCバトル“真冬の時代”を経て

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ラッパーのKEN THE 390がホストとなり、日本におけるMCバトルの歴史を紐解く「ジャパニーズMCバトル:PAST<FUTURE」。第4回のゲストは「戦極MCBATTLE」を主宰するMC正社員と、2000年代より数々の大会で名勝負を繰り広げているDOTAMAの2人だ。

MC正社員は、MCバトルの運営を専門とする日本初の企業、株式会社戦極を立ち上げて「戦極MCBATTLE」を全国展開させ、2021年には「戦極MCBATTLE 第24章」を日本武道館で開催するなど、現在のMCバトルの大規模化や広範化の先鞭をつけた。

バトラーとしての実力をシーンに提示してきたDOTAMAは「ULTIMATE MC BATTLE」(UMB)に初回から参加。多くの爪痕を残すと同時に数多の辛酸を舐め、2017年に悲願の全国優勝を果たした。また、その確かなキャリアと実力によってMCバトル番組「フリースタイルダンジョン」にモンスターとして出演。以降もバトルシーンのトップランナーとして活躍している。

2000年代後半から2010年代前半にかけての“MCバトル冬の時代”を眼前に見ながら、シーンに参加してきた2人は「日本のMCバトル」をどのように見て、どう感じているのだろうか。

取材・/ 高木“JET”晋一郎 撮影 / 斎藤大嗣 ヘアメイク(KEN THE 390) / 佐藤和哉(amis)

「ハードなB-BOYの大会」でナード系のラッパーがカマしあう

MC正社員

MC正社員

──MC正社員さんとDOTAMAさんがMCバトルに出会ったきっかけをお伺いできればと思います。

MC正社員 僕は川崎のCLUB CITTA’であったG.K.MARYANさん主催のイベント「鉄則 DELUX RELAX 年越しSPECIAL 2007-2008」ですね。

KEN THE 390 俺も出てましたね。

MC正社員 KENさんと一緒に写真撮ってもらってますから、僕(笑)。そのイベントの年またぎがMCバトルで。しかも回鍋肉さんとPUNPEEさんという、どちらかと言えばナード系のラッパーがバトルでカマしあって、それをZeebraさんとか雷の人たち、妄走族のメンバーが観てるっていう。

──イベント自体、ハードなアーティストも多く登場していたから、余計に2人ともナードに見えますよね。

MC正社員 MCバトル自体「ハードなB-BOYの大会」という印象だったんです。でも「鉄則」のバトルで「こういう人たちも出るんだ」と驚いたし、普通のB-BOYに混じってても違和感なく戦って、バトルが終わったあとにPUNPEEさんがイカついB-BOYに囲まれて「お前、すごいカッコよかったよ!」と言われてるのを見て、カルチャーショックを受けたんですよね。それからいろんなバトルを観るようになりました。

2003年の「B-BOY PARK」、予選は4人制だった

DOTAMA 僕は2001年の「B-BOY PARK」(BBP)のMCバトルで、KREVAさんが3連覇を果たしたのをテレビ番組「Bの流派」(現「流派-R since 2001」)で観たのが最初です。当時の僕は田舎の高校生で、自分でもラップを始めた時期だったので「東京ではこんなことが起こってるんだ!」と衝撃を受けました。自分もバトルに出ようと思ったのは、翌年のBBPでの「MC漢 VS 般若」の決勝戦を見てからですね。バトルに感動したのもありますが、自分の名前をもっと知ってもらいたいと思って。それで2003年のBBPにエントリーしました。ただ、そのときは予選の2回戦で負けました。

KEN 4人制の予選だったとき?

DOTAMA そうです。4人で同時にバトルするという。あのときは250人以上エントリーがあったんですよね。

KEN 人数が多すぎて1対1では無理だから、4人で戦うという。

──乱暴すぎる(笑)。

DOTAMA あのバトル以降、20年ぐらいMCバトルに出場させてもらってるんですけど、1日のエントリー者数が最多だったのはあのときだと思いますね。

KEN 俺も4人予選に出たんですけど、まずサークルの同輩で、2002年に好成績を残した志人がすぐ負けたんですよ。その理由が「リングの枠からはみ出たから」。それに納得がいかなくて、審査員をディスり倒して落ちるっていう(笑)。そのときの相手はERONEくんとISH-ONEでしたね。

MC正社員 豪華だな。

DOTAMA それから2004年に始まった「お黙り!ラップ道場」に参加して審査員特別賞をいただいたり、UMBにもエントリーしたりして、よりのめり込んで……という感じです。ほかにも各地で開催されていたいろんなバトルに出させてもらったり。

革命が起こった「小節数 / ターン制」

KEN 当時はどうやって情報を集めてたんですか?

DOTAMA 確かmixiさんですね。

MC正社員 それか掲示板?

KEN 「韻化帝国」(“ネットライム”創成期のWebサイト)の。

DOTAMA そうそうそう! あとはクラブの壁に貼ってあるチラシや、入口に置いてあるフライヤーですよね。行ける大会はすべて行く感じでした。

KEN ちょこちょこありましたよね。

DOTAMA 何カ月かに1回くらいの開催でも、なるべくすべて行くようにしてました。これは肌感なんですが、当時は映画「8 Mile」の影響もあって、いわゆるMCバトルがメインじゃないイベントのオーガナイザーさんでも、「うちもバトルやってみようぜ」みたいなノリはあったと思います。でも、今ほど規格化されたバトルじゃなかった。なんとなく持ち時間制が基本だったと思いますね。

──それもBBPや「8 Mile」の影響ですね。

KEN 「お黙り!ラップ道場」で「小節数 / ターン制」という構造が注目されるようになったんです。(参照:ジャパニーズMCバトル:PAST<FUTURE hosted by KEN THE 390 EPISODE.2(後編)

MC正社員 あれは革命ですよね。

KEN 僕やDOTAMAくんのような、アンサーや切り返しが得意なタイプは、あの方式でずいぶんやりやすくなったと思う。

DOTAMA 自分は最初の頃は箸にも棒にもかからなかったんですけど、UMBさん以降、ターン制が広がったことで、「アンサーでオモロいこと言うじゃんこの眼鏡!」という部分を評価してもらえたのか、ありがたいことに勝てるようにもなっていって。

KEN アンサーの内容で怒られたりはしませんでした?

DOTAMA それもUMBさんのルールの影響で、「8小節3ターン」という速さだと試合の処理速度自体が上がるから、「根には持たない」というか。もちろん、やり過ぎて怒られたりしたこともあります。でも、相手へのリスペクトは大前提ですが、「バトルの話はバトルで終わり」みたいな、わだかまりを持ち越さない部分ってありません? 勝ち負けも含めて。

KEN MCバトルは優勝者以外は全員敗者で、必然的にほとんどの人が負けるシステムだから、回数も増えると「負け慣れ」してくる部分もありますよね。

MC正社員 いや、招待制の大会に頻繁に出てる人は「今日は負けたな」で済むけど、ラップを始めたばかりの子が2000円払ってエントリーする地区大会とかは、けっこうバチバチになりますね。

──そこはやっぱり経験値やリテラシーにも関わってくるんですね。

最近やっと「僕はこれでいいのかな」と思えるようになった

DOTAMA

DOTAMA

KEN DOTAMAくんがバトルに手応えを感じ始めたのはいつ頃からですか?

DOTAMA 謙遜してるわけじゃないんですけど、本当に最近ですね。いろんな大会でベスト8ぐらいまではコンスタントに進めるようになっても、自分の何がウケてるのかもわからなかったし、どうすればウケるのかもわかってなかった。がむしゃらにやってたし、本当に最近、やっと「僕はこれでいいのかな」と思えるようになって。

KEN だいぶ時間がかかりましたね(笑)。

DOTAMA ただ、「キャラクター」として、ゴリゴリの人や、イケてる人がメインの中で、僕みたいなスタイルがあってもいいなと思ったし、僕みたいなやつがいると面白いなと。そこで「DOTAMAは今日も面白かったな」と思ってもらえればいいな、というスタンスは変わっていなくて。もちろん「優勝したい」と思ってますけど、勝ち負けに強烈にこだわっているわけではないですね。

──今でこそいろんなラッパーがいるけど、2000年代は「オーバーサイズでキャップで坊主で」がユニフォームみたいな時代だったし、その中でDOTAMAさんのキャラクターは異彩を放っていましたね。

DOTAMA 手前味噌ですが、確かにそうですね。 

「バトルは面白くなる」というイメージを具現化できた「戦慄MCBATTLE」

MC正社員 DOTAMAさんが初めて優勝したのは「戦慄MCBATTLE」ですよね。

DOTAMA 地元の小さな大会以外では「戦慄」さんですね。

MC正社員 そのときに「『戦慄』のお客さんは自分を認めてくれてる」とDOTAMAさんが言ってたのが印象に残ってるんですよ。ハハノシキュウとか沈黙を語る人とか、あの当時からいわゆるB-BOYとはちょっと毛色の違うラッパーが「戦慄」にエントリーしてたし、お客さんもそういうラッパーに親和性があったと思う。

DOTAMA UMBさんがハード系、「戦慄」さんがナード系というイメージがありましたね。

KEN 正社員くんが「戦慄」に関わるようになったのは?

MC正社員 自分でもラップをしてたときに、ライブのオファーを受けたイベントがあったんですけど、主催者にイベントの詳細を聞いたら内容が全然決まってなくて「それはヤバくない?」「じゃあお前がやってよ」みたいな(笑)。それで自分がオーガナイズをしたんですけど、崇勲やSKY-HIに出てもらったそのイベントの評判がよくて、そのイベントに出てたアスベストが「イベントのオーガナイズできるんなら『戦慄』を手伝ってよ」ということで「戦慄」の運営に関わるようになったんですよね。それが2008年ぐらい。

KEN 当時の「戦慄」はどんな状況だったんですか?

MC正社員 アスベストがmixiとかで呼びかけたりしてたんだけど、エントリーが16人にも届かないみたいな状況でしたね。

DOTAMA 2000年代後半から2010年代前半のMCバトルは、UMBさんが主軸だったし「全国各地で予選を戦って、最終決戦を年末に!」というのが1年の流れでしたよね。

MC正社員 ほかにもMCバトルの大会はあったけど、関東で2カ月に1回とかでレギュラーとしてMCバトルをやってるイベントは数えるほどしかなかった「ZEROMCBATTLE」「上昇気流MC BATTLE」「戦慄MCBATTLE」ぐらいだったと思う。

DOTAMA 「戦慄」や「戦極」の会場は浦和BASEさんが多くて、その位置関係も重要だったと思います。

──いわゆる「東京のシーン」的な力学とは距離を置くことができたんでしょうね。

MC正社員 あと「戦慄」はいろんな意味でアマチュアが中心だった。オーガナイズの方法論も超アマチュアだったと思うし、だからこそ自分が関わりだした2009年の段階で、「こうしたらMCバトルは面白くなる」というイメージを自由に具現化することができたんですよね。

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MCバトル“真冬の時代”

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戦極MCBATTLE 公式 @sengokumc

MCバトルの歴史を KEN THE 390とゲストが語る「#ジャパニーズMCバトル:PAST<FUTURE」

第4回は「戦極MCBATTLE」オーガナイザーの #MC正社員、バトルシーンのトップランナー #DOTAMA が登場!2000年代後半から2010年代前半にかけての“MCバトル冬の時代”を語る。 https://t.co/rrKNLxLQZ6

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