荒田洸の音楽履歴書。

アーティストの音楽履歴書 第25回 [バックナンバー]

荒田洸(WONK)のルーツをたどる

ストイックな野球経験を糧に己の音楽を追求し続ける

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アーティストの音楽遍歴を紐解くことで、音楽を探求することの面白さや、アーティストの新たな魅力を浮き彫りにするこの企画。今回はWONKのリーダーであり、Charaやiriなどさまざまなアーティストとのコラボレーションも精力的に展開している荒田洸(Dr)のルーツを掘り下げる。記事の最後には、彼の音楽的なルーツとなった楽曲で構成されたプレイリストも掲載する。

取材・/ 渡辺裕也

デザイナーの母親から受けた音楽の影響

僕の母はグラフィックデザイナーの仕事をしていて、芸術に対するアンテナを常に張ってるような人だったので、それこそ美術館とかライブとか、幼い頃から僕をいろんな場所に連れて行ってくれたんです。保育園の頃に、The Rolling Stonesの東京ドーム公演にも連れていってくれたらしくて、そのときドームから出たら風に飛ばされそうになったことはなんとなく覚えてます(笑)。そのほかにも沖縄の音楽グループ・ネーネーズを日比谷野外大音楽堂で観たり。本当に小さい頃の出来事なので、ほとんど何も覚えてないんですけど、たぶんそういう経験は今に生きてると思います。実際、ああやっていろんなところに母が連れていってくれたのは、今思えば教育だったんだなって。

ちゃんと音楽を聴き始めるきっかけは、小3のときでした。当時、NHK教育テレビ(現Eテレ)で「マペット放送局」という番組をやってて、それを観ている中で音楽に興味を持つようになったんです。「マペット放送局」は、プリンスとかトニー・ベネットがゲストに出てくるような番組だったんですけど、その中でも当時の僕が一番ハマったのはラッパーのクーリオ。母親にクーリオの「Gangsta's Paradise」のCDを買ってもらってからは、いろんな音楽を自分でも掘るようになって、音楽に関する情報を母と交換するようになったんです。ブラックミュージックが好きな母もヒップホップは聴いてなかったので、家庭内でも新しい感じがありましたね。

母はとにかく洋楽が大好きな人で、家には母のCDが大量に置いてありました。それこそブラックミュージック以外にも、ジェームス・テイラーとかポール・サイモンとか、フォークやカントリーのCDなんかもたくさんあって。音楽の趣味に関しては、やはり母の影響がすごく大きいですね。

「俺はプロになれない」野球で挫折し、映画「ドラムライン」で音楽に開眼

自分で言うのもアレですけど、僕、めちゃくちゃ運動神経がよくて。小さい頃からいろんなスポーツをやっていたんです。で、小学校に上がるときに野球をやってないなと思って、それで小1から始めました。いざやってみたら、野球はものすごく自分に合ってたみたいで、中学では野球部ではなく、武蔵府中リトルシニアというクラブチームに入ったんです。そこは1学年に50人くらい部員がいて、ヘタしたら最後まで監督に名前すら覚えてもらえないような強豪チームだったんですけど、まあ自分はイケるだろうと。でも、そこで初めて上には上がいるってことを知ったんです。

野球に没頭していた頃の荒田洸。

野球に没頭していた頃の荒田洸。

いまだに忘れられないんですけど、中学2年生のときに練習試合をした相手チームのエースピッチャーが、僕と同い年で140km近い球を投げてたんです。その子の投げる球を見た瞬間に「もう無理だ。俺はプロになれない」と。そこで挫折を経験して、もう野球には区切りをつけようと思ったんですけど、なぜか高校でも野球部に入ってしまって(笑)。ただ、高校ではプロを目指すという感じではなく、1つのことを突き詰めたいという気持ちで野球に取り組んでいました。目の前の課題をどんどんクリアして結果を残す。高校の野球部では、ただそれだけを考えてましたね。

中学ではクラブチームで野球をやるのと当時に、ドラムの練習をするために吹奏楽部に入って、野球がない日はパーカッションや合奏の練習をしてました。ドラムを始めたのは小学校5年生のとき。きっかけは、これもまた母に踊らされてる感じなんですけど(笑)、その頃に上映されていた「ドラムライン」という映画を観に行こうと母から誘われたこと。映画を観ながら「やるならドラムしかない!」と思ったのを覚えてます。

野球に没頭していた頃の荒田洸。

野球に没頭していた頃の荒田洸。

「ドラムライン」の影響もあって、当初はマーチングドラムがやりたかったんです。それで吹奏楽ではスネアみたいな単発の打楽器をやってたんですけど、そんなときにスティーヴ・ガッドというドラマーの存在を知って、それがドラムを始めるきっかけになりました。どんな音楽ジャンルにも対応できて、なおかつ自分の色がしっかりある彼のスタイルに憧れて、最初はとにかくスティーヴ・ガッドの真似ばかりしてましたね。自分のドラマーとしての基礎は、多分そこからきていると思います。ポール・サイモンとかに興味を持つようになったのも、今思えばスティーヴ・ガッドがうしろで叩いてたのがきっかけでしたね。

とにかく音楽を学びたかった大学時代

中2くらいから、音楽をもっと突き詰めたいという思いが強くなりました。なので、葛藤もあったんです。それこそ音楽でプロフェッショナルになるような人たちはみんな学生の頃から練習してるのに、俺はなんでまだ野球をやってるんだろうって。ほぼ毎日野球をやりながら「自分がこうしている間にも、音楽の勉強をしてるやつはいっぱいいるんだよな」みたいな焦りがすごくありましたね。

それで高校では週6で野球の練習をしながら、残りの週1日は軽音楽部で同い年のバンドメンバーたちと、The Rolling StonesやTHE BLUE HEARTS、奥田民生の曲をカバーしてました。本当はジャズとかフュージョンをやりたかったんですけど、一緒にできる友人がいなくて。みんなが好きなロックのカバーをしつつ、自分がやりたい音楽を早くやりたいなっていう思いがどんどん強くなって。大学では絶対に音楽に絞ろうと決心してました。間違っても、大学でまた野球部に入るなんてことはしないぞと(笑)。

1年間浪人してから大学に入ると、まずはさまざまな音楽サークルや、同世代が入り浸ってそうなライブハウスにどんどん足を運びました。とにかく音楽を学びたかったので、在学していた慶應義塾大学のSFCでジャズ研に入りつつ、日吉キャンパスのフュージョンサークルとか、早稲田のジャズ研とか、いろんなところに顔を出してたら、演奏がうまい人たちやいろんな音楽に詳しい人たちに出会って。それこそセロニアス・モンクだとか、最近のジャズがどうだとか、そういう話が当たり前にできる同世代がたくさんいて、もう本当に楽しかったし、そうした出会いが今のWONKにつながっていくんです。メンバーにはそれぞれ共鳴できるものがあったし、みんな実験好きで新しいものに対するアンテナを常に張ってて。この人たちと一緒にもの作りができたら、絶対に面白いだろうなって。

野球経験をWONKにフィードバック中

WONKというバンド名はセロニアス・モンクが由来で、MONKの頭文字の「M」を回転させて「W」にしてます。自分の個性を躊躇もなく出していくモンクのスタイルにすごく憧れたし、オリジナリティを包み隠さずに出して、攻めた音楽をどんどん作り続ける彼の姿勢は、今のWONKに大きく影響してますね。長年やっていた野球で培った経験は、WONKの活動にも生きてると思います。それこそ自分たちがやったことの結果に対して、しっかり原因を探るようになったのは、きっと野球の影響が大きいんじゃないかな。というのも、高校で野球との向き合い方が変わってから、僕は普段の歩き方から何から、すべての所作を野球と結び付けて考えてたんです。手をこう動かしたからバットがこう出る、みたいな感じで、すべての結果には何かしらの原因があるだろうと。

2016年のWONKのアーティスト写真。

2016年のWONKのアーティスト写真。

WONKの活動もそう。バンドが動いたらこういう結果が出た。僕は必ずそこに何かしらの因果があると思ってるので、制作過程はもちろん、メンバー間のコミュニケーションとかもわりと細かく分析するようにしています。それこそチームプレイという点でバンドと野球は同じなので、バンド内のバランスを保ったり、個々の考え方を整理しておくのは大切なことだなと。

とはいえ、音楽活動は野球と違って、勝ち負けがはっきりしているわけじゃないんですよね。何が正解かわからないまま、暗闇の中ですべてを作っているような感覚がある。それって音楽のよさでもあるんですけど、勝ち負けをはっきりつけるのが当たり前な野球をずっとやってきた身からすると、ちょっとモヤモヤする感じがあって。その感覚をどうしていくかということは常に考えてて、それはもの作りに対する僕の姿勢にもつながってるかもしれません。

チームとして音楽を作ってるところがWONKの強みだと思うんですけど、そのリーダーとしてチーム内のバランスを見ていく中で、団体戦じゃなくて個人戦もやりたいな、と思って。つまり、ソロ活動はあくまでもWONKをやってきたからこそ思い付いたことなんです。チームで動いているからこそ、個人として作りたいことが見えてきたというか。

WONKとソロの音楽性の違い

ああ、大事なことを履歴書に書き忘れてました。僕が1人でビートを作るようになったきっかけは、J・ディラなんです。それまでの僕はどちらかと言えば、ビートよりもフロウやメロディラインに惹かれることが多かったんですけど、ディラの音楽を初めて聴いたときに気付きを得て、「こういうトラックを自分も作ってみたい」と思ったんです。ディラのように1ループだけで聴く者を魅了してしまう、そんな音楽が作れたらなって。それがソロとしての出発点でした。

WONKで作品を作るときは、自分の中で切り替えポイントみたいなものがあって。WONKはブラックミュージックをベースにしているので、そのマナーを意識しながら制作に臨むんですけど、個人として作品を作るときは、そのスイッチがオフになるというか。特に最近は、それこそ小さい頃に家でかかっていたジェイムス・テイラーやSimon & Garfunkel、ブルース・スプリングスティーン、The Beach Boysとか、個人としては今そういうサウンドを志向していて。そこは方向性としてバンドとソロで明確に分かれているところだと思います。

最近ソロとしてひさしぶりに曲を出したんです。それこそジェイムス・テイラーとかポール・サイモンみたいなサウンド感を、今の自分のスタイルに落とし込みたいと思って。あと、これは音楽活動じゃないですけど、大学生のときにteamLabでアルバイトをしてたり、小さい頃からもの作り全般が好きだったのもあって、これからはインスタレーションだったり、いろんなことを音楽と結び付けながらやっていきたいなと思ってます。

野球ではプロになりたかったし、それこそ中2で挫折するまでは普通になれると思ってましたけど(笑)、音楽のプロとして生きようと決心したことは一度もないんですよね。いや、もちろん考えた時期はあるんですけど、いろいろ考えていくと、音楽で食っていくのって、ヘタしたら野球以上に現実的じゃないのかもなって。なので、就活も普通にしてたんですけど、大学を卒業する頃に「Sphere」(2016年に発表されたWONKの1stアルバム)をリリースしたら、しばらくはこれでやっていけそうな感じだったので、とりあえず就職を先延ばしにして、そこから今に至るって感じですね(笑)。

ちょっと話が逸れてしまうんですけど……僕、タトゥーを入れたいなとずっと思ってるんですよ。でも、タトゥーを入れると一般企業に就職できなくなっちゃうな、という思いがいまだにあって、とりあえず30歳まではやめとこうかなと(笑)。なので、今後もし自分のやりたいことがやれない状況になってしまったら、僕は普通に就職するかもしれないですね。好きな物作りがやれるのであれば、そのほうがいいなって。とにかく自分が作りたいものを作る。それが自分にとって何よりも大事だと思ってます。

荒田洸(アラタヒカル)

荒田洸

荒田洸

1992年生まれ、東京都出身。大学時代に知り合った長塚健斗(Vo)、江崎文武(Key)、井上幹(B)と共に、2013年にWONKを結成。2016年9月に1stアルバム「Sphere」をリリースする。バンドの屋台骨として活躍する一方で、2018年にはソロ名義による初音源「Persona.」を発表。iri、MALIYA、Charaなどのサポートを務めるほか、所属レーベルEPISTROPHではkiki vivi lily、MELRAWのプロデュースを手がけている。2020年8月に配信シングル「ひかた」をリリースした。

※記事初出時、プロフィールに一部誤字がありました。お詫びして訂正いたします。

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