インドネシアの映画産業は半分がホラー?ヤン ヨンヒとモーリー・スリヤが3年ぶり対談

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在日コリアン2世であるヤン ヨンヒと、インドネシア出身のモーリー・スリヤが本日10月31日、第36回東京国際映画祭と国際交流基金の共催プログラム「交流ラウンジ」で対談。2人は2020年にリモートで対談しており、前回の最後にヤンが「いつか必ず会いましょう」と話していたことから、3年越しに対面での対談が実現した。2019年の第91回アカデミー賞外国語映画賞のインドネシア代表に選出された「マルリナの明日」で知られ、今年の東京国際映画祭では黒澤明賞を受賞したスリヤ。2人は再会を喜びながら、コロナ禍以降の3年間を振り返った。

第36回東京国際映画祭と国際交流基金の共催プログラム「交流ラウンジ」の様子。左からヤン ヨンヒ、モーリー・スリヤ。

第36回東京国際映画祭と国際交流基金の共催プログラム「交流ラウンジ」の様子。左からヤン ヨンヒ、モーリー・スリヤ。

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コロナ禍の3年間を振り返る

左からヤン ヨンヒ、モーリー・スリヤ。

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ヤンはドキュメンタリー映画「スープとイデオロギー」の編集で韓国に2年間滞在したこと、そして同作で撮影した自身の母の死に直面したことを明かしながら「人と会うということ、人と会えないということを改めて考えた時間でした。国籍は韓国ですが、がっつり韓国で過ごすのは初めてで。韓国の映画界、社会についても深く、いいところも悪いところも見ることができて貴重な時間でした」と語る。

コロナ禍のインドネシアではスタッフを集めることが困難で、新作「This City Is a Battlefield(英題)」の撮影を延期したというスリヤ。その後「マルリナの明日」に関連したプロジェクトをアメリカで製作できることになり、2020年から資金や人材を理由に渡米していたそうで「アメリカの映画産業はシステマティック。組合もしっかりしていて、腕のあるスタッフがすぐに見つかる。みんながチャンスを狙っていて、それが映画業界のアメリカンドリームと言えるのかもしれません」と振り返る。

インドネシアの映画産業は「まだまだ若い」

モーリー・スリヤ

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「インドネシアから出たことで、この国や映画業界の変化がとてもよく見えるようになった」と話したスリヤ。「コロナ禍以降、プロダクション自体はとても増えていると思います。インドネシアではWebコンテンツやドラマシリーズなどにスタッフが集中していて、映画のために人を集めることが難しい」と現状を明かすと、ヤンは日本も似たような状況にあることに触れ「日本の映画関係者と話していてもスタッフが集まらないとはよく聞きます。映画だけではなかなか生活が成り立たない、映画から離れたという人もいます」と話した。

さらにスリヤはインドネシアの映画業界について「まだまだ若い産業」と強調し、「独裁政権が1998年まで続き、業界は死に体でした。検閲も厳しく、公開自体も難しかった。今は盛り上がってきていますが、まだまだ赤ちゃんのような状態。組合もありますが、あまり機能していない。どういう形がいいのか模索している状況です」「スタジオシステムや配給会社もなく、ある意味、すべてがインディペンデント映画と言える状況です。ある1社に採用されれば、全国公開できますが、その可能性は五分五分。全国公開ができたとしても、インドネシアには7000の島があって、全国へのプロモーションが非常に難しい」と話す場面もあった。

ヤンがインドネシアにおける女性監督の活躍について尋ねると、スリヤは「実は全体で作られる映画の半分がホラー映画。女性の監督もホラーを撮ることが多いです。人気があって商業的に非常に当たりやすい」と回答。「ただ女性監督というのが1つのカテゴリーのようになっていて、大作の監督に抜擢されることはほとんどありません。私も含め女性の視点から描くジャンルの監督に見えていると思います」と現状の認識を明かした。

作家としての声

左からヤン ヨンヒ、モーリー・スリヤ。

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MCから3本の長編映画のスタイルがすべて異なることを言及されたスリヤは、「二度と同じことはしたくないんです。基本的には今に集中していて、過去は忘れてしまうタイプ。違うジャンル、スタイル、アプローチに見えるのは確かにそうですが、私にとっては3作とも実はそんなに変わっていないつもり」と答えつつ、27歳で経験した初監督を振り返り「そのときは自分が何を表現したいのか、はっきりとはわかっていなかった。そこから世界を見て、年月を経て、自分がどんな声を発したいかわかってきたところです」と説明する。映画学校で学んでいたときはスタンリー・キューブリックの映画に魅了されていたそうで「彼に憧れて、彼のように映画を作りたかったんです。彼の映画もそれぞれジャンルやスタイルが違うように見えて、実は1つの同じ声を描いていると思います」と話した。

「マルリナの明日」の大ファンという観客が「ご自分の映画における変わらない声を言葉にすると?」と尋ねると、スリヤは「説明するのは不可能ですね(笑)」とリアクション。続けて「誰かも言葉にできること、文章にできることだとしたら映画にする必要はない、と言っていますが、やっぱり私の声を表現するためには、映像と音が必要なんです。ちゃんとは説明できないですね」と明かす。一方で「私の声は、もしかしたら人の気分や居心地を悪くさせるものかもしれない。『マルリナの明日』も女性活動家やシネフィルは気に入ってくれたが、一般の人は引いてしまう部分もあった。商業的に大成功したとは言えませんが、年月を経ても好きと言ってくださる方は残っていますね」と語った。

ヤン ヨンヒが若い監督に向けて語る

ヤン ヨンヒ

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対談ではヤンが映画業界を志す若い監督に向けてアドバイスを贈る場面も。「自分を信じること、その厚かましさも才能の1つ。自分を信じることができないと、完成に至らない、完成しても公開に至らない。自分を信じ、スタッフを信じる。信頼できる人とどう出会うかも大事。その精神力を保つためには体力がないといけない。最近は才能より体力。だから筋肉のほうが重要じゃないかと思います(笑)」と述べつつ、恩師の言葉である「自分にくっついているものを捨てて、周りに合わせようとすると、君の面白さはなくなる。しんどいけど、自分が持って生まれたものを抱えたままがんばれ」という言葉を紹介した。

左からヤン ヨンヒ、モーリー・スリヤ。

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さらに韓国語で「ふんばる」「耐える」を意味する「ポティダ」という言葉に触れながら「私も40歳を過ぎてから監督デビューしました。年齢なんて関係ない。自分が腰を据えて何を作りたいか、何を世界に発信するか。自分の小さな発信でも今の時代は地球の裏側まで届くという意識を持って作ることが大事。映画は監督が溢れ出るもの。自分の知性、豊かさ、愚かさ、浅はかさ、いやらしさ、ずるさも全部バレると思って誠実に作るのが大事だと思います」と続けた。

なお今回のトークイベントは後日、東京国際映画祭のYouTubeチャンネルで配信される予定。第36回東京国際映画祭は明日11月1日まで開催される。

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