映画「
本作は、1923年9月1日に発生した関東大震災から6日後、千葉・福田村で9人の行商団員が殺された事件を題材とする物語。震災時に各地で起きた朝鮮人虐殺、そして朝鮮人に限らず“善良な人々”が虐殺された日本の負の歴史が描かれる。井浦が日本統治下の京城(現ソウル)で虐殺事件を目撃した教師の澤田智一、田中が夫とともに福田村に帰ってくる妻の静子を演じた。
震災からちょうど100年を迎える本日9月1日に公開初日を迎えた本作。まずはキャストが1人ひとりマイクを握り、観客に語りかけていく。井浦は「2019年にテアトル新宿で、森監督とプロデューサーの井上淳一さんから本作に参加してほしいとオファーをいただきました。その場で『どんなことがあっても参加したいです』と伝えました」と振り返り、「震災から100年目の今日、この映画を上映できたこと、作品が旅立ったことは意味のあることだと思っています」と真摯に伝える。田中は「この作品に関わるまで福田村事件のことを知りませんでした。これほどまで大きな事件をなぜ知らなかったのか? なぜ私たちに伝わることなく100年が過ぎたのか? 100年前の出来事でしたと終わることではなく、現代の私たちにも問いかけるものがあると思っています」と続いた。
永山は「この映画の企画をいただいて、内容を知ったとき、まず『僕の出番を増やしてくれ』と初めて言いました。そして少しだけ増えました。日本映画に一石を投じる作品に携わることができて幸せです」と述べ、東出は「映画を企画した荒井晴彦さんとお話ししたときに、『ハリウッドだったら3、4回、映画が作られている題材。なのに日本では作られてこなかった』とおっしゃっていました。大手が出資する映画だと、差別、国の問題、同調圧力は描き切れないかもしれない。でも楽しいエンタメだけではなく、負の物語を紡いでいくことも映画だと思っています」と語った。
向里は「作中に出てくる虐殺してしまった村人たちは、私たちと同じ日常がある普通の人間です。でもあのように環境にのまれてしまうと、無意識のうちに加害者になってしまう。100年前の話ですが、人間の本質は変わっていないと感じています。自分の心でものを見るようにし、救えるものを救っていけたらと、この映画に参加しながら考えました」と述べる。また木竜は「『福田村事件』を選んでくださってありがとうございます。映画が広がり、羽ばたいていってくれることを願っております」と、杉田は「緊張感を持って演じることができました」と述懐。カトウは「自分は亀戸事件の関係者を演じました。資料も数少ない中、監督と探りながら最後の瞬間まで到達していけました。この映画が何かを知るきっかけになったら幸いです」とコメントした。
そして水道橋博士は「目を背けることなく観てほしい。ご覧になった方は、この映画には観るべきものがあると広めていただきたい。そして東京都知事ですら追悼文を送らなくなったことに対して、抗議をしてほしい」と伝え、豊原は「こういった題材をもとに映画を作って、観客の皆さんに問いかける。それが我々の仕事だと思っています。この映画をどうぞよろしくお願いいたします」と挨拶した。
本作で劇映画デビューを果たした森は「オウム真理教のドキュメンタリーを撮ってからずっと、集団のメカニズムというものがテーマだったんです。ですから朝鮮人虐殺は形にしたいと思っていました。この事件は朝鮮差別、被差別部落問題という日本の近代の歪みが2つ重なっているもの。単なる加害側、被害側だけではない、いろんな視点が作れるので、劇映画にふさわしいと思いました」と明かす。当初、キャスティングに難航すると思っていたという話に触れ、森は「打ち合わせをしながら、これ、誰が出るの?と。井浦さんはなんとなく内定していて、東出さんが出たいと言っているよと聞いていたので、2人だけかなと思っていたんです。でも打診していったら、スケジュール的に無理な方以外は、ほぼ即答してくれました。始める前は、反日映画と批判されて、上映中止運動が起きて、劇場はどこもやってくれないということも考えていたんです。そうなると俳優にとってはなんのメリットもないと危惧していました。でも俳優の皆さんは、やっぱりこの状況はおかしい、なんで日本映画はここまでダメになってしまったのか?という思いがあったのではないかと思っています」と言及した。
「福田村事件」は全国で公開中。
映画「福田村事件」予告編
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水道橋博士 @s_hakase
【初日舞台挨拶】「福田村事件」俳優陣は出演をほぼ即答、井浦新「どんなことがあっても参加したい」(写真13枚) https://t.co/LruEAf3EbY