イベントでは第34回東京国際映画祭でAmazon Prime Videoテイクワン賞を受賞した短編「日曜日、凪」と、初披露となる新作「リンゴをかじる女、風を売る男」を2本立てで上映。劇中スチルを手がけた写真家・濱田晋の写真展や、金とゲストによるトークイベントも行われる。
トークイベントには、金が東京藝術大学大学院映像研究科の修了制作展で制作した「バイバイ、マラーノ」の出演者・
イベント開催に合わせて
金允洙 短編作品上映[4:3/2:1]
2022年6月3日(金)~5日(日)東京都 ユーロライブ
料金:税込1500円
<上映作品>
「日曜日、凪」
「リンゴをかじる女、風を売る男」
<開催スケジュール>
6月3日(金)
18:45~の回(終映 19:55)
20:45~の回(終映 21:55)※仲野太賀、小林竜樹、金允洙によるアフタートーク
6月4日(土)
18:35~の回(終映 19:45)※安藤理樹、大場みなみ、金允洙によるアフタートーク
20:45~の回(終映 21:55)※清水葉月、前原瑞樹、金允洙によるアフタートーク
6月5日(日)
13:35~の回(終映 14:45)
15:15~の回(終映 16:25)※渡辺真起子、金允洙によるアフタートーク
行定勲(映画監督)コメント
洗練された絵作り。記憶の中にある言葉をリフレインさせる斬新な手法で、生きるエネルギーや現実と記憶を交錯させながらそこに映っていない事象を観客に想像させ救済する。
私はこの短い作品の中に、たくさんの映画的な情緒を発見し、愛しく思った。
渡辺真起子(俳優)コメント
女が欲しいものは何だったのか。
日曜日の女は本当に夫の浮気だけが原因でそこから離れるのだろうか。
リンゴの女の本当に果たしたかったことは何だったのか。
見ているうちに、彼らが自分の横をすり抜けていったように、もしくは私が彼らの横をすり抜けたように錯覚する。
スケッチされた道端は私の知ったような道端に思える。最後にはストンと物語から上手に突き放される。
私の頭も心も追いついていないのに、何だか理解はしている。多分、身体の中で。
あくまでも男が見た女の横顔なんだけど、あんな顔をしている女を女の私も知っている。気がする。そこがいい。
三宅唱(映画監督)コメント
ほかに似た監督がいるだろうかと考えてるけれど全然思いつかない。
強いて言うなら、デビット・リンチのシナリオをジム・ジャームッシュが撮った、みたいな感じか。
こんな喩えはどうでもよくて、みたことあるようでみたことがない、ということだ。
例えば、ビリヤード場の外の灰皿を挟んで交わされる場面、絶妙に気の抜けるような俗っぽさは可笑しいが、しかしそのビリヤード場の外観に漂う異国感に戸惑う。
カップルの食卓やハンバーガー屋やバーで、徹底的に俗っぽさと戯れつつ、しかしいつのまにか、そんなリアルなどクソくらえということなのか、キム・ユンスの世界が立ち上がる。いったいここはどこ?
般若(スピリチュアル系恋愛マスター)コメント
「日曜日、凪」を観ました。金監督は誰もが持っている欲望や人間の怖い部分を映像に落とし込みます。
時に非現実的で時に物凄くリアルです。一般社会でそれ言ったらアウトだろ。的な部分を躊躇なく出してきます。でも、どの作品にも感じられるのは繊細や愛です。
上野昂志(評論家)コメント
金允洙の作品には、余白がある。といって、往年の実験映画のような、フィルムに黒や白のコマが挟み込まれているというわけではない。ちゃんと、然るべき画が連続して話を進めていくのだ。にもかかわらず、そこには、物語の陥没点とでもいうべき余白が随所にあり、それが見る者に想像を促す。金允洙のそんな試行が、明確に表現されたのは、「リンゴをかじる女、風を売る男」だ。セリフを廃したこの映画は、初期のサイレント映画に、逆側から接近した、稀有な試みであり、そこには、何事によらず説明過剰な現代への痛烈な皮肉がある。
※上野昂志の昂は異体字が正式表記
HAIIRO DE ROSSI(ラッパー)コメント
人生は砂時計の砂の様に我々の余白を埋めていく。
あったはずの、または本来あるはずの余白を愉しむ時間を得られるのは芸術にしか成し得ない史上の贅沢かもしれない。
瀧川鯉八(落語家)コメント
「リンゴをかじる女、風を売る男」こんな映画、なさそうでなかった。邦画のようで、洋画のようで。無国籍なようで、多国籍なようで。実体が掴めないようで、でも記憶の底に昔からあったようで。愛はないけど、ないとも言い切れないようで。言葉やストーリーましてや意味などなにもないようで、でも雄弁で繋がりはあって投げかけたいものはあるようで。確かなことは、低温ではあるが温もりが存在しているということ。だからどうした、と笑われてるようで。
役者の顔がいい。みんないい。光と影と音と静寂を小憎らしいほど巧みに使ってきやがる。ジリジリと化物が迫りくるような映画。それは監督キム・ユンスがあなたに迫ってきたということ。やっぱりこんな映画、なさそうでなかった。
壱タカシ(シンガーソングライター、クィア・アーティスト)コメント
「日曜日、凪」
凪。陸上から見た穏やかな印象。海の中では無数の命が蠢いている。穏やかな陽が差し込むリビングと、牧歌的なトーンで展開される会話。スクリーンの裏で蠢くものを感じる。共に生きるとは、何か。
「リンゴをかじる女、風を売る男」
物語が進むにつれ、輪郭のない感情が脳の皺一つ一つを伝って染み込んでくる。さまざまな謎を残し、ラストシーンを迎える。最終的に、リンゴをかじった時のような、はっきりとした痛みが残る。
Zami Umiaca(Cyber Actress Master)コメント
I finished watching a movie. I could feel the smell and the wind. Now I remember.
(私は映画を見終わりました。 それは匂いと風を感じる事が出来た。 いまふと[それで]思い出した。)
ハロルド作石(マンガ家)コメント
セリフの無い映像は余計想像をかき立てられます。Yが望んで得たいもの…。
行き交うトラック、溢れるジュース、回るシングル盤、揺れるブルーシート…細部に情感を感じました。
47分という短い物語を観終えると、音楽という形の無いものを届けた後に役目が終わっても
ターンテーブルの上を回っているレコードの余韻のようなものを感じました。
手嶋悠貴(映画監督)コメント
「日曜日、凪」を拝見しました。短編という短い時間。でも、その中にはとても長い時間が凝縮されていて、誰もが、その中のひとかけらの場面に自分を重ねてしまうような、忘れていた風景や感情が突然、甦るような不思議な作品でした。
秋山ゆずき(俳優)コメント
美術館や写真展に行ったような気持ちになりました。いつの間にか色々な物や出来事に名前をつけて知っている物としての安心感と引替えに想像して面白がる事や怖がる事を失いかけていたのかなと、気付かされた作品でした。人と向き合う事、向き合っても見えない内側言葉という音がなくなった時私はそれ以外で情報を得ようとより一層集中していました。
吉原光夫(俳優・演出家)コメント
「日曜日、凪」
凪と荒れ狂う海自分には遥か過去の錆の匂いのする記憶…彼女の赤いワンピースがやけにノスタルジーと色気を感じさ
せる。最後の家に戻ったシーンは、家にある影が付き纏う…なんかとても終わった後、「おー…」っと、ため息にも似た、感嘆を吐いてしまう。そんな作品。
「リンゴをかじる女、風を売る男」
セリフ無しの映画に抵抗があったことが嘘みたいにすんなり受け入れた自分がいた。まず、清水葉月さんが素晴らしくバケモノやな…とお伽話が段々と肌感覚に迫ってくるが、通り過ぎてゆく感じに安堵する。が…なんか…なんか退廃的な中に、清水葉月さん演じる役の美しさ、強かさ、危うさが響いていく感じがおかわりしたくなる…
小嶋謙介(アートディレクター / フィッシュマンズ)コメント
昔下北沢の駅前に噴水があった頃そこに座ってタバコを吸いながら缶コーヒーを飲んで階段から降りてくる人達を良くぼぉーと眺めていた。楽しそうな人、寂しそうな人、怒ってる人、泣いてる人、様々な人達の顔を見ていると色んな想いが浮かんできて何時迄もそこに座っていた。
そんな夜の想いを歌ったのがフィッシュマンズの「土曜日の夜」です。
この作品を観てあの頃の夜の空気を少し思い出しましたよ。
なんだか落ち着かないザワザワした気分の土曜の夜の空気を。
おおとも ひさし @tekuriha
金允洙の初披露含む監督作2本をイベント上映、トークショーに仲野太賀ら -
"6月4日(土)
18:35~の回(終映 19:45)※安藤理樹、大場みなみ、金允洙によるアフタートーク https://t.co/G7UCE5xVoC