“二人歩きができる”“全幅の信頼を寄せている”関係性
──改めてお互いの印象も伺えますか?
幸四郎 よく考えてみると、しょっちゅうご一緒するわけでもないんですよ。それでも「仮名手本忠臣蔵」五・六段目のおかる勘平(2013年)から歌舞伎NEXT「阿弖流為〈アテルイ〉」(2015年)まで、共演する作品の幅がとても広いですよね。
七之助 確かに。初めて“相手役”と言えるお役を演じたのは、明治座での怪談「牡丹燈籠」(2011年)でしょうか。普段は「あーちゃんにいに」と呼ばせていただいているのですが、家族全員があーちゃんファン。(役がかわるたびに化粧を落としてまた最初から塗り直す)すさまじい早替りを見て、そのこだわりにこちらの気も引き締まったり(笑)、とにかく尊敬する先輩です。
──過去のご共演エピソードで印象深いのは、なかなかご共演が叶わなかったお二人がその「牡丹燈籠」でご一緒し、幸四郎さんが「やっと捕まえたからね」と楽屋でプロポーズし、明治座の「与話情浮名横櫛」(2013年)のお富与三郎でのご共演にもつながり……というお話です(笑)。
七之助 懐かしいですね。あのとき、幸四郎さんが特別に作られた与三郎の衣裳、とってもステキでした。
幸四郎 7・8色入れてわざと褪せた感じに織り、使い込んだような“やれた”風合いを出した、思い入れある衣裳です。(七之助に)そういえば、コクーン歌舞伎で与三郎やったよね?(2018年「切られの与三」、参照:中村七之助が創り出す新たな与三郎像、コクーン歌舞伎「切られの与三」) あの時に貸してあげればよかったなあ。
七之助 いやいや、次になさるときまで大事にしまっておいてください(笑)。
──2020年「八月花形歌舞伎」四部制で歌舞伎座がコロナ後に再開し(参照:松本幸四郎が「ついにこの日が」と感慨「八月花形歌舞伎」開幕に市川猿之助らコメント)、そこで出た「与話情浮名横櫛」でも幸四郎さんがこの衣裳で出られていて、うれしく眺めました。ちなみにコクーン歌舞伎で七之助さんが与三郎役を演じると発表された途端、真っ先に幸四郎さんと(片岡)愛之助さんが楽屋に飛んで入ってきて、傷の描き方などいろいろとご伝授されたというエピソードも好きです! 改めて、この組み合わせだからこそ感じる、お互いの魅力を教えてください。
幸四郎 “二人歩きができる”感覚はありますね。初日が開いて、少しずつ一緒に経験を積み重ねていけるというか、初役でも最終的には「二人だからこその芝居ができるんじゃないか」という期待感を抱かせてくれる人です。
七之助 僕は崇拝に近い全幅の信頼を持っています。「阿弖流為」のときも、兄(中村勘九郎)と「幸四郎さんがいたから、座組み全体が志を1つにして、同じ方向が見られたよね」と今でも話しますし。だから昨年の7月は大阪松竹座でご一緒できて、本当にうれしくて。最後は全員が口をそろえて「日延べしてもいいから、もっともっとやりたい!」と別れを惜しみました(笑)。
──連日熱気のあった松竹座公演は、3年ぶりとなる「船乗り込み」がオンライン生配信されましたね。座組みの皆さんがとても和気あいあいと楽しそうで、始まる前から1つになっていた様子が伝わってきました。
幸四郎 僕、いつまでも若手気分でしたけれど、まさか自分が「船乗り込み」の二艘目に乗って、しかも雅行(勘九郎)と隆行(七之助)が横にいる日が来るなんて想像もしていませんでしたから。あの月はとても感慨深かったですね。
七之助 (中村)鴈治郎のおじさまも「昔の活気ある大阪に戻る気がする」と始まる前からおっしゃっていて、とにかく千穐楽まで高揚感がありました。こうして1月も皆様とご一緒できるのが楽しみでしかありません。
──今後のご共演にも期待しています。最後に2022年の振り返りと、2023年の抱負を伺えればと思います。
七之助 2022年1月は(中村獅童の息子)陽喜くんの初お目見得にご一緒できて幸せでしたし、コクーン歌舞伎「天日坊」、「春暁特別公演」といった巡業もありましたが、上半期はコロナでの公演中止などにも悩まされた波乱の幕開けでもありました。なので自分の肌感としては、7月の松竹座から本格始動が始まった感じで。8月は新作の「新選組」、2カ月続けて宮藤官九郎さんの新作をかけることができた平成中村座、12月(「助六」での)揚巻と、下半期の濃密さがすごかったです。2023年は1月から5月まで舞台が続くので、スタートダッシュからしっかり動いて、40歳という節目の1年をしっかりと過ごしたいです。
幸四郎 2022年、とにかく12カ月間、毎月歌舞伎座が開いたことがありがたくホッとしていますし、1年間、緊張感を持って舞台に立ち続けてきた感慨があります。2023年は真面目な話になっちゃいますが、止まらず、1歩でも2歩でも前進できるような1年にしたいです。今年は「走ろう」って思っているんですよね。
──走る……ジョギングですか?
幸四郎 あ、いや、リアルに走ると舞台に立つ前に疲れちゃうので(笑)、“走る”のはマインドですね。今年も全速力で駆け抜けようと思っています!
プロフィール
松本幸四郎(マツモトコウシロウ)
1973年、東京都生まれ。1979年に「侠客春雨傘」にて三代目松本金太郎を名乗り初舞台。1981年に「仮名手本忠臣蔵」七段目の大星力弥ほかで七代目市川染五郎を襲名。古典から復活狂言、新作歌舞伎まで幅広い演目に取り組む一方で劇団☆新感線の舞台やテレビドラマ、映画などにも出演。2018年に高麗屋三代襲名披露公演「壽 初春大歌舞伎」にて十代目松本幸四郎を襲名した。
中村七之助(ナカムラシチノスケ)
1983年、東京都生まれ。1986年に歌舞伎座「檻」の祭りの子勘吉で波野隆行の名で初お目見得。1987年歌舞伎座「門出二人桃太郎」の弟の桃太郎で二代目中村七之助を名乗り初舞台。古典から新作歌舞伎までさまざまな作品と役に挑戦するほか、映像作品にも出演。幅広い世代に歌舞伎の魅力を伝えている。2月に出演する歌舞伎座「二月大歌舞伎」では「三人吉三巴白浪」でお嬢吉三、「女車引」で八重を勤める。
今月の黙阿弥
1月は僧侶と遊女の心中を巡る世話物「十六夜清心」
新春の歌舞伎座は各部、没後130年の節目を迎える河竹黙阿弥の作品が上演される。世話物、時代物、舞踊……生涯360本という多作で“江戸歌舞伎の大問屋”と称される黙阿弥は、幕末から明治の激動の時代を生きた狂言作者。江戸日本橋の裕福な商家の息子として生まれた黙阿弥は、本名を吉村芳三郎(よしむらよしさぶろう)といい、五代目鶴屋南北に入門し、20歳の頃、勝諺蔵(かつげんぞう)としてキャリアをスタートさせた。28歳で二代目河竹新七を襲名し立作者となり、1854(嘉永7)年、39歳のときに、四代目市川小團次の求めに応じて書いた「忍ぶの惣太」が大入りとなり、腕を振るうようになった。以降、小團次とタッグを組み、盗賊を主人公とした白浪物で数々の大当りを取る。明治期、演劇界には演劇改良の気運が高まり、黙阿弥も九代目市川團十郎の求めに応じて、史実を取り入れた“活歴物(かつれきもの)”を書くように。また五代目尾上菊五郎のために、文明開化の風俗を映した“散切狂言(ざんぎりきょうげん)”も多く作った。
「十六夜清心」の初演は1859(安政6)年江戸市村座。当時話題となった僧侶と遊女の心中事件、前々年に起きた江戸城御金蔵破りの事件、また江戸中にその名を知られた盗賊・鬼坊主清吉など複数のモチーフを絡めて書かれた作品だ。同作は初演から大評判を取ったものの、御金蔵破りを脚色したことが咎められ、35日で上演禁止となってしまった。
舞台初日、清心を演じた小團次と黙阿弥が上手の隅から芝居を観ていた際、小團次が「(岩井粂三郎のちの八代目半四郎が演じる)この十六夜なら、寺を開いても(捨てても)おしかァねえ」とつぶやいたエピソードも残されている。
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