目まぐるしく変化していく日々、ふと非日常的な時間や空間に浸りたくなったら、“ゆるりと歌舞伎座で会いましょう”。9月の歌舞伎座は「秀山祭」。「秀山祭」とは初代吉右衛門の功績を讃える興行で、2021年に逝去した二代目中村吉右衛門を中心に2006年に始まった。今年は吉右衛門の三回忌追善として行われる。
ステージナタリーでは、吉右衛門と同じ播磨屋として、多くの舞台を共にしてきた中村歌六と中村又五郎兄弟の対談を実施。2人は懐かしい表情で吉右衛門とのエピソードを明かしながら、公演に向けた思いを語る。さらに後半では、毎月恒例の河竹黙阿弥に焦点を当てたコラムをお届けする。
取材・文 / 川添史子播磨屋コラム / 櫻井美穂インタビュー撮影 / 藤記美帆
昨年の「秀山祭」で不在を実感「本当にいらっしゃらないんだな…」
──今年の「秀山祭九月大歌舞伎」は、2021年に亡くなった二代目中村吉右衛門さんの三回忌追善興行です。本日は過去の「秀山祭」を振り返りながら、吉右衛門さんの思い出などを伺えればと思っております。まずは2022年の「秀山祭」(参照:「秀山祭」開幕、松本白鸚・片岡仁左衛門・中村梅玉らが中村吉右衛門をしのぶ)から。吉右衛門さんがいらっしゃらない初めての「秀山祭」でした。
中村歌六 松本白鸚のお兄さんとご一緒した秀山十種の内「松浦の太鼓」(宝井其角役)では追善口上にも並ばせていただき、「ああ本当にいらっしゃらないんだな」と寂しく、ご不在を実感しました。ですが、まだ心のどこかではお兄さんは闘病中でいらして、早く出てきてくださらないと困ると思う自分もいます。「白鷺城異聞」(宮本武蔵役)では、つい「お兄さんがなさってくださいよ」と思ってしまいましたしね。
──吉右衛門さんが筆名の松貫四として構成・演出を手がけた「白鷺城異聞」(中山幹雄作)は、1999年兵庫・姫路城三の丸広場特設会場での公演が初演で、昨年の「秀山祭」はそれ以来の上演。劇場公演としては初めてでした。歌六さん演じる剣の達人・宮本武蔵、又五郎さん演じる城主の本多平八郎忠刻のご共演でした。
中村又五郎 僕は初演の「白鷺城異聞」姫路城公演にも出させていただいているんです。なにせ10月下旬の野外公演でしたから、とても寒かったんですよ。長唄さんたちは舞台と客席の間、オーケストラボックスのような空間で膝に毛布をかけながら演奏されていて。お兄さんも「寒いな、寒いな」とおっしゃっていたことを、懐かしく思い出しながら、昨年はひと月勤めました。
──ゆかりの演目「寺子屋」で(手習いの子供の1人)涎くり与太郎を演じる又五郎さんのお姿も貴重でした。初舞台のお孫さんお二人、種太郎さんの菅秀才、秀乃介さんの小太郎とのご共演でしたね。
又五郎 孫と一緒に出るために出していただいたようなものです(笑)。
記念すべき「秀山祭」第1回、歌六は初代吉右衛門との思い出も
──“未来”も詰まった公演で、舞台の皆様と吉右衛門さんをしのばせていただきました。そもそも「秀山祭」が始まったのは2006年でした。
又五郎 あの時は情報が発表になる数カ月前、お兄さんとお食事に行った帰りの車の中で「初代吉右衛門の功績を讃える興行をやらせていただける」と伺いました。「毎年恒例としてきちんと継続するためには、たくさんのお客様に足を運んでいただけるよう、真摯に取り組まないといけない」ともおっしゃっていましたね。
──「秀山祭」第1回目の取材では、初代吉右衛門のセリフ回しの素晴らしさ、舞台での大きさについて吉右衛門さんが語っていらっしゃって……演劇史でしか知らない俳優さんの芸を皆さんの舞台の中で知っていくような、新しい興行がスタートするワクワクを感じました。
歌六 初代さんは、うちの父(四世歌六)や錦之介のおじ(初代中村錦之助、映画俳優として活躍した萬屋錦之介)も、しょっちゅう「(初代は)神様だ」と話していましたね。
又五郎 兄貴は初代さんにお会いしているでしょう?
歌六 僕がまだ2・3歳の頃だと思いますが、「きーちゃん(四世歌六の本名、小川貴智雄)の子どもを呼んでこい」と言われて、初代さんの楽屋にしょっちゅうお邪魔していたようです。「やっとくれ、やっとくれ」と言われて、「河内山」の河内山宗俊の決めゼリフ「バカめ!」をやって見せていたそうですよ。「うまい、うまい」と拍手しながらお菓子をくださったとか。見ていた方々から伝え聞く話で、自分の記憶としては残っていないのが残念です。でもね、手をつないで一緒に写っている写真も残っているんです。僕、片っぽの手をポケットに入れて、すごくグレて写っていてね(笑)。これは宝物です。
──そんなご縁もおありになると、「秀山祭」を大事にされるお気持ちもひとしおですね。2011年の「中村歌昇改め三代目中村又五郎、中村種太郎改め四代目中村歌昇襲名興行」は「秀山祭」でスタートしました。
又五郎 これもひとえに、吉右衛門のお兄さんのおかげです。息子もそろって「口上」もさせていただきました。ひと月の興行の中で「口上」の一幕が付くというのは、ほかのお芝居の時間が削られるわけで、とても僕から「口上をやらせてください」とお願いできるようなものではありません。そうしたことも含めて、とにかくありがたかったですね。
“学校が同じ”だから息が合う
──その前年の「秀山祭」ではお二人の屋号が萬屋から播磨屋に復し、吉右衛門さんは記者会見などで「舞台をご一緒すると、細かい話をせずともパッと息が合う」「これが血だなと常々感じております」とおっしゃっていました。
歌六 すべて、お兄さんがドーンと大きく構えて受けてくださったからですよ。僕らも播磨屋の子供として生まれ育ちましたから(20歳のときに播磨屋から萬屋へ)、“学校が同じ”ようなもの。お互いに何がしたいのか、説明したり相談せずとも、自然とわかりあえたのでしょうね。
又五郎 育ってきた環境が同じだから、ヘタにぶつかって行っても、お兄さんにとっては“想定内”という感覚でいらしたかもしれないです。最初からストライクはないけれど、「こいつ、全く違う方向からボールを投げてくることはないぞ」と(笑)。
──あれだけの舞台をご一緒されて、それはご謙遜だと思いますが……吉右衛門さんのご指導は大変に細やかだったと伺っております。
又五郎 巡業の「双蝶々曲輪日記 引窓」(2004年)でお兄さんが南方十次兵衛、私が濡髪長五郎をさせていただいたときは、東西両コースを同じ演目で回らせていただいたので、思えばものすごい回数をご一緒させていただいたんですね。公演後に乗った電車の中で「ちょっと、あそこなんだけれど……」と、ご指導いただいたこともあります。「双蝶々曲輪日記 角力場」の放駒長吉、「仮名手本忠臣蔵 七段目 祇園一力茶屋の場」の寺岡平右衛門をさせていただいたときも、舞台でのこちらの動きを見てくださっていて、終わってすぐ、衣裳のままでさまざまなご助言をちょうだいました。
──ご指導されるのも、情熱、エネルギーですよね。
又五郎 本当にそうだと思います。子供たち(中村歌昇・中村種之助)の勉強会「双蝶会」を監修いただいたときには、国立劇場の後ろ側にあるお部屋で本番をご覧になっていたお兄さんが、「あそこは違う」「こう動かないと」と、思わず漏れ出るダメ出しの声がお客様にも聞こえていた……なんてありがたい思い出もあります(笑)。
──若手の皆さんを熱心にご指導されていたのでしょうね。歌六さんはいかがですか?
歌六 例えば「伊賀越道中双六 沼津」だったら平作、「松浦の太鼓」だったら其角といったお兄さんとは相対する役を演じる機会が多かったので、「お稽古をしてください」と申し上げると、「そっち(の役)はやったことがないから、わからないよ」とおっしゃって。でもそういうときも「誰々兄さんはこうなさってたよ」「○○おじさんはこういう部分が、すごく素敵だったから、ちょっと研究してごらん」という形でご共演された諸先輩方の演技を教えていただきました。ちゃんと1対1のお稽古でお役を教わったのは松浦ぐらいですね。
受け継いでいく、吉右衛門の思い
──2019年の「秀山祭」は播磨屋を大きくされた三世中村歌六(初代吉右衛門の父)の百回忌にあたり、昼夜ともに、三世歌六百回忌追善狂言が上演されましたね。
歌六 実は歌舞伎座で百回忌をなさった方はまだいらっしゃらなかったんです。お兄さんに「三代目さんが百回忌なんです」とお話したら、「ぜひとも秀山祭でちゃんとやろう」とおっしゃられて、取りまとめてくださって。ありがたかったですね。
──さて今年の「秀山祭九月大歌舞伎」は、「これぞ歌舞伎!」な古典演目が並ぶ、フルコースのようなひと月になります。「車引」では、又五郎さんが松王丸、歌昇さんが梅王丸、種之助さんが桜丸、御三方が三つ子役でご共演なさるのは、今回が初めてです。
又五郎 播磨屋の一員として、お兄さんからお稽古していただいたことをしっかりとかみ締めながら舞台に立てればと思います。親子が同じ狂言で一緒に出ることは過去にもありましたが、こうして大きなお役で舞台を勤めるのは、機会がなければなかなかできないこと。親としてもうれしいですね。
──歌六さんは「祇園祭礼信仰記 金閣寺」で松永大膳を初役で演じられます。
歌六 お兄さんがどう演じていらしたか、直接教わった弟に聞いて勤めます。こうして「秀山祭」を開催いただけることは一門として誠にありがたいことです。いつまでも続くよう、気持ちを引き締めて舞台に立たせていただきます。
──「金閣寺」ではご長男の中村米吉さんが雪姫を演じられます(中村児太郎と日替わり出演)し、ご指導を受けた皆さんが、頼もしく成長されていますね。
歌六 播磨屋の芸は、「こう」と一言で説明するのがとても難しいんです。でもお兄さんが真摯に舞台をお勤めになっていた姿を彼らも目の当たりにしてきていますから、子供たちにはそういう“姿勢”を忘れないで勤めていってほしいと思っております。
又五郎 御一門ごと、俳優さんごとにいろいろな演じ方、それぞれ違う魅力があることが、歌舞伎の豊かさにつながります。そのうえで息子たちは、お兄さんに役をお稽古していただいた経験をいかに大事にしていくかだと思います。伝えていただいた“核”、つまり役の心根、セリフ回し、教えていただいたことをいかに自分のものにし、表現していけるかでしょう。
プロフィール
中村歌六(ナカムラカロク)
1950年、東京都生まれ。播磨屋。二代目中村歌昇(四世歌六)の長男。1955年に「夏祭浪花鑑」の倅市松ほかで四代目中村米吉を名のり初舞台。1981年に「一條大蔵譚」の大蔵卿ほかで五代目中村歌六を襲名。2010年に、弟・中村又五郎と共に屋号を萬屋から播磨屋に戻す。2023年に重要無形文化財「歌舞伎脇役」保持者の各個認定(人間国宝)を受ける。
中村 歌六 | 歌舞伎役者 中村歌六 米吉 |オフィシャルサイト
中村又五郎(ナカムラマタゴロウ)
1956年、東京都生まれ。播磨屋。二代目中村歌昇(四世歌六)の次男。1964年に「偲草姿錦絵」「八段目道行」の奴関助ほかで中村光輝を名のり初舞台。1981年に「船弁慶」の静御前・平知盛の霊ほかで三代目中村歌昇、2011年に「寺子屋」の武部源蔵、「車引」の梅王丸ほかで三代目中村又五郎を襲名。2010年に、兄・中村歌六と共に屋号を萬屋から播磨屋に戻す。2014年に紫綬褒章受章。
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「秀山祭」に挑む播磨屋一門大集合!