金は蜷川に師事し、蜷川スタジオに所属。「近松心中物語」などに出演して演劇の基礎を学び、1987年に劇団・
「ビニールの城」は、劇団第七病棟に唐十郎が書き下ろした作品。生身の人間と関わらず、人形しか愛せない腹話術師・朝顔と、かつて彼の暮らすアパートの隣室に住んでいたと話す女・モモ、そしてモモへの無償の愛故に、腹話術の人形・夕顔に自身を投影させていく男・夕一の物語だ。
「追悼・蜷川幸雄」(金守珍コメント)
演劇を志した若い頃、初めて蜷川さんが演出する『オイディプス王』を見て、これほどダイナミックな表現をする日本人がいるのかと激しい衝撃を受けた。そこで私は「蜷川教室第一期生募集」の告知を見つけた時、迷わず応募した。
教室で蜷川さんはしきりに「おまえら、唐十郎の状況劇場を見て来たか!」と檄を飛ばし、エチュードでは『盲導犬』が使われる。その台詞に感動を覚え、状況劇場の『ユニコーン物語』を見に行くと、意味はよくわからないがなぜか体がカッと燃え上がった。その後も大きな舞台に立たせてもらったが、熱気をはらんだテント芝居が忘れられない。そこで蜷川さんに「しばらく状況劇場で修行し、成長して帰ってきます」と宣言した。1979 年夏のことだ。
私は演出家としても、役者としても、若い日に蜷川さんから教わったふたつの言葉を自分の座右の銘としてきた。そのひとつが「幕開き3分勝負」。日常を背負って劇場に来た観客を、3分以内に日常から引き離さなくてはいけない。もうひとつが、「役者は一生自分の言葉を持つな。そこに悲惨と栄光がある」。役者は自分の生理で台詞を変えてはいけない。
蜷川さんはもともとアングラ演劇から出発し、商業演劇で「世界のNINAGAWA」となった。だが常に、アングラ演劇への強い思いを持ち続けていた。テントという子宮の中に咲く闇の花は、大きな劇場の光の元でも決してその魅力を失わない。そのことをダイナミックかつ繊細な演出で、私たちに見せてくれた。
晩年はもう一度アングラと向き合い直したいという思いから、唐十郎や寺山修司の作品をたてつづけに演出した。そんな蜷川さんがどうしても手掛けたかったのが、唐十郎の『ビニールの城』だ。それだけ思いの深い作品だった。その願いがかなう前に逝ってしまったことは、本当に悔やまれてならない。そして今回、演出を依頼されたからには、蜷川さんはこうしたかったであろうとイメージし、そこに向かって全力で進むしかない。
蜷川さんの死によって、アングラ1世代は確実に終わろうとしている。アングラ芝居は一種の風俗として始まり、世界に誇る日本の演劇文化として育っていった。この文化をしっかり定着させ、次代につなげていけるかどうかは、私たち2世代目、3世代目にかかっている。演出家・蜷川幸雄が最後まで抱き続けた、劇作家・唐十郎への敬愛の念を、なんとか形にしていきたい。この2人のエッセンスを後世につなげていくことが、私の使命だと思っている。
2016年5月16日 新宿梁山泊代表 金守珍
「ビニールの城」
2016年8月6日(土)~29日(月)
東京都 Bunkamura シアターコクーン
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