大野由美子の音楽履歴書。

アーティストの音楽履歴書 第38回 [バックナンバー]

大野由美子(Buffalo Daughter)のルーツをたどる

独自のグルーヴを追求するマルチプレイヤーは何を聴き、何を奏でてきたのか

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アーティストの音楽遍歴を紐解くことで、音楽を探求することの面白さや、アーティストの新たな魅力を浮き彫りにするこの企画。今回は、Buffalo Daughterのメンバーで、Hello, Wendy!やZAKYUMIKOとしても活躍し、Corneliusのサポートメンバーも務める大野由美子のルーツに迫った。

取材・/ 村尾泰郎

エレクトリカルパレードで出会った“ムニュムニュした生き物みたいな音”モーグ

小さい頃から音大出身の母が自宅で子供にピアノを教えていたんです。私もピアノの基礎を教えてもらって、それから先生についてピアノとバイオリンを習いました。2つ習うのは大変だったけど楽器を弾くのは好きでした。バスに乗って習いに行っていて、バス停で待っている間に自分で作った曲を歌ったりしていました。誰かに聴かれると恥ずかしいから家では歌わず、バスを待ちながら、環七の騒音の中で歌っていました(笑)。私が通っていた小学校は音楽にとても力を入れていて、小学6年生のときに学校の音楽コンクールに自分で書いた曲を出したら入選したんです。それで虎ノ門ホールで開かれた学校の音楽会で、入選した曲を友達と連弾で弾いたのがステージデビュー(笑)。あ、でもその前に、幼稚園のときにテレビの子供歌合戦に出て優勝したことがありました。たくさん商品をもらって帰ったのを覚えています。

6歳の頃。母の伴奏でバイオリンの発表会にて。

6歳の頃。母の伴奏でバイオリンの発表会にて。

中1のときに親の勧めでアメリカでホームステイをしました。最初は嫌だったけど、行ってみたらすぐなじみました。昔から適応力はあるんです(笑)。そこで出会った友達が、みんなCheap TrickとかQueenを聴いていて、それで私もロックを聴くようになりました。でも当時、一番衝撃的だったのがディズニーランドで見たエレクトリカルパレード! パレードの間、ずっとペリキン(ジャン=ジャック・ペリーとガーション・キングスレイ)の不思議な音楽が流れていて、そのムニュムニュした生き物みたいな音がすごく魅力的で。あとでそれがモーグという楽器だと知って「私も欲しい!」と思いました。それでハバナエキゾチカというバンドをやっていた頃に、プロデューサーのヤン富田さんにモーグが売っている店に連れて行ってもらって買ったんです。当時は50万くらいしたのかな。最初はなかなか使えなかったけど、Buffalo Daughter以降活躍してくれています。

アメリカから日本に帰ってからは、ラジオやテレビの深夜番組で洋楽を聴いていましたね。洋楽に飢えていたからジャンルは問わず。当時、一番好きだったのがCheap Trick。邦楽は全然聴かなかったな。高校のときはニューウェイブにハマってTalking HeadsとThe Stranglersが大好きでした。Talking HeadsやDevoのプロデュースをしていたブライアン・イーノも大好きで、イーノの作品はほとんど聴きました。イーノはアンビエントな作品もロックな作品も完成度が高い。ニューウェイブとの出会いは自分にとって大きいですね。ニューウェイブの屈折している感じとか実験的なところは今でも好きです。

バイオリンが弾けるならベースもできる!? バンドメンバーの誘いでベーシストに

高校のときに初めてバンドに参加したんですけど、そこではSex PistolsとかThe Clashなんかをカバーしていました。パンクが多かったのは演奏するのが簡単だから(笑)。ボーカルの子がマセていて、「イギリスにはThe Raincoatsっていうバンドがいるから、みんなでレインコートを着よう!」とか言ってましたね。ベースをやることになったのは、そのボーカルの子からバンドに誘われたときに、「バイオリンが弾けるんだったらベースもできるよね?」って言われたから。全然違うけどなあ、と思いながら弾き始めたんですけど、やってよかったと思ってます。私は指が太いからギターより弾きやすいんですよ。グルーヴの面白さに気付いたのは大学に入ってから。バイトをしていたお店で働いていたお姉さんたちが好きな音楽をカセットテープに録音して店内のBGMでかけていたんです。そこでジェームス・ブラウンを聴いて大好きになりました。シンプルでベースとピッタリ合ったドラムがカッコいいと思ったんです。私のリズムのルーツはジェームス・ブラウンです。

高校時代、器楽の授業の発表会にて。手前の列の右から2番目が大野。

高校時代、器楽の授業の発表会にて。手前の列の右から2番目が大野。

高校3年生の文化祭。赤いベースを弾いてるのが大野。

高校3年生の文化祭。赤いベースを弾いてるのが大野。

高校でバンドをやっていたとき、同じ音楽サークルにシュガー吉永もいました。彼女は地元の友達とバンドをやっていたんですけど、吉永から「一緒にやろうよ」って誘われてそのバンドに加入しました。彼女たちはChar、PINK CLOUDとかXTCあたりもやっていて、そこでかなりベースを鍛えられましたね。そのうちファンクっぽい曲もやるようなったんですけど、YAMAHAのコンテストに出たときに、思いきりファンクをやっているバンドがいたんです。そのバンドのボーカルと私たちのバンドで一緒にやってみたら?ってYAMAHAの人がアドバイスしてくれて。それがハバナエキゾチカ結成のきっかけになったんです。

当時はしょっちゅうライブハウスで演奏していました。よく対バンしていたのがフィッシュマンズ。吉永がフィッシュマンズにサポートメンバーで入ったり、フィッシュマンズにエンジニアのZAKを紹介してもらったりしてすごく仲がよかったんです。フィッシュマンズのライブはすごく面白かった。まだ頼りないところもあったけど、サトちゃん(佐藤伸治)のパワーで押し切る!みたいな感じで。

ニューウェイブ精神に則って始まったBuffalo Daughter

ハバナエキゾチカがメジャーデビューするとき、1stアルバム「踊ってばかりの国」のプロデュースをヤン富田さんにお願いしたのは、吉永がヤンさんがプロデュースしたいとうせいこうさんのアルバム「MESS/AGE」を聴いて興味を持ったからです。すごくいい出会いでしたね。ヤンさんは技術的な面だけじゃなく人間関係も見ながらジャッジしてくれる。自然な形で私たちのいいところを引き出してくれました。デビューのときにヤンさんと出会えたことはすごく感謝しています。2作目「火星ちゃんこんにちは」のプロデュースをしてくれた小西(康陽)さんは私が提案しました。「日本人のプロデューサーで面白い人はいないかな」っていろんな作品を聴いてお願いしたくなりました。小西さんはヤンさんとは別の視点でバンドを見てくれました。精神的な面よりもバンドの見せ方みたいなところをいろいろ考えてくれて、アートデザイナーとして山本ムーグを紹介してくれたのも小西さんでした。

ハバナの雑多な音楽性は、曲を書いていた吉永と私が全然違う個性だったからです。その違った方向性をヤンさんや小西さんがうまくまとめてくれていたんだと思います。数年後世の中ではバンドブームが終わり、所属していた事務所も辞め、ボーカルがバンドを辞めることになりハバナは解散。まさに人生の岐路でした。でも、私も吉永も音楽を続けたくて、その頃ターンテーブルでハバナのライブを手伝ってくれてた山本ムーグと小川千果(Dr)の4人でBuffalo Daughterをやることにしたんです。自由気ままに音楽をやろう、メロディに縛られず、TB-303とかモーグとか好きな楽器を主体に曲を作って、歌いたくなければ歌わなくていい。ニューウェイブの精神にのっとってやろうって。雑誌「米国音楽」のレーベルから作品を出したのは、山本ムーグが川崎さん(「米国音楽」の編集長の川崎大助)と仕事をしていたからだったと思います。フィッシュマンズや私の友達も川崎さんと仲がよかったからすぐ話ができました。

グランド・ロイヤルとの出会い、過酷だったUSツアー

Luscious Jacksonが来日したときに私たちの音を渡したら、ルシャスのリーダーのジル(・カニフ)から「すごく面白かったからファンジンでインタビューしたい」というファックスが「米国音楽」に届き、スタッフが「大変だ!」って大騒ぎ。それがグランド・ロイヤル(※Beastie Boysがキャピトルレコードの支援のもと1992年に立ち上げたレーベル)との付き合いの始まりでした。その後、ニューヨークでライブをやったときに、Beastie Boys、ショーン(・レノン)、チボ・マットとかみんな観に来てくれて、後日、Beastie BoysのマイクDから「契約してくれない?」って言われたんです。

1997年に新宿LIQUIDROOMで行われた「Grand Royal Night」の楽屋にてLucious Jacksonと。左から大野、ギャビー・グレイザー、シュガー吉永、ジル・カニフ。

1997年に新宿LIQUIDROOMで行われた「Grand Royal Night」の楽屋にてLucious Jacksonと。左から大野、ギャビー・グレイザー、シュガー吉永、ジル・カニフ。

当時、私たちは全然売れてなくて、バンドを続けていけるんだろうかって心配でした。でも、日本でライブに来てくれるお客さんが少なくても、世界にはきっと私たちと同じことを考えている人はいるから、そういう人たちを全部集めればけっこうな数になるかもしれない。だから、日本で活動することにこだわらなくてもいいんじゃないかと思ったんです。実際、ビースティとはすごく話が合ったんですよ。Neu!やCanの話で盛り上がって、お互いに「ジャーマンロック聴いてるんだ!」ってびっくり。海外で同じような音楽を聴いている仲間がいるっていうことがわかったのは心強かったです。ビースティは私たちのライブをすごく楽しんでくれて、彼らの最高の褒め言葉が「Rock」なんですけど「You Are Rock!」って言ってくれました。グランド・ロイヤルって大学のサークルみたいな感じなんです。みんなで協力して「面白いことをどんどんやっていこうぜ!」みたいなノリ。ああいうレーベルをやっていくのは、今はもう難しいでしょうね。

1996年にグランド・ロイヤルからリリースしたアルバム「Captain Vapour Athletes」のアメリカツアーの様子。

1996年にグランド・ロイヤルからリリースしたアルバム「Captain Vapour Athletes」のアメリカツアーの様子。

海外でデビューしたのはいいけれど、アメリカで長いツアーが続いたんです。それがすごくキツくて。みんなでバンに乗って2カ月くらい毎日顔を合わせてライブするんですけど、自分のプライベートなスペースはトイレくらい。だからひどいケンカもするし気が狂いそうだった。私たちってCorneliusとかピチカート・ファイヴと一緒に分類されたりもするけど、90年代の日本の音楽シーンには全然関わってなくて、日本のバンドよりアメリカのバンドのほうが仲がよかった。だから、このまま日本で忘れられちゃうんじゃないかと思っていました。それにツアーを続けることにも疲れたし、2000年から日本を拠点にすることにしたんです。原盤のことで倒産後のグランド・ロイヤルとトラブルがあったので、原盤権を持つために2010年に自分たちのレーベル・Buffalo Ranchを立ち上げました。今では簡単にネットで音源を販売できるけど、10年前はレーベルをやるっていうのは大変なことだったんですよ。

「一生勉強」変わらない音楽に対する貪欲な姿勢

最近、気軽に曲が作れて売れるという時代になったから、いろんなタイプの曲が世の中にあるけど、深みがある作品が少なくなった気がします。面白いことができる時代でもあるけど、良し悪しは作ってる人たちだけが決めるので作品に厳しい判断がされなくなってきている。個人でカジュアルに作品を売れるようになった分、作品に対する責任感が少なくなっている気がするんです。売るからには責任を持たないと。作品を世に出すときに自分以外の人が関わることで作品の完成度を高めていく、そういうこともこれから必要になっていくんじゃないかって思います。

Buffalo Daughterは、私のアイデアを吉永とムーグさんがさらに広げてくれる。それがすごく面白いんです。新作「We Are The Times」はコロナの影響で時間もあったし、丁寧に作ることができました。いつ死ぬかわからないから、やりたいことは惜しみなくやろう、言いたいことを言おうと思って。だからアルバムが完成したときは、すべて出し切った爽快感がありましたね。

いろんな人と音楽をやれるのがすごく楽しいんです。Corneliusに加入したときは大変でした。小山田(圭吾)くんが書いた曲を体に入れるために、1日中、ノイローゼになるくらい聴いてました。最近ようやく慣れてきましたね。ほかのメンバーはクリックを聴きながら演奏しているけど、私だけほとんどの曲で聴いてないんです。クリックに合わせて演奏するのではグルーヴが生まれないと思っているので、みんなの音を聴いて演奏するようにしたいんです。音楽を聴いて体や心が動かないと楽しくないじゃないですか。グルーヴはそのきっかけだと思うんですよね。

Hello, Wendy!(大野由美子、Maika LoubtéAZUMA HITOMI新津由衣によるシンセユニット)は、みんなで練習するのが楽しいんです。それぞれ個性のあるアーティストが役割分担したり、意見を交換したりして。全員がキーボードだから、なおさら面白いのかも。最近は光栄にも尊敬するテリー・ライリーさんとご一緒させていただいています。テリーさんはクラシックがベースにあるので、メロディとかフレーズに親しみを感じます。とはいえ、30歳くらい歳上でいらっしゃるから、お話を伺うと仙人みたいだけどユーモアもたっぷりで、すべて栄養として吸収させていただいてます。

やりたいことはいっぱいあって、まずもっといろんな楽器が弾けるようになりたいです。例えば能とか歌舞伎で使われる鼓。雅楽の独特の”間”にも興味があります。祖母が弘前に住んでいて、子供の頃に「ねぷたまつり」を観に行ってたんです。祭りの山車で叩く太鼓の音がドーンと胃に響くんですよ。その快感が今も残っていて、だから低音が好きなんだと思います。あとパイプオルガンもやりたい。40歳の頃に少し習ったんですけど、右手、左手、右足、左足、全部使わないといけなくて、脳が退化しているから大変でした。結局やめちゃったんですけど、また習いたいです。とにかく楽器は大好き。ただ、コードをちゃんと勉強しなかったからコードのことを言われると即答で弾けなくて。ベースとかモーグは1音しか出ないからすぐ弾けるんです。だからコードも勉強しないと。もう、一生勉強ですよ(笑)。

大野由美子(オオノユミコ)

Buffalo Daughter。写真右端が大野。

Buffalo Daughter。写真右端が大野。

1966年生まれ、東京都出身。ハバナエキゾチカのメンバーとして1991年にアルバム「踊ってばかりの国」でメジャーデビュー。解散後の1993年にシュガー吉永、山本ムーグとともにBuffalo Daughterを結成する。日本のみならず、北米、欧州、アジアなどでもライブを行い、ワールドワイドに活躍。2010年にBuffalo Daughter主宰レーベル・Buffalo Ranchを立ち上げた。Corneliusをはじめさまざまなアーティストのサポートを務めるほか、珍しいキノコ舞踊団の舞台作品の音楽なども手がける。音響エンジニアZAKとともにZAKYUMIKOとして音楽制作、演奏、映画他の音響監督などでも活動中。2021年、Buffalo Daughterとして7年ぶりのニューアルバム「We Are The Times」をリリース。2022年1月より全国ツアー「Buffalo Daughter "We Are The Times Tour"」を開催する。

「Buffalo Daughter "We Are The Times Tour"」スケジュール

2022年1月28日(金)東京都 LIQUIDROOM
2022年2月23日(水・祝)愛知県 Tokuzo
2022年2月25日(金)京都府 KYOTO MUSE
2022年2月26日(土)岡山県 YEBISU YA PRO
2022年2月27日(日)大阪府 Live House Anima

※記事初出時、本文に一部誤りがありました。訂正してお詫びいたします。

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