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2010年代の東京インディーズシーン 第4回 [バックナンバー]

ライブハウススタッフが語る2010年代のインディーズシーン

当事者たちが身近な場所で見た多様な光景

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その場所だからこそできること

小牟田氏は現場に立ちながら、バンドマンの在り方やオーディエンス側が抱えるライブハウス像の変化も感じていたという。

「サブスクが当たり前になって、紙資料でデモを送ってくるバンドも減ったし、そもそもデモCDをライブ会場で販売するという思考すらないバンドも今はいるんじゃないでしょうか。あとはワーキングバンドマンも増えて、1カ月に10何本もライブをやるバンドは減った感じがします」
「ライブハウスの定義が広くなりすぎなのではないかなあと思うことがあります。『よく行くライブハウスは?』という質問にホールクラスの名前が出てくると、ちょっと変な気持ちになりますね。いっそのことこっちが『LIVE&BAR』みたいに変えるのもありかなあとか考えたりします」(小牟田)

ここ10年のインディーズシーンでは、キャパ100人以下の小さなライブスペースも存在感を放っていた。中でも忘れ難いのが、2011年4月から4年間ほど営業していた南池袋ミュージック・オルグ。この場所の重要性については本連載第2回の鼎談(参照:澤部渡(スカート)×川辺素(ミツメ)×吉田靖直(トリプルファイヤー)鼎談)でも明らかにされているが、今回は当時その運営をしていた宮崎岳史氏に、直接話を聞くことができた。

「ミュージック・オルグは出演したり企画するにあたって、特に審査やオーディションなどもありませんでしたし、条件が合えば、誰でも借りれる場所でした。それでもおおよそ週の半分程度しかイベントはやってなかったくらいなので、そこまで盛り上がってはいなかったと思いますが、結果的に僕自身やスタッフ、友人、知人などがそれぞれやりたいイベントをやる余地はあったので、楽しく運営はできていました」(宮崎)

南池袋ミュージック・オルグ閉店前日に開催された「オルグスター感謝祭」での、ジョセフ・アルフ・ポルカのライブの様子。

南池袋ミュージック・オルグ閉店前日に開催された「オルグスター感謝祭」での、ジョセフ・アルフ・ポルカのライブの様子。

レコーディングエンジニアでもあるPAスタッフの馬場友美がスタジオとして利用したり、ミュージックビデオの撮影が行われたりなど、ミュージック・オルグは作品制作の場所としても利用されていた。

ライブスペースであると同時に、インディーミュージシャンたちが集うサロンとしても愛されていたオルグは、2014年末に惜しまれつつも閉店。その後、宮崎氏は渋谷7th FLOORで5年半ほど制作を担当し、今年3月末に退職している。

「理想的なイベントスペースのことを考えると、頭に浮かんでくる場所の1つが(神戸の)旧グッゲンハイム邸です。10年前くらいから、今も変わらずそう思ってます。その場所でしかできないような特別なことを提案してもらえたり、会場に泊まらせてもらった翌朝、イベントが行われていた1階の部屋に行ったら地域のフラダンス教室の集まりが開かれていたり……一度足を運んだときからずっと最高の場所だなと感じてます。ただ、いわゆるライブハウスではまったくないんですよね」(宮崎)

変わりゆくライブハウススタッフの在り方

実際にこうしてライブハウスに勤める当事者たちの話を聞いていくと、当然ながら彼らの見てきた光景はそれぞれ異なっており、ある意味それは2010年代におけるインディー音楽の多様ぶりを物語っている。そして、ライブハウスに携わるスタッフの働き方も近年は多種多様になってきているようで、宮崎氏はその一例を紹介してくれた。

「例えば、月見ル君想フの寺尾ブッダさんは青山と台北でライブハウス・飲食店舗を運営して、東アジアを中心とした国内外のバンドとの交流を深めながら、レーベルを運営したり、海外ツアーのマネジメントなどをしていて。ライブイベントを組むのがなかなか難しい状況下でBONUS TRACK(2020年4月に下北沢と世田谷代田の間にオープンした、飲食店や物販店、コワーキングスペース、シェアキッチンなどが集まった商業施設)に飲食店兼レーベルのインフォショップを作ったりといった動きも精力的でいいなと感じます。そういった働き方は、ライブハウススタッフが今後どのように職能を生かしていくかの1つのヒントになる気がします」(宮崎)

台北月見ル君想フでライブをする洪申豪。(撮影:浪漫的工作室)

台北月見ル君想フでライブをする洪申豪。(撮影:浪漫的工作室)

台北月見ル君想フの外観。(撮影:浪漫的工作室)

台北月見ル君想フの外観。(撮影:浪漫的工作室)

今回の取材では2010年代のシーンについて伺ったが、その回答にはコロナ禍の現状について触れたものも少なくなかった。2010年代のインディーズ音楽シーンを育んできた東京のライブハウス従事者たちは、2021年現在も懸命に運営を続けている。

「この1年間はコロナの影響で存続が危ぶまれるということになって、バンドやお客さんからたくさんのご支援や励ましのお言葉をいただきました。僕はライブハウスを接点の場だと思っています。それは今も変わっていないし、バンドやお客さんが改めてそう思ってくれたことはうれしかったです」(義村)

「コロナ禍で人やバンドは減りました。国の対応がひどすぎる。結局、権力者たちが満たされ、持たざる者は苦渋を舐めることになる。でも、今は奪われたものを取り戻すまで闘い続けるような人間しか残っていないと思うので、この状況でもバリバリやっている人たちのメンタルは強いと思いますよ」(石田)

参考記事

東高円寺二万電圧 インタビュー
https://www.livewalker.com/pickup/8933_20000v.html

下北沢BASEMENT BAR / THREE インタビュー
https://covid19.jaspm.jp/archives/273

下北沢SHELTER インタビュー
https://www.cinra.net/interview/201707-loftshelter
https://rooftop.cc/interview/190601120000.php

小牟田玲央奈氏出演「月曜23時の『人間解剖ラジオ』」
https://note.com/hashtag/小牟田玲央奈

馬場友美インタビュー
http://tokyoloco-mug.com/interview/babachan/

※「宮崎岳史」の「崎」は、たつさきが正式表記。

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