西寺郷太のPOP FOCUS 第17回 [バックナンバー]
TOKIO「AMBITIOUS JAPAN!」
音楽的才能にあふれるバンドと昭和レジェンドたちの融合によって生まれた傑作
2021年4月1日 19:00 15
西寺郷太が日本のポピュラーミュージックの名曲を毎回1曲選び、アーティスト目線でソングライティングやアレンジについて解説する連載「西寺郷太のPOP FOCUS」。
第17回では、
文
他グループとの違い
2003年10月にリリースされたTOKIO通算28作目のシングル曲「AMBITIOUS JAPAN!」は、彼らにとって3曲目のオリコン首位獲得曲。ちなみに、今もなお愛される彼らのデビュー曲「LOVE YOU ONLY」は、その国民的浸透度からすると意外に思える最高3位。2001年5月に発売され、首位に上り詰めた「メッセージ / ひとりぼっちのハブラシ」までのデビューから6年8カ月の間、TOKIOのシングルチャート最高位は2位に留まっていました。
1990年代はヒップホップ、ダンスミュージックの勢いがアイドル音楽の世界にも波及。エンタテインメントの実戦教育を受けデビューした群雄割拠の天才たちは、それぞれのメンバーが持つ個性を生かす打ち出し方、時代にフィットした音楽性を探求し、その才能を爆発させていました。グループとしてTOKIOの先輩に当たる
さて、TOKIOが前述したほかの同世代グループと違ったポイントは、3つあると僕は思っています。まずは当然ですが彼らが“楽器を演奏するバンド”だったということ。ボーカルおよびギター、ギター、ドラム、ベース、キーボードとそれぞれパートがある。楽曲の中で歌割りは縦横無尽に交錯しますが、絶対的センター、フロントマンが最年少の長瀬さんであることはデビュー時から変わっていません。これはある意味珍しいことです。ジャニーズにはTOKIOと世代交代するかのように活動休止し、事実上の解散となった先輩グループ・男闘呼組の存在がありましたが、ベースの
そして、2つ目は、出自は楽器演奏を行うバンドであり音楽を心から愛しながらも、ロックミュージシャンとしての心意気、美学のみに比重を置かなかったこと。これこそ彼らが2020年代に至るまで長い人気を保ち続けるポイントだったのかも知れません。ただし、バラエティ番組「ザ!鉄腕!DASH!!」を軸とするお茶の間での絶大なる認知度、フレンドリーで親しみやすいタレント性の奥に“魅力的な音楽家集団”としてのTOKIOの本質が隠されてしまったのではないかと、ここ数年僕は思うようになりました。今、彼らのライブやステージを実際に体感することができなかったことを、心から後悔しています。
3つ目は、15歳でデビューした最年少の長瀬さんや、彼の2学年上の
世代を越えて誕生したエバーグリーン
90年代のテレビ文化をまさに最前線で駆け抜けたあと、2000年代前半になるとTOKIOはそれぞれが積み重ねた音楽的成熟度を、リリースする楽曲にリンクさせた新たなる充実期に突入してゆきます。2002年12月発売の「ding-dong / glider」は、彼らにとって2作目のオリコンナンバー1シングルに。その追い風を受けて、10カ月ぶりにリリースした楽曲が、JR東海の大型キャンペーンソング「AMBITIOUS JAPAN!」でした。オルゴール的サウンドにアレンジされたバージョンがJR東海の新幹線車両の車内チャイムとして現在も使用されている、まさに日本歌謡史に名を刻む金字塔です。
作詞がなかにし礼、作曲が筒美京平、編曲が船山基紀といういずれ劣らぬ“昭和歌謡曲の頂点、大御所”の三つ巴による磐石のソングライティングとアレンジ。平成の後半、2010年代には歌謡、シティポップなどの昭和文化を再評価するブームも起こりましたが、正直に言えばこの「AMBITIOUS JAPAN!」を初めて聴いたときの僕の印象はともかく「古(いにしえ)の“昭和的アイドル歌謡メロディ”そのものじゃないか!」というものでした。人々が盛り上がるような華やかなアレンジを施した、さわやかで切ないメロディ、職人の匠が存分に発揮された鉄道会社のタイアップにピタリとハマるストレートな言葉などがあまりにもストライクど真ん中すぎて、ファーストインプレッションでは作曲家・筒美京平ファンの1人としても一種の戸惑いを覚えたことを書き記しておかねばなりません。この楽曲がリリースされる少し前の1999年から2000年にかけて、僕は自分のバンド・NONA REEVESでシングル「LOVE TOGETHER」「DJ!DJ!~とどかぬ想い~」の2曲を京平さんにプロデュースしていただき、さまざまな作曲的アドバイスを受け、コーチしてもらう貴重な体験をしていました。まさに、そのときに京平さんがスタジオやご自宅でおっしゃっていた助言が「AMBITIOUS JAPAN!」では、そのまま体現されていたんです。
ただ、2021年の今聴くと「あのとき、最初自分はなんでそんなに“古い”と思ったのかな?」と思うほど、ナチュラルに捉えられるのが不思議なんです。ポップでキャッチーな楽曲でありながら、
長瀬智也の的確なジャッジ
編曲を手がけられたレジェンド、船山基紀さんに、この「AMBITIOUS JAPAN!」や2006年にオリコン首位を獲得した「宙船(そらふね)」などについて直接質問したことがあります。船山さんは「ともかく、長瀬くんには驚かされたんだ」と何度も繰り返されました。特に「宙船(そらふね)」のアレンジは長瀬さんが作ってこられたバンドアレンジのデモテープをもとに、船山さんがシングル向けに派手な装飾を施したものであり、もともとそのまま発表してもよいほどのクオリティであった、と……。レコーディングの現場でも長瀬さんが全体を仕切っていて、そのジャッジやアドバイスが的確で驚いたと船山さんは回想されるのです。
ダンスも歌もピアノもMCも何もかもパーフェクトにこなす
Be ambitious! 旅立つ人よ 勇者であれ
Be ambitious! 旅立つ人に 栄光あれ
(※TOKIO「AMBITIOUS JAPAN!」より引用)
それぞれが苦悩して選んだ決断。しかし、わがままを承知で言います。なかにしさん、京平さんがお亡くなりになった今こそ、5人が彼らに捧げるべく奏でる音楽が聴きたいです!
西寺郷太(ニシデラゴウタ)
1973年生まれ、NONA REEVESのボーカリストとして活躍する一方、他アーティストのプロデュースや楽曲提供も多数行っている。2020年7月には2ndソロアルバム「Funkvision」をリリースした。文筆家としても活躍し、著書は「新しい『マイケル・ジャクソン』の教科書」「ウィ・アー・ザ・ワールドの呪い」「プリンス論」「伝わるノートマジック」「始めるノートメソッド」など。近年では1980年代音楽の伝承者としてテレビやラジオ番組などさまざまなメディアに出演している。
しまおまほ
1978年東京生まれの作家、イラストレーター。多摩美術大学在学中の1997年にマンガ「女子高生ゴリコ」で作家デビューを果たす。以降「タビリオン」「ぼんやり小町」「
※記事初出時より、一部変更を表現しました。
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