アーティスト
文・
MAMAMOOの最年少メンバー、ファサの有名な言葉だ。その日、ファサは舞台でビヨンセの「Crazy in Love」を歌う前に、自身の昔の話をした。「オーディションを受けたある日、『きみは個性も強いし歌もとてもうまいが、太っているし綺麗じゃない』と言われたの」それを聞いたファンたちが一斉に悲しみや怒りのような声を上げる中、ファサはバックダンサーたちとコミカルな動きで、若かりし日のショックを表現した。そのあと「○△×!」とちょっと悪い言葉を放ち、場内の笑いを誘う。そしてすぐに「でもね!」と歓声を遮る。
「その言葉が私の人生の大きなターニングポイントとなりました」
その日泣きながら家に帰ったというファサは、夜、とあるライブビデオを引っ張り出して観ることにした。一晩中泣きながら映像を観ているうちに、いつの間にかくじけかけていた気持ちから立ち直り、胸に1つの決心をしていたのだそうだ。それが冒頭のセリフ。「新しい美の基準を作ろう」何度見直しても読み返してもすごい決意だ。今のところ、世間の“美の価値観”は表面的でとてもシンプル。そしてもし自分がそれに合わないと感じたとき、もしくは知らされたとき、人はどうするか。ある人はその美の基準に自分の肉体を合わせていこうと努力するだろう。ある人はその基準を恨み、拗ねるだろう。その2つを同時にする人もいるだろう。ファサの場合は、新しい別の価値観を作ればいいと考えたのだ。その強さを支える杖は、自尊心にほかならない。他人に自尊心を踏みにじられながらも、彼女は自尊心によって立ち上がったということだ。
その映像を初めて観たとき、私は泣きたい気分になった。かつての傷付いた若きファサは、かつての私でもあり、今もまだどこかで転んだままでいる私でもあり、それを今のカッコいいファサが一気に救ってくれたような気さえした。頼んでもいないのに、自分が美しいかどうかを、自分以外の誰かが、まるで定規を当てて測るようにキッチリと選別する。自分の価値を、他人の価値観が測るということ。そんなおかしなことをおかしいと気付くようになったのは、私はここ数年のことだった。かつてただの違和感として心に残っていたような出来事も、誰かの作品やSNSでの“声”によって「やっぱりおかしなことだよね」と確信が持てるようになった。もしかしたら1人では気付かぬままだったかもしれない。昨年、こんなこともあった。ある日曜日の昼下がり、テレビで女性が美容整形手術を受けるというドキュメンタリー番組が放送されていた。手術直前の台の上で、女性は「怖い」と言ってボロボロと泣いていた。医師が、顔面麻痺が残る可能性も否めないと宣告するほどの難しい手術だった。そんな手術を受けるのが怖いのは当然だ。それでもその女性にとっては、他人から笑われ続けたコンプレックスをなくすことが必要だと思って、踏み切ったのだ。
結果は無事成功して、番組では数カ月後の女性の姿も映した。コンプレックスを切り取った新しい顔で、とても明るく笑う人になっていた。その素直な表情を見て私は本当に美しいなと思った。しかし、テレビを消したあと何日間も、手術前の女性の泣き顔が心に残り続けて困惑した。私はあの女性の泣き顔から、脅迫された人のパニックを連想した。世間の美の価値観とは、そう、ときに脅迫的で暴力的である。「あんたつまらない顔ね」「若いのにさー。メイクさん、この人のほうれい線なんとかしてあげてよ」「なんでこんな顔で写ったんだよ? 俺がどれだけがんばってこの雑誌の仕事取ってきたかわかるか!」全部私が20代前半、仕事関係の人たちから言われた言葉だ。それからずっと、これらの言葉を思い返すたび、リアルタイムで感じたときと変わらない、恥ずかしさでいっぱいになった。怒りでも悲しみでもなく、ただただ自分が恥ずかしく、消え入りたかった。そして申し訳なかった。でも今は普通に腹が立つ。その言葉にも腹が立つし、あの場で正当な主張ができなかった自分にも腹が立つのだ。私が反抗しなかったことによって、彼ら彼女らは無自覚のまま、私のあとにも、同じようにまた別の誰かを傷付けたかもしれないからだ。自分の中から生まれた価値観ではなくて、誰かから突き付けられて脅された刃物のような価値観によって、毎日が生きづらくなること。私は自分を含めたすべての人が自身の価値を信じて、それぞれの尊厳を保てるような世の中になるべきだと願っている。それは、誰かの価値を勝手に決めて、尊厳を踏みにじるようなことを言ってはいけないと自分に誓うことでもある。
そういう思いから、去年の秋に「美しい顔」という曲を書いてリリースした。あらゆる猫の毛の模様を美しいと思うように、あらゆる人の持って生まれた姿を当たり前に尊重する世界が、もし100年後にあったとしたら。100年前の祖母の姿を見て思いを馳せる女の子の曲にした。
その曲をリリースすると、年齢や性別を問わずいろんな共感の反応をいただいた。そんな中、偶然SNSで流れてきた前述のファサの映像を観て、泣きそうになったのだ。他人から激しくジャッジされるエンタテインメント界にいる、まだ若い女性がこんなにも力強く立ち上がって、かつ有名になった今では人々にその信念を発信している。「自分の価値は自分で決める」という信念を。ところでファサは昨年、空港でのプライベートの姿を写真に撮られ、その私服や外見を批判された。このことに対するMAMAMOO全員の回答が、「HIP」という曲で聴ける。「どこへ行っても あなたは輝ける 世界にあなたは一人だけ なのにどうしてこんなふうに 自分の顔に唾を吐くの?」……なんてカッコいいんだ!!
そしてファサが先日発表した新曲「Maria」では、彼女の優しいメッセージはさらに深いものとなり、他人から傷付けられた人々の心を癒すような楽曲となっている。私たちに共感してくれながら一緒に進んでくれる、ファサはそんなアーティストだと思う。
メンバーのフィインは、ファサと中学校時代からの親友だ。2人はおそろいのタトゥーを入れるほどの仲。"resonance"(共鳴)と"Caddo"という(「親友」または「双子」を指すインディアンたちの言葉で、「私の悲しみを背負ってくれる人」という意味を持つ)言葉を入れているそうだ。そんな2人がそろってMAMAMOOのメンバーとしてデビューしているのだから、まるで映画のようなエピソードだ。
フィインの歌は本当に独特だ。音程、リズム、声量、ビブラート、すべてのコントロールが微細で自由自在でプロフェッショナル。そして歌のあちこちにジャズ的なフィーリングも感じられて、個人的には、MAMAMOOの音楽性の幅を広げているのはフィインのこの個性的な歌だと感じている。この連載ページの担当A氏が「こんなに自分の声とうまく付き合っている人は初めて見た」と言っていたが、心のいいねボタンを100回押した。天性のものがあったとしても、相当自分の歌や声に向き合い、時間を費やして“ほかの人とは違う”オリジナリティを育ててきた人なのだろうなと想像している。ファサとフィインが2人でのんびりと、みかんなどを食べながら屋上で撮影したプライベート動画があるのだが、その中にこんな何気ないシーンがある。これもまた、MAMAMOOというグループを象徴する会話だと思う。最近食べすぎて太って、服が入らなくなったと言って嘆くフィインに対しファサは、
と、しっかり目を見つめ、優しく言う。さらりと、でも誠実に、ボディポジティブな考え方を確認できる瞬間だ。フィインはのけぞって、ワーッと声を上げて、「リスペクト!!」と元気に返す。そのあと、フィインはカメラを向いて、
と前言を撤回するように言うのだ。あの過去のオーディションのことを匂わせているのか、ファサは「これは……先輩として言ったんだよ」と、同級生のフィインに向かって言って、2人は笑い出す。大切な親友に幸せに生きてほしいと思う気持ちからのファサの言葉と、それをすぐに受け止めてすべてを理解する素直なフィイン。そして片手を1、2、3でバチンと合わせて、この話が終わるのだ。さわやかすぎる。
さて、ここまでメンバーの信念や関係性について書いてきたが、私がそもそもMAMAMOOを追うようになったのは、やはり音楽だった。たまたま見かけたこの映像の歌唱がとても素敵だったからである。ああ。いい声、いい歌唱、いい曲! この曲では、特に左から2番目にいるソラが歌っている姿が印象的だった。顎を外さんばかりに口を大きく開けての大熱唱。突然に爆発させるパワフルさもすごいし、本当に……顎関節の可動域もすごい。見とれて何回も観た。K-POPの数あるグループのサウンドの多くはうまく世界のトレンドを追っていて、ときにトリッキーなことも取り入れる斬新さが見られたりもするが、こんなふうにシンプルなサウンドの楽曲を歌いこなす人たちもいるのだなとびっくりした。
ソラは天真爛漫なキャラクターで、エネルギーにあふれている。リーダーであるが一番末っ子のように見えるときもある。その性格が生かされるような、個人のYouTubeチャンネルも作っている。彼女はいつでも自由な姿を見せてくれる。例えば親知らずを抜く回では、麻酔の注射から始まり、レントゲン写真、怯える姿、実際に抜くところ、最後は抜けた歯まで見せてくれるという自由っぷり。「I Miss You」とは違った意味で、またも口の中を観せられ続ける私たち……そんなチャンネルで2月、ソラは「世界女性割礼禁止の日」を知らせた。「女性の割礼に対する認識を多くの方に伝え、今日だけはそのような女性たちのための日になればと思う」とし、現実に起きている女性割礼の悲惨さを、いつもの彼女のハッキリした言葉で語っている。「私も詳しくはわからないけど、みんなでこういうことも一緒に学んでいきたい」というソラは、ファサとはまた違う、自分に合ったやり方で問題を伝えている。
チャンネルの登録者数は現在219万人(7月3日現在)。私は不勉強ながら、違う国で行われている女性の割礼について知識がなかったのだが、影響力のあるソラがこういう役を担って伝えてくれたことによって関心を持つようになった1人だ。最近では、ソロ活動もスタートさせた。新曲でスキンヘッド姿になったことが注目されたが、自ら作詞した曲の中でこう歌っている。
「全部やりたいようにやって生きてきたの 今まで 私はまた面白いものを見つけたの 毎日私は新しい」
「私はいつも批判の対象 女だからって何? 関係ないでしょ 私の生き方よ 私は私を愛してるから」
さて。ムンビョルは、MAMAMOO唯一のラッパーである。私たちの周りには、音楽、ファッション、行動様式、色……あらゆるところに性別の記号というものが存在しているが、私はムンビョルを見ていると、それらの意味がわからなくなってくることがある。もともとの声質なのかどうかはわからないが、彼女は比較的低音でやや中性的にラップをする。そして、自身のソロの音楽に対しては、意識的に性別の境界線を無視するというようなことを語っている。「音楽のジャンルを性別で判断したくない」と言い、一聴すると男性グループが歌いそうな楽曲をリリースしたばかりだ。でもそれは“あえて男性の音をまとった女性”といったマスキュリンファッション的なものではなく、“ムンビョルそのもの”としか言い得ない、自然な作風なのである。個人的な印象だが、バックダンサーが全員男性なのも、よく見られるような、センターにいる女性シンガーとの恋愛的な関係を表現するためのものでもなく、もしくは男性たちを踏みつけにして“男勝り”な強い女性像を表現するものでもなく、曲におけるムンビョルのマインドを分身表現するものとして存在しているように見える。男装をしていないムンビョル。そして男性たち。彼らが同化することによって、男性性にも女性性にもどちらも寄らない、独特な雰囲気になっていると感じた。ちなみに、「Absence」のMVで着ているスーツは、先日BLACKPINKのジェニも着ていた。ムンビョルは中性的に、ジェニは女性的な着こなしで、どちらもよく似合っている。
MAMAMOOのメンバーは、このようにそれぞれがまったく違う個性を持ち、活動しながら、1つのグループに存在している。もしもエンタテイナーたちが、この世の中の多くの人から望まれる、最大公約数的な1つの大きな“価値観”(ものさし)に自分を引き寄せていくとすると、顔も体型もメイクもファッションも歌い方も発言内容も存在の仕方も、隣のメンバーや他のグループのメンバーと似ていくことになるだろう。目が大きくて、顎が小さくて、細くて、脚が長くて、流行りの髪型で……でもMAMAMOOは、初めて彼女たちを観る人がいたとしても、4人の見分けがなかなかつかない人は少ないだろう(カメラ割りが速くて目が追いつかないことはあっても、だ)。
個性的なままでいることは、自分自身を解放する健康的な方法だ。でも同時に、今の世の中では必ずしも簡単なことではないだろう。例えば表に出る職業の若い人は、周囲から特化を求められつつも、思うままに一定の基準から飛び出ることは難しいと想像する。世間からのバッシング、周りの大人たちからの反対、無理解。「前例になくても、これでうまくいくから私を信じて付いてきて!」と歳上のスタッフたちに説いて、リーダーシップを持つということは、本当に勇気とエネルギーがいることだと思う。かつて「きみは綺麗じゃない」と評されたファサが、今、韓国をはじめいろんな場所に住む女性たちの憧れとなっている現実は、彼女のたどった道筋を考えるとめまいがするほど、大小さまざまな闘いを経てきたのではないかと思う。
韓国映画「パラサイト」では富裕層と貧困層が共存する社会構造を徹底的に“上”と“下”というモチーフで描いていたが、分断による悲劇というのは男女間、人種間、大人と子供など、さまざまな関係の中で変わらず生まれ続けている。私がMAMAMOOから感じるフェミニズムは、男性と女性という属性の戦争とは違っている。自分自身やすべての人を“個”として尊重するという、人間のあるべき構えを伝える存在であり、実際に行動に移す彼女たちの言葉には嘘が感じられなくて、とてもリアルだ。彼女たちのファンの中にいる、まだ社会に出る前の若い子供たちにも、どんどんどんどんまっすぐリアルに響けと願う私である。
ちなみに、彼女たちのペンライトのモチーフは“大根”である。ラジオDJの上野智子ちゃんからお借りした写真。
大根の光を受けて天使のように輝く智子ちゃんは、ムームー(MAMAMOOのファンの名称)でありモンべべ(MONSTA Xのファンの名称)でもあることから、世代を超えて友達になった。こういうことがあるのもK-POPの楽しさ。参考までにほかのグループのペンライトを紹介すると、こちらは私の私物でMONSTA Xのものだ。彼らのイメージ通り、強い男らしさが表現されたような、シックな黒のデザイン。
以下の2つはナタリー担当A氏の私物。BLACKPINKはハート、TWICEはキャンディがモチーフ。かわいい……。
そして友人の私物、SEVENTEENのペンライトはダイヤモンドがモチーフ。「推しを照らすためのペンラなので普段は光を失っている」(=電池がない)とのこと。
MAMAMOOは大根。
MAMAMOOのMOOはハングルでこう記すが、単体で表記すると、大根という意味にもなるのだ。だからといってペンラが大根とは……フェミニンでもマスキュリンでもガーリーでもボーイーでもなく、大根……最高すぎる。メンバー4人それぞれが、なにものにも分類できないという魅力こそが、MAMAMOOなのである。
新沼のコーナー
このコーナーでは、私をこれから新しい沼にハマらせてくれる情報を募集します。今回は第0沼目ということで、特集したMAMAMOOについて引き続き……もしも本文を読んで初めてMAMAMOOが気になったという方は、この曲を聴いてぜひ沼に落ちてください。
そんなに身長が高くない彼女たちが“1センチ”について小競り合いしながら歌うというこの曲は、コミカルで、どんぐりの背比べ的な曲です。そう書くとルッキズムに支配されたようなテーマに見えますが、他人より優れていることにこだわる女たちを演じながら、それがいかにどうでもよくてバカバカしいかを伝えるような最高のパフォーマンスだと思います。
冒頭のファサのセリフはアドリブになることが多いです。音源では「ここに私より背が高い人はいる? いないならいいの」ですが、この収録では「ここに私より背が高い人はいる?(周りのメンバーが集まってきて見下ろされ、ファサは一人で頷きながら)うん、いるよね、わかった……」と渋々引き下がっています。
土岐麻子
1976年東京生まれ。1997年にCymbalsのリードボーカルとして、インディーズから2枚のミニアルバムを発表する。1999年にはメジャーデビューを果たし、数々の名作を生み出すも、2004年1月のライブをもってバンドは惜しまれつつ解散。同年2月には実父にして日本屈指のサックス奏者・土岐英史との共同プロデュースで初のソロアルバム「STANDARDS ~土岐麻子ジャズを歌う~」をリリースし、ソロ活動をスタートさせた。2007年11月にアルバム「TALKIN'」でメジャーデビュー。ユニクロのCMソング「How Beautiful」や資生堂「エリクシール シュペリエル」CMソング「Gift ~あなたはマドンナ~」などで注目を集め、さまざまなアーティストとのコラボレーションでも評価を集めている。2019年10月にソロ通算10作目となるオリジナルフルアルバム「PASSION BLUE」を発表。2020年7月にテレビアニメ「『フルーツバスケット』2nd season」第2クールのオープニングテーマ「HOME」を配信リリースする。
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長田杏奈 @osadanna
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