東映最後の直営劇場・丸の内TOEIが7月27日に閉館するにあたり、東映全社によるプロジェクト「さよなら 丸の内TOEI」が7月27日まで開催。プロジェクトの一環として5月12、15日にも同館で上映される「仁義なき戦い 広島死闘篇」は、1973年に公開された「仁義なき戦い」シリーズ第2弾だ。深作欣二が監督を務め、北大路は村岡組の若衆・山中正治を演じた。
同作のメインテーマとともに登壇した北大路は「1960年にできあがったこの丸の内TOEI、私はまだ17歳でした。ここでの初めの記憶は、『忠臣蔵 櫻花の巻・菊花の巻』の舞台挨拶で立たせていただいて、(片岡)千恵蔵先生、うちの父親(市川右太衛門)、(中村)錦之助さん、(大川)橋蔵さん、皆さんが壇上からご挨拶をなさって、私が端のほうでご挨拶をさせていただいたのを覚えております」と回想。「仁義なき戦い 広島死闘篇」については「ちょうど52年前の作品。私は29歳だったと思います。今、この映画を見せていただいて、作品に関わるほとんどすべての方々に若い時代からお世話になり、育てていただいたことを思い出し、私の基礎になっているなと感じ、言い表せない感動、この作品に出会えた喜び、そういうものが何度も何度もよみがえってきました」と伝えた。
続いて話題は山中と、
共演した菅原文太に関して、北大路は「撮影所ではしょっちゅうお会いする、とても器量の大きな兄貴分」と言及。「たまに食事に連れて行ってもらうと『松方弘樹、北大路欣也、これからがんばらなきゃだめだぞ、お前ら』とよく励ましていただきました。大きな優しさもありつつ、非常に冷静。山中という役で文太さんに会えるというのは、自然体でうれしいと感じた思い出があります」と振り返る。また「あるとき監督に『ラストシーンについて自分はまだどうするのか考えられてないけど、君は君なりに考えておいてくれよ』と言われました。脚本を書いた笠原(和夫)さん自身もそういう思いをお持ちだったと思います。『予科練の歌』や『海軍の歌』が印象的に登場するのも、お二人のいろいろな思いがあってのことだと思います。それで、最後の最後、その撮影シーンの朝に監督から芝居の決定を伝えられました。山中は銃に弾を込めながら、思いの1つひとつを詰め込んだのだなと思います」と言葉を紡いだ。
最後に北大路は丸の内TOEIの閉館に触れ、「65年の間、多くの映画ファンの方々に支えられ、数多くの作品がこの劇場で上映されました。そして我々の尊敬する先人の方々も皆さんこの舞台に立ってご挨拶や感謝の思いを伝えられたと思います。私たち後輩もそういう先人の背中を見ながら育ってきました。その方々の作り上げられた大きなピラミッドに向かって、今も私はがんばっております。多くのファンの方々への感謝の思いと、そして築き上げられた先人の方々への御礼の思い、いろいろな思いで今日はここに立たせていただいております。私もデビューしてから来年で70年を迎えることになります。もう少しがんばって、先輩たちの後を追いかけていきたいと思います。本日は誠にありがとうございました」と語りイベントを締めた。
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見に行きました!
北大路欣也さんのお話が興味深くて、もっと聞きたかったです😊 https://t.co/FaurbrQTTR