第25回東京フィルメックスで審査員を務める中国の
「未完成の映画」は未完のまま放置されていたクィア映画を完成させるため、10年ぶりに再集結した映画制作チームを捉えたドキュフィクション。実際に現実の記録として撮られたドキュメンタリーやロウ・イエの過去作のフッテージを交えながら、映画制作中にコロナパンデミックによってホテルに隔離された人々の姿を描く。東京フィルメックスで観客賞を受賞したほか、第61回金馬奨の最優秀作品賞と監督賞に輝いた。
山中瑶子「途中まで本当のドキュメンタリーだと思い込んでいた」
東京フィルメックスのイベントとして行われた今回の対談。山中は「あちこちで監督の映画が好きと言っていたら、このような機会を設けていただけて本当にハッピーです。真面目に2日ぐらいかけて質問を考えてきました」と挨拶する。「ナミビアの砂漠」で訪れた今年の第77回カンヌ国際映画祭で「未完成の映画」をいち早く観ていたそうで「なんの前情報もなく観ていて、途中まで本当のドキュメンタリーだと思い込んでいました。それにしてはあまりにもお話の構成やショットの連なりができすぎていて、撮られるべきものが撮られていた」「チン・ハオさんが奥さんとビデオ通話をしたときに、やっと『これはフィクションなんだ』と気付きました」と振り返った。
さらにロウ・イエの「天安門、恋人たち」「二重生活」が、コロナ禍の中で注目された武漢を舞台としていたことに触れ、「パンデミックを題材にした映画を撮ったのも必然だったのではと思います」と言及。「あまりにもよくできているので、最初からこういう映画を作るつもりで企画がスタートしたのだと思い込んでいたんですが、どうやら、そういうわけではないようですね……?」と尋ねると、ロウ・イエは「おっしゃる通り、特に綿密な計画を立てて撮影に入ったわけではありませんでした。これまでの私の映画制作と比べても特別な方法で撮られています。以前の作品のフッテージを利用して映画を作ることになったんですが、追加撮影をしようとするときにコロナが始まってしまったんですね。そしてスタッフが役者となって、それぞれの役を演じることになりました」と思い返す。
映画の冒頭は、制作チームが10年前のパソコンを引っ張り出して映画のデータを確認する場面。劇中では未完成という設定になっているが、実際にはロウ・イエの「スプリング・フィーバー」「二重生活」「シャドウプレイ」の素材が利用されている。仲間たちと昔のパソコンを起動させたのは現実の出来事で、ロウ・イエは「あそこはリアルなドキュメンタリーです。そのときはこれは本当に意義があることだと感じて、記録の意味でカメラを回していました」と述懐。山中は「いったい、どの段階で現在の映画の形式というか輪郭を発見したんですか?」と聞くが、ロウ・イエの中でも明確になっておらず「記録撮影したものと、追加で撮影したものをミックスさせていて、撮った我々もこんな映画になるとは思っていなかったのです。撮り終わったとき、映画にはこういう撮り方もあるのかとわかりました」と明かした。
ロウ・イエ「現実が映画を追い抜いていく」
制作はコロナ禍の中で断続的に進み、2、3年という長い時間をかけて行われた。ロウ・イエは「世界の変化が速すぎて、それについていけないような感覚がありました。撮影をしようと思っても、2、3日が経つと、世の中がもう変わってしまったと感じることが往々にしてあり、映画になるのか自信がないまま続けていました。映画作りに意義はあるのか、作ることになんの意味もないのではないかとも思いました。映画が本当に完成するかどうかもそこまで重要なことではなかったのです」と回想。そしてロベルト・ロッセリーニの「無防備都市」とアンジェイ・ワイダの「鉄の男」を挙げ、「世の中が厳しく駆け足で変化していく中で私の頭の中に浮かんでいたのが、この2作品でした。現実と映画が走っていくとき、現実のほうがずっと速く走って、映画を追い抜いていく。そういう感覚でした」と言葉を紡ぐ。
中国の検閲と自作の関係
劇中、主演俳優が制作の再始動を提案する監督に「どうせ、この映画は公開されないのに、どうして作りたいんだ?」と問う場面があることから、山中が「ロウ・イエ監督自身の状況と重なって、そういう意味でも監督の人生を観ているような映画でした」と伝えると、ロウ・イエは「実際に(主演俳優を演じた)チン・ハオが私に言ったことの、そっくりそのままです(笑)。私も映画の中の監督と同じように、最終的にはっきりとした答えを言えませんでした」と告白する。
本作では厳しい行動制限や都市封鎖によって感染を抑え込む「ゼロコロナ政策」が敷かれた当時の中国の過酷な現実をも記録。山中が「この作品は検閲のことも意識されていると思います」「中国で公開できないことはわかりきったうえで作っていたのでしょうか?」と尋ねると、ロウ・イエは自作と検閲との関係をこのように語った。
「若干、面倒はある。ということです。それはずっとつきまとっているわけですが、『サタデー・フィクション』は検閲を通って公開されました。『シャドウプレイ』は困難もありましたが、中国で上映されています。『二重生活』も比較的ましなほうだったと思います」「このような検閲との関係は、私だけではなく、中国の多くの監督が意識せざるを得ない問題です。みんなが、ある意味、検閲と闘っている。私はもう『撮らない』とは言いません。だから、このことに関しては、もう発言しないことにしています」
山中瑶子は映画に「笑って、泣いて、笑って」
山中が「私は日本でコロナを経験しています。だから映画に笑って、泣いて、笑って、すでに忘れていたことを思い出させてくれました。でも中国の方にとっては全然違うように映るかもしれないですし、どう反応するのかと気になりました」と問いかけると、ロウ・イエは「そこのところは私自身にもよくわかりません。この作品は私の周囲の友人や知人たちを撮った非常にプライベートな映画。私たちと比べて、その当時の状況がよかったのか、悪かったのかは人それぞれ。悪かった人が多いと思いますが、正確にはわからない。ただ言えることは、私たちにとって、この映画を撮ることは意義深いものだったということです」と、あくまで個人的な感覚のもと作った映画であることを強調した。
ロウ・イエの「ナミビアの砂漠」の感想は
対談は話題を変え、ロウ・イエが山中に質問する流れに。オムニバス映画「21世紀の女の子」の1本として山中が監督した「回転てん子とどりーむ母ちゃん」を鑑賞したというロウ・イエから「オムニバスの1本目を飾ってらっしゃる。しかも映画の最初、マシンガンをぶっ放しますよね。あの冒頭がすごくいい。どうしてああいった始まりにしたんでしょうか?」という質問が飛び出した。
山中は「20歳のときの作品なので、もう今の自分とは別の私という気もしています(笑)。リー・ヨーコ(李奥洋)さんという中国の女優の方にその役をお願いしました。彼女に大きな銃を持ってもらいたい、と先にビジュアルのイメージが思いついたのは覚えていて、すごくバカバカしいものを作りたかった」と記憶をたどる。ロウ・イエはこのシーンから相米慎二の「セーラー服と機関銃」を連想したという。さらに「先ほど『今の自分とは別の私』とおっしゃいましたが、あのときの監督と『ナミビアの砂漠』を撮った監督は、かなり違いますね。『ナミビアの砂漠』で撮っている内容はごく日常で、特に大きな事件は起こらない。その日常生活の中でハンバーグを作ったり、階段から転げ落ちたり(笑)。日常を撮れていることに、とても感銘を受けました」と話した。
「どうして女性の気持ちがこんなにわかるのか」
もともとロウ・イエの女性の描き方に感銘を受けてファンになったという山中。彼女は「女性たちに必ず主体性を感じます。どうして女性の気持ちがこんなにわかるのでしょうか」と尋ねながら、「女性だけに限らず、監督は人間の感情の渦というか、ままならない欲望、あいまいな感情を描くことに長けていると思います。人の根源的などうしようもない部分を見つめてこられています」と指摘する。
この問いかけに、ロウ・イエは「おそらく、誰しもが男女の要素を自分1人の中に持っていると思います。あるときは男性の部分が、あるときは女性の部分が強く出ている。それは人それぞれですよね」と回答。そのうえで「誠実に自分と向き合うと、往々にして、あまり明確でないもの、不確かなものに出くわす。自分がいったい何をしたいのかも、はっきりとはわからなくなる。確かな結論はなく、さまざまなことがあいまいなのが現実だと思います。『ナミビアの砂漠』で描かれているのも、そういうぼんやりとした、あいまいなものなんじゃないでしょうか」と続け、山中は「はい。すごく影響を受けているので(笑)。本当に尊敬しています」と言葉を返した。
映画作りに意味はある?
「どんな困難に置かれても自分が撮りたいものを撮る」というロウ・イエの過去の発言を胸に刻んでいると明かす山中。今年「ナミビアの砂漠」で商業長編デビューを果たした彼女は「監督はこれまでもコンスタントに映画を撮り続けていますが、それはご自身にとって自然なことでしたか? 撮りたいものがわからなくなるような、心理的な危機に陥ったことはなかったのでしょうか。もしあったら、どういうふうに過ごしていたのかもお聞きしたいです」と教えを請う。
ロウ・イエは「ずっと撮り続けているのは、やっぱり好きだから、ですよね。毎回、別の世界に入って、別のものを描きたいと感じますし、それが映画作りの魅力だと思います。もう撮りたくないと思ったのは、やはり『未完成の映画』のときです」と打ち明け、「毎回いろんな制限を受けます。今回はスマホの画面を使った会話の場面がありました。映画はスクリーンと切っては切り離せないもの。スマホの小さなスクリーンを使うのは、映画の意味そのものが崩壊していくわけです。映画の規範そのものを乗り越える必要がありました。ですが、映画のラスト近く、みんなで一緒にスクリーンを見ている。そこを見て私が感じたのは、我々はまだ映画を作り続けていけるということでした」と話した。
「未完成の映画」の制作中に「映画を撮っても意味がない」と感じたことを明かしていたロウ・イエ。対談の最後、山中は改めてこの発言に触れ「私はけっこう今でも……。世界が終わりに向かっていると感じていて、現実のおかしさが増していく、そのスピード感にすごく落ち込むことばかりです。そういう若い人たちに何か言葉をいただけないでしょうか」と問いかける。この大きな問いに、ロウ・イエは「『映画を撮っても意味がない』と感じたのは当時の本当の気持ちです。だけれども映画には意味がある。今は意義が大きいと思っています。だからぜひ次の作品を撮ってください」と率直に山中の背中を押した。
なおロウ・イエは現在、日本を舞台にした新作を準備中。山中の「ナミビアの砂漠」は全国で公開されている。
ainourai @ainourai
「ナミビアの砂漠」山中瑶子がもっとも敬愛する監督ロウ・イエと対談「本当にハッピー」 https://t.co/g2qMABVBn4