俳優デビュー10周年記念インタビュー 第2回 [バックナンバー]
石橋静河インタビュー |「映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ」から朝ドラ「ブラッサム」までの歩み、大切なのは“凪に戻る”こと
踊りと芝居がつながった瞬間、琉球舞踊で感じた新しい風、“燕が飛び立ってしまった”あとのヨーロッパ旅
2025年12月2日 11:00 2
「ゆっくり、ゆっくりよ」琉球舞踊で感じた“新しい風”
──6つ目には、NHK大河ドラマ初出演を果たした2022年の「鎌倉殿の13人」を選んでいただきました。
私が演じた静御前は歌い手・舞手・巫女・娼婦などいろんな肩書きを持っていました。自分の経験や知識を総動員して、フリースタイルで歌ったり踊ったりしていた人でしたが、そんな人がいたということも衝撃的でしたね。舞のシーンがあって、橘(芳慧)先生に指導していただいたのですが、最初にお会いしたときに「あなた、バレエをやっていたみたいね」と言われて。何か怒られるのかとドキドキしていたら、「それを生かしましょう」と言ってくださった。静御前がなりわいとしていた白拍子って文献がほとんど残っておらず、どんな踊りをしていたのか誰もわからないので、私の持っているものを生かそうとしてくれたんです。自分の後ろに2mくらい伸びる長い袴を着た状態で足を大きく蹴り上げたり、しゃがみ込んだりするダイナミックな動きがあって、実際にそういう動作をしていたかはわかりませんが、それを「美しいじゃない、面白いじゃない」と考えて橘先生が作ってくれた踊りでした。
──大河ドラマという大きな舞台でご自身がやってきたことを生かせたんですね。2022年にはプライベートで琉球舞踊を習い始めたそうで、これが7つ目のトピックです。
お芝居をすることはもちろん楽しいですが、その一方で体力的・精神的にきついこともあって。そんな中でざっくりとしたイメージとして、南のほうで、その土地の踊りをただ習うという時間を持ってみたいと思いました。どこがいいのかなとふわふわしていたのですが、「近松心中物語」で共演した
──その3週間を通して、どんな変化がありましたか?
俳優というお仕事って、基本的には歳上の人たちからも敬語で話してもらうし、すごく大切に扱ってもらうことが多いんです。自分は地に足がついているつもりでも、何が普通なのかがわからなくなってくることがある。「ああしなさい」「こうしなさい」ではなく、「それでいいですよ」と気を使われることが多くて、何ができていて何ができていないのかを自覚しづらい状態でした。でも子供の頃からバレエをやってきたのでわかるのですが、踊りの先生は厳しく、琉球舞踊でも最初から「そうじゃない」と何度も怒られて。真夏の沖縄で、稽古場にはエアコンがありませんでしたが、そのような環境で自分にはこんなにできないことがある、めちゃめちゃ下手っぴだなと感じることが爽快だったんです。20代の頃からたくさんの人に作品を観てもらって評価していただきましたが、琉球舞踊という伝統芸能に身を置いたら、自分はまだ入り口にも立っていないのだなということを体感できて、肩の荷が下りたのか心が本当に回復しました。私が先生に「もっと早くうまくなりたいです」と伝えたら、「ゆっくり、ゆっくりよ」と言われて、「ああ、それでいいんだ」と。たまに吹いてくる風も東京とは違い、海からふわっと吹いてきているようで、この風を受けてこういう動きになるんだなというのをぼーっと感じられたりもしました。
──話を聞いているだけでも、素敵な時間だったことがわかります。
普段は何かをやるとすぐに結果が返ってくるという、資本主義的な都会の中で生きていますが、そんなにすぐに何かを成し遂げることはできないよなあって。もっとゆったりした気持ちで、ちょっとずつ謙虚にやっていけばいいのよと言われた気がして、何よりも大切な時間だったと思います。
──石橋さんが俳優というご自身の立場にすごく自覚的であるとも感じたんですが、多くの人に気を使われることなどによって感覚がずれていかないよう、日常的に意識していることはありますか?
普通に暮らすことが一番自分を守る方法だと思っています。役という“席”には俳優として堂々と座っていなくちゃいけないと思いますが、仕事が終わったらきちんと自分でごはんを作って、洗い物をして、掃除をして、お風呂に入って寝る。それによって自分自身に戻ることができて、そこに立ち返るからこそ「
「燕は戻ってこない」で自分の中の燕も飛び立ってしまった
──8つ目のトピックは主演を務めた2024年のドラマ「
うーん……私の中の燕が飛び立ってしまったという感じです。もう戻ってこないというか。
──どういうことでしょうか?(笑)
すみません、抽象的すぎますよね(笑)。撮影も大変でしたし、役柄的にも出産や貧困といった要素が大きく関わっていて、やると決めるまでにも時間が掛かってしまった作品でした。何も考えずに観ることができて、気分が明るくなるような作品も絶対に必要だと思います。でも役者というのは社会に埋もれてしまっているものだったり、声を押し殺されて消されてしまった存在の思いを届ける仕事でもある。そういうふうに考えて出演をやっと決意できましたが、決めてからは毎日がすごく楽しくて。勝手に自分1人で闘わなくちゃいけない作品だと思っていたのですが、実際には同じような熱意を持った人がたくさん現場にいて、全然孤独じゃなかったんです。もっとこうしたらいいんじゃないかというのをみんなで考えて、いい空気の中で積み上げていくことができました。倫理観を問われる作品なので放送後もいろいろな意見がありましたが、作品の根幹にあるものをなんとしても届けるということが貫かれた現場で、本当に楽しかったです。この先自分がどういうふうに生きていこうかなと考えてしまうくらい、撮影後は満ち足りた気持ちでした。
──自分の中の燕が飛び立ってしまったというのは、もうこれまでと同じようには生きていくことができないというような意味ですか?
そうですね。これまで踏みとどまっていたことに挑戦したことで、突き抜けてしまったような感覚がありました。
──このドラマの撮影後にはプライベートでヨーロッパに行ったそうですね。これを9つ目のトピックに選んでいただきました。
「燕は戻ってこない」の話とつながるんですが、すごく満足して自分の自信になったものの、このあと自分はどうしたらいいのだろうと悩んでいました。正直に話すと、このときはお芝居に対する意欲も失っていて。日本でお仕事をしているとどうしても“二世”であることが付きまとって、どんなにいい表現ができたとしても誰々の娘だからと言われてしまう。そう考えると、自分の中からパワーが湧いてこなくなってしまったんです。そこから自分が本当にやりたいことはなんなのかをまっさらな状態で考えるようになり、海外に行ってみようと思いました。
──日本を出てみたら、気持ちが変わりましたか?
最初にロンドンに行きましたが、冬ですごく寒いし、太陽も出ておらずとにかく暗い。みるみる元気がなくなっていって、「間違えた」と思いながら毎日1人で日記を書いていました。文字にして自問自答する日々で、人に伝えたら「何それ?」と言われるような時間だったと思います。でもそういう環境に身を置いて、私がどこで何をしていようがロンドンの人たちは誰も気にしていないんだなと考えると、自分が悩んでいるのはどうでもいいことかもしれないと思えてきて。孤独ではありましたが、不思議な心地よさがあったんですよね。そのあとはモロッコ、ポルトガル、フランスなどいろんなところを旅して、日本で知らず知らずのうちに自分の中にできあがっていた価値観が取っ払われた感覚がありました。一歩外に出たら常識・非常識はひっくり返るということを、実際に海外に行って体感するのは大切だなと。いい意味で“壊れた”時間でした。
──旅を通して、再び演じることへの意欲も取り戻しましたか?
ヨーロッパにいる間はまだそこまでいきませんでしたが、それまで悩んでいたことはどこかに去って、視野がバーンと広がりました。
自分の気持ちを放棄してはいけない
──最後に選んでいただいたのは、主演を務める2026年度後期の連続テレビ小説「
1つの作品にはたくさんの人たちが関わっていて、プロの方々が膨大な時間を費やして生み出したものが集まっているので、役者は自分がこうしたいという考えを消し去るべきだと思ってきたんです。自分が考え付くことなんて弱いし、それを押し通そうとすることは不正解だと思っていた。なので、こうありたいという自分の思いはあきらめていたところがあるのですが、海外に行っていろんな世界を見て、空気を吸ったことで、やっぱり自分の気持ちを放棄してはいけないなと考えるようになりました。最終決定を自分でしないと人のせいにしてしまうし、人のせいにすると絶対に力は湧いてこないと思うので。いろんな人の意見を聞いて、自分の思いも含め集約できるようにならないといけないというのが、今自分が感じていることです。
──最初にお話しされていた「やっと始まったという感覚」にもつながっているように思います。
はい。朝ドラを観ることが生活のルーティンになっている人はたくさんいますし、今日のあのシーンよかった、悲しかった、腹が立ったと思いながら仕事に行く人たちが日本中にいるんですよね。自分はやっぱり観ている人を喜ばせる役者でありたいし、苦しかったり怒りが湧くようなシーンだとしても、その根幹を自分ががっちりつかんでいなくてはいけないと思います。そのためには自分がどうしたいか、どんなふうに作品との時間を過ごしたいのかを明確にすることが大事なんじゃないかなと。撮影はものすごく大変だと思いますが、たくさんの人の力を借りて、いろんな波に乗りながら作り上げていきたいです。
──2017年度前期の「ひよっこ」に主演した
食事に行って、現場がどういうふうに進むのかなど細かい話を聞きました。主演として現場を作っていく立場だったので、自分のお芝居以外のさまざまなことに目を向ける必要があったと思いますが、彼女たちはいろんなことが見えていたんだなと思いました。しかもそれを20代前半でやられていて、本当に尊敬しています。
──石橋さんが現場を引っ張っていく「ブラッサム」も楽しみにしています。
いい作品にするためには、自分のお芝居だけに集中するのではなく、みんながいい調子でパフォーマンスできる環境にする必要があると思います。現場の空気が停滞したとき、いい方向にがらっと変えられる存在でいられるよう、がんばります!
石橋静河(イシバシシズカ)プロフィール
1994年7月8日生まれ、東京都出身。4歳でクラシックバレエを始め、2009年よりアメリカ・ボストン、カナダ・カルガリーにダンス留学後、2013年に帰国。2015年に俳優としての活動を本格化させ、2017年に映画初主演を務めた「
<衣装協力>
シャツ:11万6600円
パンツ:13万2000円
ネックレス:5万1700円
リング:2万9700円
ブーツ:11万2200円
(すべてエムエム6 メゾン マルジェラ / 税込価格)
問い合わせ先:マルジェラ ジャパン クライアントサービス(0120-934-779)
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