ふたを開けてみれば作品賞を含む最多7冠の「
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近年のアカデミー賞は、ハリウッドを取り巻く社会的・政治的議論が注目される機会になっているところがある。俳優部門のノミネート20名がすべて白人であったことが問題視され#OscarsSoWhiteというハッシュタグが生まれた2015年。#MeTooや#TimesUpのムーヴメントをオスカーがどう受け止めるか注目された2018年。司会に選ばれたケヴィン・ハートが過去の同性嫌悪のツイートの問題により辞退することとなった2019年。映画そのものよりも背景にある業界の問題が表面化していた。あるいは、2017年の「ムーンライト」と「ラ・ラ・ランド」の作品賞発表時の取り違えや、昨年のウィル・スミスによるクリス・ロックへの平手打ちといった「騒動」がアウォードよりも注目されがちなのも、よくも悪くもSNSの影響力が強い現代ならではの現象だろう。わたしもつい、逐一そうしたニュースを追ってしまいがちだ。
今年とくに取沙汰されたのは、他のノミネート作品に比べ知名度のなかったインディペンデント映画「To Leslie トゥ・レスリー」に主演したアンドレア・ライズボローが俳優陣の後押しを受け主演女優賞にノミネートされ、アカデミー側からキャンペーン手順に関して調査を受けたことだ。ライズボローがノミネートを取り消されることはなかったが、毎年加熱するオスカー・キャンペーンのあり方が見直される契機となった。結果として黒人俳優のなかで有力候補とされていた「The Woman King(原題)」のヴィオラ・デイヴィスと「Till(原題)」のダニエル・デッドワイラーがノミネートから外れたこと、また監督賞候補に女性が選出されなかったこと(『ウーマン・トーキング 私たちの選択』のサラ・ポーリーを有力とする向きもあった)に疑問の声が上がっていた。
現在のアカデミー賞はこうした背景が前提として共有されている現実がある。司会の
そして授賞式本番、「トップガン マーヴェリック」の戦闘機からパラシュートで登場した(という設定の)キンメルは、冒頭のスタンダップでそうした期待に満遍なく応えるパフォーマンスを披露。もちろん恒例の出席者いじりは数多く盛りこまれていたが、昨年物議を醸したような容姿や年齢をからかうものやセクハラまがいのジョークはなく、ノミネート作品の内容を生かしたものが中心だった。また、ウィル・スミスの騒動についてもたっぷり触れはしたが、あくまで暴力行為を批判的に皮肉るのをメインとし、ゴシップ的な興味を煽るようなものではなかった。いっぽうで、ジェームズ・キャメロンが監督賞にノミネートされなかったことについて「アカデミー会員は彼を女性だと思っているのかもしれません」と言ったり、ノミネートから外れたヴィオラ・デイヴィスやダニエル・デッドワイラーに言及したりと、今年のアカデミー賞で問題だとされたポイントもさりげなく盛りこみ、抜群のバランス感覚を発揮してみせた。「スピーチの時間が過ぎたら『
キンメルが去るといよいよ受賞結果の発表が続く。今年の一発目は長編アニメーション部門で、多くの予想通りNetflix作品の「
そして、今年の主役のひとりは間違いなく「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」(以下『EEAAO』)で助演男優賞を獲得した
続けて発表された助演女優賞は同じく「EEAAO」から
主要部門で「EEAAO」が強さを示したいっぽう、技術部門で予想以上の健闘を見せたのがNetflixのドイツ映画「西部戦線異状なし」だ。確実と言われていた国際長編映画賞だけでなく、撮影賞、美術賞、作曲賞を受賞。骨太の戦争映画、しかもかつて作品賞を受賞したクラシックのリメイクということでオスカーとの相性は良かったとはいえ、今年はNetflixが弱いと言われていたなかで存在感をアピールすることとなった。短編ドキュメンタリー賞を受賞した「エレファント・ウィスパラー:聖なる象との絆」もNetflix。「ギレルモ・デル・トロのピノッキオ」を含めると計3つの作品賞を獲得しており、むしろNetflixが多様な分野で映画界に貢献していることを示す結果だったと言える。
長編ドキュメンタリー賞はプーチン政権批判で知られる活動家アレクセイ・ナワリヌイの毒殺未遂事件を追った「
賞の発表だけでなく、歌曲賞にノミネートされた楽曲のパフォーマンスも授賞式の見どころ。オスカー常連のダイアン・ウォーレンとソフィア・カーソンによる情感に満ちた「Applause」(『私たちの声』)、シュールな世界観でアカデミー賞らしからぬ時間を作り上げたステファニー・シュー&サン・ラックス&デヴィッド・バーンによる「This Is A Life」(『EEAAO』)、スーパーボウルのハーフタイム・ショウで妊娠を発表したばかりのリアーナによる「Lift Me Up」(『ブラック・パンサー/ワカンダ・フォーエンバー』)とそれぞれ個性的なステージを見せるなか、今年大きな話題となったのはTシャツとジーンズにノーメイクで「トップガン マーヴェリック」の主題歌「Hold My Hand」をダイナミックに歌い上げたレディー・ガガだ。「ジョーカー」続編の撮影に集中するため一時は欠席も発表されていたが、シンプルな歌の力でポップ・スターとしての存在感を見せつけた。そして、多くのひとが心待ちにしていた「RRR」から「Naatu Naatu」のダンス・ステージはこの日一番の盛り上がりを見せ、オスカーの国際化を象徴するひとときに。見事に歌曲賞を受賞し、インド映画界の超大御所作曲家M・M・キーラヴァーニは、自身が親しんだというカーペンターズの替え歌でスピーチして会場を微笑ませたのだった。
また、アカデミー賞授賞式ではこの世を去った映画人たちの功績を讃える追悼も重要な時間だ。プレゼンターを務めたジョン・トラヴォルタは、「グリース」で共演した
授賞式終盤はいよいよ主要部門の発表が続く。スティーヴン・スピルバーグをはじめ錚々たるメンツが集まった監督賞も「EEAAO」からダニエルズこと
主演男優賞は「
主演女優賞は、ケイト・ブランシェットとの一騎打ちと目されていた「EEAAO」の
そして「EEAAO」の作品賞で第95回アカデミー賞は大団円。インターネット・カルチャーのノリをふんだんに盛りこんだ同作は映像感覚として新鮮ないっぽうで、移民の家族の絆の物語であることを考えるとアメリカ映画が伝統的に描いてきたものとかけ離れてはいない。また、アメリカでは長く軽視されてきたアジア系移民を中心としていること、クィアの物語でもあること、ADHDの特性を肯定的に捉えていることなども、近年のアカデミー賞が目指す多様性や包摂性と一致するところ。たんなる一時期的な流行ではなく、ここのところの潮流を受けた結果なのだ。それらが現在のSNS文化とうまくクロスしたのが、「EEAAO」の成功だったのではないだろうか。
個人的なハイライトは、作品賞のプレゼンターを務めたハリソン・フォードに、キー・ホイ・クァンが真っ先に駆け寄って熱い抱擁を交わし、その光景をスティーヴン・スピルバーグが温かく見守っていた瞬間。スピルバーグの「フェイブルマンズ」は受賞に至らなかったが、約40年前に「インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説」で交わった3人の邂逅は、ひょっとするとアウォード以上に意味のあるドラマだと思える。映画文化が生み出す豊かな歴史や繋がりもまた、アカデミー賞が讃えるものであるはずだ。
結果的に作品賞、監督賞、主演男優・女優賞、助演男優・女優賞という主要6部門を独立系スタジオであるA24の作品が独占。大手メジャースタジオの苦戦や停滞が囁かれることになったが、ダニエルズはじめミレニアル世代の躍進という意味合いもそこにあったかもしれない。いずれにせよ、SNSを駆使した草の根的なキャンペーンをいかに取りこんでいくか、司会やプレゼンターに対する視線が厳しいなかでどのようにホストが「面白い」授賞式を演出するか、ノミネートや受賞結果にどのように多様性や国際性を生み出していくか……など、アカデミー賞が現在直面している課題に苦闘している様が端々から伝わってくる内容だったと言える。SNSの影響から逃れられないなかで、どのような作品が注目され評価されるのか。今後のさらなる変化を予感させられる授賞式だった。ただ、わたしもそうだが、サプライズには欠けたものの今年は安心して見られたというひとが多いのではないだろうか。ゴシップや社会的な議論にヤキモキしたり、結果に文句を言ったりしながらも、何だかんだ毎年観てしまうアカデミー賞。今年の授賞式にもまた、ハリウッドの「夢」にまつわる物語がいくつも生み出されていた。
- 木津毅
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ライター / 編集者。音楽、映画、ゲイ / クィアカルチャーを中心に執筆する。著書に「ニュー・ダッド あたらしい時代のあたらしいおっさん」、編書に「ゲイ・カルチャーの未来へ」がある。音声配信のプラットフォーム・stand.fmでは毎週月曜18時に「生活と映画」を配信中。
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