左から稲垣富久、稲垣紀子。

〇〇の異常な愛情 Vol. 9 [バックナンバー]

稲垣紀子、富久夫妻の場合:南インド料理店を営み、インド映画の推し活をしていた2人は如何にして映画を配給するに至ったのか

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この映画1本で人生が変わる人がいる気がした

──初めての配給作品となる「響け!情熱のムリダンガム」についてお聞きします。2018年の東京国際映画祭にて「世界はリズムで満ちている」のタイトルで上映された際に初めてご覧になられたとのことですが、稲垣さんが感じた作品の魅力を教えてください。

稲垣紀子 最初から最後まで主人公が映画オタクだというのがよかったんですよ。“映画オタクが成長し、映画ではない何かに関心が移る話”と思いきや、そうじゃない。最後まで主人公がヴィジャイ(注1)のファンだとわかるモチーフにあふれているんですよ。観終わったときに「オタクでもいいんだ!」と思って(笑)。映画オタクが、映画オタクのまま別の道で大成する。推しが増えて、世界観が広がるというところが一番よかったですね。あとは自分が「ムトゥ 踊るマハラジャ」を観て引きこもりだった人生が変わったように、この映画1本で人生が変わる人がいる気がしたんです。この映画を配給することで南インド映画界への恩返しになるといいなと思いました。

注1…インドのタミル語映画に出演する人気俳優。「マスター/先生が来る!」が全国で順次公開中

CINEMA Chupki TABATAで行われた「響け!情熱のムリダンガム」舞台挨拶の様子。

CINEMA Chupki TABATAで行われた「響け!情熱のムリダンガム」舞台挨拶の様子。

──実際に動き出したのは、本作の輸入盤ソフトが200本売れたことが始まりとか。

稲垣紀子 そうなんです。コロナ禍もあり自宅で映画を観る需要の高まりもあって、通販ですごく売れたんですよね。このままもうちょっと話題になれば、もしかするとどこかの配給会社が買ってくれるかもしれないと思い、Zoomでイベントを開きました。

──「劇場で作品を観たい」という思いだったのですね。

稲垣紀子 1回でもいいからまた上映されたらいいなって。するとZoomイベントを開催することを「響け!情熱のムリダンガム」の監督であるラージーヴ・メーナンさんに連絡してくださった方がいて、なんと監督がイベントに参加してくれました。お礼メールがてら「日本で劇場公開されませんが、上映するにはどうしたらいいですか?」と聞いたら、「君が買えば」と返信が来て(笑)。私の名前を権利会社に伝えたとも書いてありました。

「響け!情熱のムリダンガム」 (c)Mindscreen Cinemas

「響け!情熱のムリダンガム」 (c)Mindscreen Cinemas

──そのときの心境は?

稲垣紀子 びっくりでしたね。これはどういう意味だろうって(笑)。でも早く連絡をしないと、その話が立ち消えになってしまうかもしれない。なので、連絡先をもらった権利会社の方はどういう位置の人なんだろうと検索したらトップの人だったんですよ(笑)。ここはいちファンとして、場合によっては日本の配給会社につながるようにやり取りしてみようかと。そうしたら「喜んであなたに売ります」と言われました。

──トントン拍子ですね!

稲垣紀子 配給会社じゃないと買えないと思って問い合わせをしたので、どうしようかなと思いました。でもDVDの売り上げなどでなんとかなる金額で。だからもし劇場公開とまでいかなくても、この映画に対する恩返しとして、自主上映が数回でもできたら納得できる買い物だと思いました。

なんどりカウンターの様子。

なんどりカウンターの様子。

自分たちが納得できる程度に

──そこから実際に配給権を獲得するまで、大変なことはありましたか?

稲垣富久 そんなに大変ではなかったですけど、10カ月くらいかかりましたね。

稲垣紀子 英文契約書が難しかったです。自分は法学部出身で、会社でも法務系の仕事をしていたので日本の契約書だったら「ここを気を付けて読むといい」となんとなくわかります。行政書士や、映画の契約書の仕事をしたことがある方にも相談しつつ、なるべく自力でやりました。そのうち、通常の配給会社がこの映画に手を出さなかった理由もなんとなくわかりました。

稲垣富久 某配信会社がサブスクの配信権を全世界で取得していて、インド公開後まもなく配信開始していました(注2)。当時は、すでに配信された作品が劇場公開されることはまずないと言われていました。

注2…日本では現時点で未配信。またレンタル配信権は稲垣さんも取得している

稲垣紀子 でも今は配信された作品が、あとからスクリーンで上映される事例が出てきた。時流も数年で変わったんですよ。だからラッキーです、円安になる前に買ってるし(笑)。

──周囲の意見を聞いて、配給権の購入をやめようと思ったことはありますか?

稲垣紀子 最初は躊躇する気持ちもありましたが、もう1回スクリーンで観たいというファン心でやってるので、いいかなと。初めから儲かるとは思ってないわけですよ。配給会社が買わないわけですから、ビジネスにならないと思われているんです。逆に言うと配給会社が見放している作品だけど、宣伝コストなどをミニマムにして自分たちが納得できる程度に小規模でも公開できれば、もともと上映できなかったはずの作品なんだから、それはそれで成功したと言えるんじゃないかと思って。

──そこから映画が上映されるまでに印象的だったことはありますか?

稲垣紀子 シアター・イメージフォーラムさんに上映の相談をしたとき、DVDを送って観てもらい、劇場公開は難しいと言われるかなと不安半分で話しに行くと、「すごくいい映画でした、うちでよければぜひ」と言ってくださり「やったー!」と。そこからインド映画ファン以外にも訴求するなら、ポスターやチラシをプロに作ってもらわないと持ち帰ってもらえないとアドバイスをもらいまして。イメージフォーラムのチラシが置いてあるところを思い浮かべてみたら想像できました。最初は無料ツールで作ればいいかと思っていたのですが(笑)、プロの方に依頼しました。全国公開へ向けての宣伝費用を募るクラウドファンディングも行いました。パンフレットは、インド映画が好きなプロの方にデザインはお願いしましたが、自分たちのつながりのあるインド愛好者・研究者に声をかけまくって、20人以上に記事を書いてもらいました。予告編も、ヴィジャイが好きなインド映画ファンの映像クリエイターにお願いしました。

なんどり店内の様子。

なんどり店内の様子。

テーマが普遍的だから、色褪せない

──まさにインド映画ファンの手によって上映にこぎつけたのですね。

稲垣紀子 そうですね。コストを抑えるためにっていうのもあるんですけど、この上映プロジェクトは本当に熱意がないと成り立たないので。一般の配給会社に配給してもらえない映画なんですから。小さい範囲でもいいから、意義のある形で送り出そうと思っていました。なんどりの地元であるCINEMA Chupki TABATAと、イメージフォーラムは上映に関して快諾いただいたので、そこさえ大切にやれればもう十分自分の中では納得できるところだったんです。だから何か苦労したというよりも、「今買うべきときだ」とか「今コンタクト取らないと!」という勘がうまく当たったり、さまざまなご縁がつながって上映が実現したと感じます。

「響け!情熱のムリダンガム」 (c)Mindscreen Cinemas

「響け!情熱のムリダンガム」 (c)Mindscreen Cinemas

──タイトルは、東京国際映画祭で上映された際の邦題から稲垣さんが変更されたのですか?

稲垣紀子 私が考えたタイトルをもとに、周りの方にアドバイスをいただきアップデートしました。まずは、この映画の内容がそうであることと、配給にも情熱を注ぐという気合いを込めて「情熱」、インドだとわかる言葉を使いたかったので響きが好きだった「ムリダンガム」を組み合わせ「情熱ムリダンガム」という仮題を付けました。その後、上映権を取得して最初に上映会を行った行きつけのカフェで、観ていただいたお客さんとカフェの方とタイトル会議をしましたね。洋画の邦題は既にこの作品を観たファンに向けたものではなく、この映画を知らない新しい人に見てもらうために、例えば新聞の映画上映欄に小さく載った(場合によっては略称の)タイトルを見て関心を引いたり、映画へのイメージを膨らませたりしてもらうにはどうするべきか考えるよう、元映画会社社員のカフェオーナーにアドバイスされました。最終的にはお客さんの意見で出た「響け!」を入れれば、ムリダンガムがモノであること、「音楽の映画じゃないか?」と推測もできていいのではないかとなり、「響け!情熱のムリダンガム」に決定しました。とても気に入っています。

──この映画を上映して「よかった」「うれしかった」と思うことはありますか?

稲垣富久 やっぱり、観た人が「よかった」とつぶやくのをTwitterで見るのはうれしいです。

稲垣紀子 先日広島で上映した際に舞台挨拶に行ったら、映画館の方が「稲垣さんが買ってくれたおかげでこうして広島でも観ることができました。どうもありがとうございます」とおっしゃってくれて。東京に住んでいると映画祭とかいろいろチャンスがあるけど、地方だとなかなか届かない場合もある。広島でインド映画のファンをやっている人も駆け付けてくれてうれしかったです。小規模でも、全国各地で上映を実現させていきたいと改めて強く思いました。

なんどりに飾られたインド映画関連のグッズ。

なんどりに飾られたインド映画関連のグッズ。

──今後新たな作品の配給権を購入する予定はありますか?

稲垣紀子 今はないですね。この映画は配給会社が付かなかったような映画なので、いい意味で「旬」はないなって。地方での公開時期が東京での公開から遅れても、テーマが普遍的だから色褪せないという信念を持っていれば、時間はかかっても地方をもっと回れるんじゃないかなと思っています。邦画でも、すぐにソフト化せずに自主上映をやり続ける作品もありますよね? そういう路線でもいいのかなと。映画の世界って、華やかだけどなかなか儲かる訳ではない。今後はほかの仕事もやりながら、「これはどうしても紹介したい」という作品があれば考えたいです。それが数年に1回かもしれないし、この1本で終わりかもしれませんが。今回「響け!情熱のムリダンガム」を配給したことで、ほかの人も自分の“推しの映画”を配給できるのではと思ってくれたらうれしいです。もし戸惑うことがあったら、映画業界未経験の私たちに、さまざまな方が親身に上映実現に向けて協力やアドバイスをしてくれたように、私も今回の経験を生かしてお手伝いできたらと思っています。

なんどり外壁のペイント。

なんどり外壁のペイント。

──最後に稲垣さんの“推し”のインド映画スターを教えていただけますか?

稲垣紀子 ヴィジャイと、同列でラジニカーントです。どっちも笑顔が好きなんですよね。

稲垣富久 圧倒的なスター性がありますよね。インドの俳優もルックスは求められるけど、日本人の美意識とはちょっと違う。

──やはりインドの俳優さんは踊りのうまさが必要なのでしょうか?

稲垣紀子 踊りがうまい方が好ましいですが、俳優ですし表情やしぐさや雰囲気で、演じている役の情感を音楽シーンでどのように表現するのかがポイント。最近のインド映画は、踊るシーンが減ってきていますが、音楽は減らないんですよ。重要なのは、音楽シーンで登場人物の感情をどう表現するか。その手段の1つが踊りなんです。踊りが少なくてもいいインド映画だなと思うのは、エピソードなどを音楽シーンで上手に表現しているときが多いですね。

──これからインド映画を観るときは注目してみます。ありがとうございました!

「響け!情熱のムリダンガム」(全国で順次公開中)

「響け!情熱のムリダンガム」ポスタービジュアル (c)Mindscreen Cinemas

「響け!情熱のムリダンガム」ポスタービジュアル (c)Mindscreen Cinemas

南インド伝統音楽(カルナータカ音楽)で演奏される打楽器・ムリダンガム職人を父に持つピーターは、映画スター・ヴィジャイ(公開中の「マスター/先生が来る!」の主演)の大ファン。ある日父の作ったムリダンガムを巨匠ヴェンブ・アイヤルが演奏するのを目の当たりにしたピーターは、ムリダンガムの奏者を志すようになり、巨匠に弟子入りを直訴するのだった。ラージーヴ・メーナンが監督、「ムトゥ 踊るマハラジャ」のA・R・ラフマーンが音楽を担当。主人公ピーターをG・V・プラカーシュ・クマールが演じた。

稲垣紀子

南インド料理店・なんどりより、DVD販売等の映画部門を2020年12月に法人化。代表社員CEOを務める。なんどり店頭や通販での輸入盤ソフトの販売、日本語字幕の協力などを行っている。現在、初配給作品である「響け!情熱のムリダンガム」が2022年秋より公開中。

稲垣富久

2013年開業の南インド料理店・なんどり店主。グルテンフリー、化学調味料を不使用の南インド料理を提供している。

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京都みなみ会館 @minamikaikan

絶賛公開中の『響け! 情熱のムリダンガム』、本日𝟭.𝟭𝟱㊐は本作の配給を担当された南インド料理店なんどりの稲垣紀子さんによるゲストトーク開催です。https://t.co/hzoQlyb0fx

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