イラスト / 徳永明子

映画と働く 第2回 [バックナンバー]

プロデューサー:佐藤順子「作りたいという思いを形にする」

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1本の映画が作られ、観客のもとへ届けられる過程には、監督やキャストだけでなくさまざまな業種のプロフェッショナルが関わっている。連載コラム「映画と働く」では、映画業界で働く人に話を聞き、その仕事に懸ける思いやこだわりを紐解いていく。

第2回となる今回は「あゝ、荒野」「愛しのアイリーン」「MOTHER マザー」などをプロデュースしてきたスターサンズ所属の佐藤順子が登場。東京の下高井戸シネマでアルバイトをし、20代でシネ・アミューズの支配人になった彼女は、なぜ映画を製作するようになったのか? すべてを“決めないといけない”というプロデューサーの仕事に迫る。池松壮亮真利子哲也と「ガチでやり合った」という「宮本から君へ」の裏話にも注目を。

取材・/ 小澤康平 題字イラスト / 徳永明子

佐藤順子による手書きの履歴書。

佐藤順子による手書きの履歴書。

下高井戸シネマでのアルバイトが映画の道に進むきっかけ

──スターサンズでプロデューサーとして働き始める前は映画館シネ・アミューズ(2009年閉館)の支配人を、それ以前の学生時代は名画座の下高井戸シネマでアルバイトをされていたんですね。

学生のときに下高井戸の近くに住んでいて、下高井戸シネマで面白い映画をたくさん観たんです。「バイト募集してませんか?」と聞いて働かせてもらうことになって。ラッキーなことに二番館と言われる名画座だったので2本立てや特集上映が多かったんですよね。副支配人がちょっと変わった人で、その企画を学生の頃から任せてもらっていました。当時は「ゴジラ」や「ドラえもん」を上映していて、西友の屋上でぬいぐるみショーの司会をやったりもしましたね。下高井戸シネマでのアルバイトが、映画の道に進むようになったきっかけです。

佐藤順子

佐藤順子

──10代の頃から映画の道に進もうと決めていたんですか?

全然決めてなかったです。軽音楽部でバンドをやっていたので、どちらかと言えば音楽に打ち込んでいる学生でした。ただ昔から洋画をよく観てましたね。父が「キャノンボール」とかジャッキー・チェンの出ている映画が好きで、よく映画館に連れて行ってもらってたんです。今はなくなってしまった渋谷パンテオン(※2003年閉館)に、角川映画や伊丹十三の作品を観に行ったり。でも特別映画が好きだったわけではないです。

──本格的に観るようになったのは下高井戸シネマで働き始めてからですか?

劇場で働くようになってからは尋常じゃない本数を観ました。35mmフィルムのプリント上映だったので、お客さんに届ける前にプリントチェックとして1本通しで観させてもらって。アルバイトのときからいろいろな経験をさせてもらいました。チラシも今みたいにDTP(デスクトップパブリッシング)でデザインするのではなくて、印刷屋に行って「このフォントで文字を組んで、この写真を使って、こう切り貼りして……」と1つ作るだけですごく大変だったんです。デザインには興味があったので「こうしたらどうですか?」と生意気に言ってたら気に入られて、そのうち上映企画などを任されるようになった感じですね。

下高井戸シネマ

下高井戸シネマ

相米慎二さんが一升瓶を持って来てくれた

──その後はシネ・アミューズの支配人になっていますが、これはどういった経緯で?

その前に広告代理店に入社したんですけど、合わずに半年で辞めてしまって。やっぱり映画の仕事をしたい気持ちがあり、当時アミューズが募集をかけてたので「アミューズにコネないですか?」と下高井戸シネマに聞きに行ったんです。そうしたらアミューズが1995年にシネカノンという会社と一緒に映画館を作ると。劇場運営の経験者がいないということで紹介してもらったのが、シネ・アミューズ立ち上げの仕事でした。最初はアルバイトスタッフだったんですが、初心者ばかりの中で私だけ3年くらい劇場で働いていた経験があったので、すぐ支配人になったんです。

──支配人としてはどんな仕事を?

企画上映や映画の買い付けをやっていました。1995年ってミニシアターがたくさんでき始めた時期で、ビジネスとして配給会社は映画館が上映してくれない作品は買えない。なので配給会社の方と一緒にカンヌやベルリンの映画祭に行って、「この映画やりましょう」と買い付けることが多かったです。あとはシネ・アミューズでは日本映画も上映していたので、「これから映画を製作するんだけど、シネ・アミューズで上映してほしいからキャスティングの相談に乗ってほしい」みたいな依頼が来ることもありました。その頃から映画を製作している人たちとの関係性が培われていきましたね。

──現在のプロデューサー業にもそのときの経験が生きていますか?

ほぼ100%生きています。分福(※是枝裕和と西川美和が立ち上げた制作者集団)さんと2019年放送の「潤一」というドラマでご一緒したんですが、実は2004年に是枝さんの「誰も知らない」で配給・宣伝のお手伝いをして、2006年には西川さんの「ゆれる」に関わらせていただいたんです。製作スタッフは映画館によく出入りするので、自然と顔見知りになるじゃないですか。そのときの人脈が今の仕事にもつながっています。

──入江悠さんと深谷シネマのような、監督と劇場の深い結び付きは今でもありますもんね。

SAVE the CINEMAなどにも監督たちはすごく協力的じゃないですか。それはやっぱり映画館とのつながりが強いからだと思うんです。入江さんの作品を待ってる人たちが地方のミニシアターにはたくさんいて、監督からしたら大切に作った作品を長く同じ小屋で上映してもらってお客さんに観てもらえるのは最大の喜びだと思います。自然と支配人との関係も強くなりますよね。

──シネ・アミューズ支配人時代の映画監督とのエピソードで、強く記憶に残っているものはありますか?

相米慎二さんの「風花」という作品に関わらせていただいて。結局これが遺作になってしまったんですが……。公開初日に相米さんが一升瓶を持って来てくれたんです。「長くこの作品を上映してね」という思いを伝えるために監督自身が劇場に通われていたんですよね。吉田恵輔さんとの縁も、支配人時代に「純喫茶磯辺」を上映させていただいたのがきっかけです。まさか一緒に映画を作ることになるとは思っていなかったですが(※スターサンズは2018年公開の吉田の監督作「愛しのアイリーン」を企画・製作・配給)。

プロデューサーはすべてを“決めないといけない”

──2010年からはスターサンズ所属ですが、入社のきっかけはなんだったんでしょうか?

当時スターサンズは、代表取締役の河村光庸と買い付け・配給を兼任するスタッフの2人体制でした。そこで経験者を欲しているということで声をかけられました。

──どなたかの仲介があったんですか?

(映画配給・宣伝会社)ミラクルヴォイスに河村と私の共通の知人がいて、その方に間に入ってもらいました。河村と話したあと、よくわからないんですが「すぐに来てくれ」と言われて(笑)。この業界、いきなりはなかなかなくて経験者採用が多いんです。配給や製作、宣伝会社は人のつながりで転職していくことがすごく多くて、映画会社としては3社目みたいな方がたくさんいる。血の入れ替えがあまりないんですよね。

──入社時点では、映画製作のノウハウがあったわけではないですよね?

全然なかったです。

──それはスターサンズに入ってから身に着けたと。

手探りでやっていきましたね。シネ・アミューズ時代にプロデューサーさんとお会いする機会は多かったんです。オフィス・シロウズの佐々木史朗さんや、もう亡くなられてしまった安田匡裕さんとお話する機会はあったんですが、プロデューサー業というのが実際になんなのかはわかっていなかった。まさか自分がやるとは思っていなかったんですが、スターサンズに入って「かぞくのくに」というヤン・ヨンヒ監督の作品を製作することになりました。その前に私がいたアミューズシネカノンという会社がヤン・ヨンヒさんの「ディア・ピョンヤン」という作品を配給していた縁で、次のドキュメンタリーをスターサンズで配給してほしいという話になって。彼女の生い立ちを聞いていくうちに河村が「それは映画になる」と言って、「かぞくのくに」というフィクションの製作をやってみようということになったんです。でも「どうやったら映画って作れるんだろう」というところからスタートしたので、映画館時代の人脈でスタッフを紹介してもらいました。「海辺の生と死」などを監督している越川(道夫)さんには昔からお世話になっていたので、プロデューサーの師匠としていろいろと教えてもらって。

──そこから本格的にプロデューサーとして動き始めるわけですね。プロデューサー=偉い人という漠然としたイメージを持っている人も多いと思うのですが、わかりやすく言い換えることってできますか?

すべてを決める人……決めないといけない人かな。何かをやるかやらないか、お金をどこまで集めるか、誰をキャスティングするか。お金の末端のリクープ(回収)まで全部責任を取らないといけないポジションです。

──映画の製作を決めた場合、まず何から始めるんですか?

最初は企画が立ち上がるところからです。原作者がいれば原作の使用許諾を得る必要がありますよね。スターサンズはオリジナルが多いので、例えば河村がこういうテーマの作品はどうだろうかと言ったら、私がこの監督が合うんじゃないでしょうかと提案したり。構想を監督のところに持って行って話がまとまれば、そこからお金集めが始まります。プロットと企画書を作って、お金を出してくれる可能性のある会社に持ち込んでいく。出資してもらえることになればキャスティングや脚本作りを進めたり、製作スタッフを集めていくことになります。

──映画を作れているということはお金が集まっている証拠ですが、簡単に集まるものではないですよね?

もちろん簡単ではないです。どうやったら集まるかと言えば、理由はいろいろあります。物語の強さだったり、監督の才能だったり、テーマ性だったり。最近は「スターサンズが作るんだったら」という理由で出資してくださる方もいてありがたいです。映画ってビジネスでもあるから、資金に対して売上が立たないといけない。「これは資金回収できます」という根拠をもって企画を立ち上げる必要があって、それはプロデューサーの大きな仕事。監督のやりたいことをなんでもやらせたらお金が掛かりすぎてリクープできなくなるけど、一方で高いモチベーションで仕事をしてもらうのはプロデューサーの仕事だし、そのためにお金が掛かることはある。そこで監督と決裂することはありますし、製作が止まる作品もたくさんあって。時には、監督のやりたいことを優先するために出資者に頭を下げることもあります。

──映画をどの方向に進めるかの決断を強いられるという意味では、プロデューサーには「違うものは違う」と言えるような意思の強さが必要でしょうか?

必要かもしれないですね。ただスターサンズは、どの監督とご一緒するかをものすごく慎重に考えます。監督の才能を常にリスペクトしますし、意見を押し付けて変えようとすることはないです。

──前提として、リスペクトできる監督と一緒に仕事をすると。

そうじゃないとお互い不幸になってしまうので。あとは会社に監督から脚本が持ち込まれることもあって、内容が独りよがりだったりした場合は意見を言うことはあります。より多くの人に観てもらうためにこういう視点を入れたらどうですかとか、このキャストに演じてもらったらもっと魅力的になるんじゃないですかとか。映画館でお客さんに接していた経験があるからだと思うんですが、エンタテインメントになっているかどうかはすごく考えます。いくらいい内容でも、お客さんが観てくれなかったらダメだと思うところがある。監督がお客さんを意識しすぎたら面白くなくなるので難しいですが、作品のよさを伸ばせるような提案はするようにしています。受け入れられないこともありますし、受け入れてもらえて一緒に製作を膨らませていくこともありますね。

佐藤順子が愛用している脚本・台本カバー。取材時には2021年に公開される「ヤクザと家族 The Family」の脚本が入っていた。

佐藤順子が愛用している脚本・台本カバー。取材時には2021年に公開される「ヤクザと家族 The Family」の脚本が入っていた。

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製作しているものを自分が好きかどうか、考えないほうがいい場合もある

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