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志磨遼平

渋谷系を掘り下げる Vol.3 バックナンバー

ドレスコーズ・志磨遼平が語る憧憬とシンパシー

「『本物になんかなるものか!』という姿勢がカッコいい」

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1990年代に日本の音楽シーンで起きた“渋谷系”ムーブメントを複数の記事で多角的に掘り下げていく本連載。第3回はドレスコーズ・志磨遼平へのインタビューを掲載する。10代の頃より音楽や文学、映画といったポップカルチャーの世界にどっぷりと浸ってきた志磨は、そこで培われた感性を基に毛皮のマリーズ~ドレスコーズでの活動を通じて、受け手の想像を鮮やかに裏切るコンセプチュアルな作品を次々と発表してきた。今回のインタビューでは志磨と親交の深いDJ / ライターのフミヤマウチを聞き手に迎え、両者の対話を通じて渋谷系の根底に流れるカウンター精神を浮き彫りにする。

取材 / フミヤマウチ 文 / 望月哲 撮影 / 相澤心也

流行歌として触れていた渋谷系

──志磨くんが初めて渋谷系というワードを具体的に意識したのはいつ頃ですか?

うーん……それが全然思い出せないんですよね。僕は1982年生まれなので、中学時代が95年から97年にあたるんですけど、その頃には渋谷系という言葉自体は僕のような和歌山の中学生でも知っていたと思います。中学校のときの制服がブレザーだったんですけど、僕、ブレザーを着ずにシャツとネクタイだけで、首からカメラを下げて学校行ってたんですよ(笑)。それで渋谷系を自称してましたから(笑)。でも、具体的に渋谷系という言葉を意識した瞬間というのは、ちょっと思い出せないですねえ。

──では質問を変えて、渋谷系と呼ばれるアーティスト群の中で最初に触れたのは?

小沢健二さんですかね。「ラブリー」が出たのが、僕が小学6年生の頃で。

──ポピュラーミュージックを積極的に聴こうという気持ちが出てくる年頃ですよね。

当時はヒットチャートを毎週チェックして、気に入った新譜のシングルCDをレンタル屋で毎週2、3枚ずつ借りて。同級生なんかと「一番早く覚えてカラオケで歌うのは誰だ?」って競う感じで(笑)。渋谷系周辺のアーティストの曲も、あくまでそういった“チャートもの”として触れていたと思いますね。小沢さんはもちろん、小山田圭吾さんのシングルも同じような感覚で聴いてました。

──Corneliusを。

あの頃ってシングル文化だったじゃないですか? いわゆる短冊シングル全盛時代で。小中学生であれば、よっぽど好きなアーティストじゃない限りアルバムまでは買わない、という感じで。楽曲単位じゃなくアルバム単位で、コンセプトとかアートワークも含めて「わ、カッコいい!」と初めて思ったのって、もしかするとCorneliusの「FANTASMA」かもしれないです。

あのアルバムが出たのって何年ですか?

──97年です。

ああ、僕が中3のときですね。初回盤に特製のイヤフォンが付いていて、それを装着して聴くと、バイノーラルマイクでレコーディングした立体的な音響が楽しめるっていう。コンセプチュアルな作品として「すげー!」と思った記憶があります。ただ97年がちょうど高校受験の年で、その1年は新しい音楽やカルチャーになかなか触れられなかったんです。その1年間だけ、ものすごくブランクがあるんですよ。

──そういう意味では、何年が受験期だったのかって、けっこう大きいかもしれないですね(笑)。

そうなんですよ。本当に部屋から出ないで勉強してるような感じだったんで。晴れて高校入学が決まった春休みに、たくさんCDを買ったりギターを弾き始めたりして、鬱憤を晴らすかのようにいろんなカルチャーにのめり込んでいきました。この受験以前 / 以後が自分史の中の分水嶺というか。そこから音楽誌なんかもわりと細かく読むようになって、その頃最初に興味を持ったのがサニーデイ・サービスホフディランのようなフォーキーなバンドでした。なので、その頃にはもう渋谷ではなく下北沢や新宿あたりから新しいムーブメントが始まっているのかな? という印象だった気がします。すでに渋谷系はわりとマスなカルチャーという感じで……まあ田舎の子供だったんで。渋谷系は田舎まで届くだけの普及力を持った音楽だったという印象です。テレビや雑誌、ラジオを通じて。

──いわゆる流行歌の1つという認識だった。

そうです。

トレンド化したイディオム

──渋谷系とされる音楽以外には、どんなものを聴いていたんですか?

中学までは、いわゆるヒットチャートの人たちです。その中でもバンドものが好きでしたね。Mr.Childrenやスピッツ、ウルフルズ、THE YELLOW MONKEYのような。それと同時期に、僕に空前のThe Beatlesブームが訪れて(笑)。「The Beatlesのような音楽を今やっている人はいないかな」と思いながら邦楽も聴いていました。ちなみに、すごく強引にくくると、スピッツとミスチルは当時の僕にとっては「The Beatlesのような音楽」に入るんですよ。あとは奥田民生さん。

──民生さんは、The Beatlesからの影響を隠そうともしないような曲をやってましたもんね。

そうですね。あの頃は1960~70年代の名曲のオマージュやパロディがヒットチャートの世界で普通にまかり通っていたというか。例えば小林武史さんの96、97年頃のプロデュース作品って、どれをとってもアナログ感があって。レニー・クラヴィッツが持ってたニューヨークのウォーターフロントスタジオで録音してて、機材もマイクから何から全部ビンテージなんですって。なので、あの頃のミスチルとかマイラバ、YEN TOWN BANDの録音ってすごく好きな音なんですよ。そういう曲が普通に100万枚とか売れていて。今振り返るとすごく豊かな時代ですよね。

──それって見方を変えると、渋谷系周辺のオルタナティブな人たちがやっていたマニアックな試みが、音楽業界の中でポピュラーなものになっていったという捉え方もできますよね。

きっとその通りだと思います。あの“Back To 60's”的なトレンドは、明らかに渋谷系のイディオムだったと思うんです。今、こうやって振り返ると文脈がわかるんですけど。

──中高生だとなかなかわからないですよね。

当時は全然わからなかったです。でも、十分な恩恵を受けていたということですよね。

渋谷系に感じる“反・本物志向”

──渋谷系の音楽には同時代性もあったじゃないですか。ハウスやテクノ、ヒップホップであるとか。そのあたりは聴いていましたか?

中学生のときは、かせきさいだぁさんがすごく好きで。僕は音楽を自分から進んで聴くまでは、わりと本ばかり読んでる文学少年みたいな感じだったんですけど。自分でも音楽を作りたいと思うようになったときに、かせきさいだぁさんみたいな手法だったら僕にもできるんじゃないか?と思ったんです。古いレコードをサンプリングして、そこに淡々と文学的なポエトリーが乗るっていう。「梶井基次郎の檸檬の中に出てくるような街の中は……」みたいな。これなら僕もできるかもしれない、と思って真似したりしてましたね。

──渋谷系の1つの側面として、“文科系の逆襲”みたいなところがあったと思うんです。とかく体育会系的なノリだったそれまでの音楽業界に対して、文科系が一斉蜂起したというか。

この取材を受けるにあたっていろいろ考えたんですけど、僕の中で渋谷系には“反・本物志向”というか、「セックス、ドラッグ&ロックンロール」みたいな美学にはっきり「NO!」を突きつけるようなイメージがあるんです。ステレオタイプなカルチャーイメージに対して、「自分たちはそれの当事者ではなく消費者である」という意思表明をするような。レコードであろうとVHSであろうと書籍であろうと、ありとあらゆるレアなアーカイブを過激なまでに消費していく感じに、「僕らは本物ではない」という強い思いが感じられて……なんと言うんでしょうかね、この感覚は。ルサンチマンでもないんですけど。

──一歩引いて、斜に構えてる感じというか。

啖呵を切るような潔さもあって。「本物になんかなるものか!」という姿勢がカッコいいなと思うんです。先ほど話に挙がった体育会系的なノリって、いつの時代にもあると思うんですよ。「酒を飲んだら、あとはステージで思いっきりぶちかますだけさ!」みたいな。そういうノリに対して僕も苦手意識があって。僕は20代の頃はガレージパンクのイベントとかによく呼んでいただいてたんですけども、やっぱりあの……ちょっと怖いんですよね(笑)。

──“ロックンロールエリート”というか、ロックについて博学で、かつ、いで立ちと振る舞いもロケンローな人たちに気圧されてしまうところがあった?

はい。皆さんすごく優しいですし、何をされたワケでもないんですけど。自分は文化系の人間なので(笑)。そういう意味でも渋谷系的な感覚にシンパシーを感じるんです。

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優れた船頭としての役割

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