山形国際ドキュメンタリー映画祭2025(YIDFF2025)の表彰式が10月15日に行われ、受賞結果が明らかに。インターナショナル・コンペティション部門の大賞にあたるロバート&フランシス・フラハティ賞が、ギヨーム・カイヨーと
「ダイレクト・アクション」では、環境破壊に反対するフランスのアクティビストたちによる自給自足生活の断片が映し出される。畑を耕し、パンを作り、チェスに興じるなど、牧歌的にも見える彼らの直接的抗議行動と日々の営みを捉えた1本だ。審査員による講評として「行動の映画であり、イデオロギーを主張するだけのものとはかけ離れた行動的な映画である『ダイレクト・アクション』は、闘争のストーリーを、闘争が行なわれるそのときに語っている。つまりこの作品は、それ自体がノートル=ダム・デ・ランド空港に反対する闘争に自身が長らく関わっていたからこそ可能になった両監督の、力強い声明となっている。監督たちは、木を伐り、チェーンソーを洗う、もしくは子供の誕生日パーティーの様子や壁の打ち壊しといった、シンプルな行動を撮りおさめることで、ユートピアの限界にもアプローチしおおせている」とコメントが出された。
フォーマットや上映時間の制約を超え、アジアの新進ドキュメンタリー作家の作品を紹介・応援するプログラム「アジア千波万波部門」の小川紳介賞は、ファラズ・フェシャラキ監督「パラジャーノフ、ゆうべはどんな夢を見た?」が受賞。同作は、遠く離れたイランの両親やウィーンのいとことのたわいないオンライン通話をフェシャラキが10年間にわたって撮影したもので構成されている。講評では「監督の巧みなストーリーテリングを通して、ある家族の日常会話が、親しみの感じられるとてもポエティックな映画となった。魅力的な登場人物と繊細なユーモアが、この映画の複雑な主題に温かみと光をもたらしている」とつづられている。
なおロバート&フランシス・フラハティ賞と小川紳介賞は、次年度のアカデミー賞長編ドキュメンタリー部門へのエントリー資格が無条件で与えられる。そのほか受賞作リスト、講評は下部に記載した。
YIDFF2025は本日10月16日まで山形県山形市内の各所で開催中。15日時点で、参加者は2万2000人を記録している。
山形国際ドキュメンタリー映画祭2025 開催概要
開催日時・開催会場
2025年10月9日(木)~16日(木)山形県 山形市内各所(山形市中央公民館、山形市民会館、フォーラム山形、やまがたクリエイティブシティセンターQ1ほか)
受賞結果リスト
インターナショナル・コンペティション部門
ロバート&フランシス・フラハティ賞(大賞)
「ダイレクト・アクション」監督:ギヨーム・カイヨー、ベン・ラッセル
山形市長賞(最優秀賞)
「ガザにてハサンと」監督:カマール・アルジャアファリー
でん六賞(優秀賞)
「公園」監督:蘇育賢(スー・ユーシェン)
フレックスインターナショナル賞(優秀賞)
「愛しき人々」監督:タナ・ヒルベルト
審査員特別賞
「亡き両親への手紙」監督:
スペシャル・メンション
「彷徨う者たち」監督:マロリー・エロワ・ペスリー
アジア千波万波部門
小川紳介賞
「パラジャーノフ、ゆうべはどんな夢を見た?」監督:ファラズ・フェシャラキ
山形新聞・山形放送賞(奨励賞)
「木々が揺れ、心騒ぐ」監督:イ・ジユン
東北電化工業賞(奨励賞)
「炭鉱奇譚」監督:宋承穎(ソン・チョンイン)、胡清雅(フー・チンヤー)
市民賞
「ハワの手習い」監督:ナジーバ・ヌーリ、ラスール(アーリ)・ヌーリ
受賞作講評
インターナショナル・コンペティション
<審査員総評>
ひとつの映画祭を運営し成功させるのは、とても難しい仕事で、長い時間と労力、そして細かい気遣いを必要とします。映画、特にドキュメンタリー映画が今日の世界についての考察であり、それに対する申し立てであるとしたら、なおさらです。私たちは、どのようにして、物語を語り、人々の暮らしや土地、そしてますます混迷の度を深め捉え難くなりつつある、現在について語りながら、同時に、微細なニュアンスをも伝えることのできる映画の新たな形を発明することができるでしょうか。表層の向こう側まで射抜くことのできる眼差しをもって、中心から外れているがゆえにそれほど明白なものになっていない細部が残っている部分に寄り添い、制約や決まりごとから逃れつつ、しかし登場人物たちには大きな敬意を払いながら。
審査員として私たちは大きな責任を背負いました。そして、そのことについて、映画祭事務局の方々が私たちを信用し、今回のこの素晴らしい映画祭に招待してくださったことに、心より感謝いたします。それぞれに異なる実に幅広い提案と世界観を体験するこの旅、土地や体験、人生の物語についてだけでなく、作家のみなさんそれぞれのアプローチを定義づける映画の手法についての、高度な挑戦をしっかり引き受けようと努めてきました。
ドキュメンタリー製作のさまざまな方法やスタイルを紹介する今回のセレクションは、観客のみなさんがこれらの実に多様な想像力たちに触れ楽しむことができるような、多くの道を切り拓いてくれました。もっとも些細な出来事が社会全体の歴史となる詩的かつ政治的な宇宙を発見することができました。記憶、生きたアーカイブ、風景に刻まれた痕跡を目にすることができました。そうした映画のフォルムの中に隠れている、各作家の密やかな、しかし複雑なビジョン、そして映画を作りたいという内なる欲求を見せてくれました。この豊かさは、私たち審査員の仕事をより難しくすると同時に、エキサイティングなものにしてくれました。協議は熱く、長い時間に及びました。それでも、これらの多様な世界観の数々に向き合うことは、私たちにとって何よりも大きな喜びとなりました。
とてもエキサイティングな1週間を過ごすことができました。私たちに寄り添ってくださったすべてのみなさまに、あらためて感謝の言葉を申し上げたいと思います。ありがとう!
<ロバート&フランシス・フラハティ賞(大賞)「ダイレクト・アクション」>
行動の映画であり、イデオロギーを主張するだけのものとはかけ離れた行動的な映画である「ダイレクト・アクション」は、闘争のストーリーを、闘争が行なわれるそのときに語っている。つまりこの作品は、それ自体がノートル=ダム・デ・ランド空港に反対する闘争に自身が長らく関わっていたからこそ可能になった両監督の、力強い声明となっている。監督たちは、木を伐り、チェーンソーを洗う、もしくは子供の誕生日パーティーの様子や壁の打ち壊しといった、シンプルな行動を撮りおさめることで、ユートピアの限界にもアプローチしおおせている。その映画文法は、ワンシーン・ワンショットの長回しの連続が、ユートピアのひとときを共有する可能性を観客に与えるという、真の手腕を示すものとなっている。そのような語りを3時間ものあいだ制御しつづけるというのは、容易にできることではない。それはつまり、撮影クルーがその場にいることが重荷ではなく友好的な身振りと感じられる、ということだ。それはつまり、カメラの位置取りひとつひとつの非常に強い選択によって行動が展開していく、ということだ。それはつまり、各ショットの長さは形式重視の姿勢の現れではなく、語りそのものの内なる必要性からきている、ということだ。この映画が、ある特異なターニングポイントを捉えることができているのもそのためだ。空港をめぐる闘争は終わったが、サント=ソリーヌの貯水池に対する新たな闘争が勃発するのである。映画の主題となるのはまさしくこれ、すなわち、ユートピアとは絶えざる闘争である、ということだ。ユートピアとは、行動する人生を生きる、その生き方のことなのだ。
<山形市長賞(最優秀賞)「ガザにてハサンと」>
監督が忘れてしまっていた3点のミニDVテープが、今日では、倒壊しつくされてその声や大量虐殺の存在すらも組織的に消されたガザの生きた思い出となる。
ここから始まり、映画は作者のリサーチに新たな章を紡ぐ。イスラエルの占領により破壊された人々や場所に焦点を当て続け、個人的経験を集合的なものにしてパレスチナの歴史的地理を取り戻してゆく。本作は闘争や抵抗を、しばしばあまり知られずに周縁に置かれた人びとの感情や生を記録したアーカイブとなっている。
これらの映像は今や、これまで以上に必要な物である。またそれは、当の映像の扱う主題がいかに抵抗力をそなえるものでもあり、その映像がいかに力強く、単一の支配的な声を打ち破る可能性を秘め、消されてしまった人生やストーリーが不意に思いがけず動き出すきっかけとなるかを示してもいる。時間や大文字の歴史のなかで存在するための空間と化した記憶として、これらの映像はある。
<でん六賞(優秀賞)「公園」>
「公園」の作り手たちは、映画制作の言語を拡げるような遊び心あふれるイマジネーションをもった作品をつくりあげている。ユーモアと共感の繊細なバランスを通して、この映画は、公共の場所を人々の繋がる開かれた遊び場として捉え直す。共有されたさまざまな話の温かみがひとつひとつのフレームに感じられ、そこでは人や木々やベンチが希望を語りあい、思いやりの仕草をやりとりする。蘇育賢(スー・ユーシェン)監督が我々に思い出させてくれるのは、映画というものは、物事を共有し、見つめ、聴くという、ごく単純な行為から始まる、ということだ。「公園」は集団的な記憶のもつ美しさを称揚する作品であり、また、何かを語り伝えることの精神が、他者に開かれるのであればつねにきわめて映画的なものでありつづけることをあらためて確認する作品である。
<フレックスインターナショナル賞(優秀賞)「愛しき人々」>
「愛しき人々」は、さまざまなレベルにおいてユニークな作品である。母親でいること、愛すること、そのなかであった裏切りの物語を巧みに紡いでいく本作で、監督は社会から常に除け者にされ忘れられているある集団の痛みや苦しみに対して目を向けるよう、観客の手をとって導いていくということをやってのけている。女性受刑者の経験を我々と違いのない人間のものとして描くことで、この映画は観客に、社会システムや自分の家族にたえず裏切られ収監されることになった女性たちへの理解や共感を可能にさせる。カメラが刑務所に入ることは許可されていないため、映画はスマートフォンで密かに撮られたものをもとにつくられているが、それは映像の質を損なうものにはなっていない。それどころか「愛しき人々」は技術的に非常に洗練されており、そのため観客は映画のナラティヴと同時並行で、美しくまとめられた一連の映像そのものを見つめるよう促される。
<審査員特別賞「亡き両親への手紙」>
作品タイトルはドラマチックに響くものの、この映画は思い出をそぞろ歩く甘い散歩であり、ひとつのロケーションを用いたコラージュである。映画のほぼすべてが家の中で、庭や雲や蝶や花や猫達を眺めつつ撮影されている。それは、不在や愛する者の消失との戦い方を教えてくれる。その自由連想のわざに身を任せるなら、追憶は甘美なものとなる。
作者は異なる素材を驚くべき連なりで見せてくれる。すなわち、作者の父親が働いていた工場の組合長の非常に長く率直なインタビュー、前作からの引用、2匹の猫のケンカ、他にもいろいろ......
それは夢なのか?
それは現実なのか?
ゆっくりと、言葉の背後から、雲の中に隠れていた父、母、叔母のルーシーといった人物たちが現れてくる。ドラマは無いが、思い出の甘美さとボイスオーバーのたくみさが長い旅路へと我々をいざなう。
散漫なようでありながら観客を置き去りにしていないところに、真のストーリーテリング手腕が発揮されている。
<スペシャル・メンション「彷徨う者たち」>
カリブ海のフランス海外県(元植民地)の離島が舞台の作品。無機的な廃墟から近代的新型廃墟へと移り変わっていく非人間的な街で、分断されたはみ出し者、典型であるようで特徴的でもある各個人たちの、孤独な魂の現在が静かに淡々と映し出されていく。それは自然から切り離され分断されてしまった現代人の象徴的な姿(メタファー)に見える。
ほとんど裸に近いホームレスがカメラを向ける作者に対して熱く隣人愛を説く姿や、長い年月の絶望に疲れもう吠えるのを諦めて呆然と川の横に腰を落とすラッパーの隣に、何も語らず全てを静かに不屈に見つめながら徘徊する詩人が佇み、会話もなくそこに確かに一緒に居る二人の姿に、微かな祈りの光を感じた。
アジア千波万波
<審査員総評>
今年のアジア千波万波は非常に力強い作品群が揃った。そのうちの多くは、移住や祖国、自分のルーツに再び繋がりたいという願い、といったテーマを扱っている。それは今日こうして私たちが生きている世界の現状を反映している。
<小川紳介賞「パラジャーノフ、ゆうべはどんな夢を見た?」>
監督の巧みなストーリーテリングを通して、ある家族の日常会話が、親しみの感じられるとてもポエティックな映画となった。魅力的な登場人物と繊細なユーモアが、この映画の複雑な主題に温かみと光をもたらしている。
今年の小川紳介賞に輝いたのは……「パラジャーノフ、ゆうべはどんな夢を見た?」
<山形新聞放送賞(奨励賞)「木々が揺れ、心騒ぐ」>
古くからの住民地が再開発される。住民は再開発後、戻ってこれる見込みはない。融資も降りない。すでに引っ越した老人がもはや自分の土地ではない庭から出てきて「カボチャがたくさんなってるよ」と話しかけてくる。「長く住んだ土地が良いね。」明るい未来なんかまったく無さそうな状況の中、作り手は、もうすぐ無くなるこの風景を撮る、もうここに集うことのない人達と話がしてみたいといと思う。状況を変えることのない映画撮影なのかもしれないが、それは優しいお別れの挨拶のようだ。
<東北電化工業賞(奨励賞)「炭鉱奇譚」>
新しいジャンルを目撃したかもしれない。ホラードキュメンタリー。実際にある炭鉱で働いていた人たちのインタビュー。大きな落盤事故により閉鎖された台湾─大きな炭鉱の未払問題。元炭鉱夫たちは写らない。声と風景。その地域に伝承的に伝わる怖い話。妖怪。落盤事故に巻き込まれ亡くなった炭鉱夫たちの魂は解放されるだろうか? 本当のホラーは炭鉱夫たちの労働環境ではなかったのか?
山形国際ドキュメンタリー映画祭2025(YIDFF2025)プロモーション映像
ベン・ラッセルの映画作品
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