本作の主人公は、真夜中の図書館で目を覚ました青年・瞬介。彼はなぜか外に出られぬまま、学生時代の演劇仲間だった行人や貴織と再会する。そして夜がいつまでも明けない中、3人はかつて上演できなかった芝居「ピアニストを待ちながら」の稽古を始める。井之脇が瞬介、
本作をひと足先に鑑賞した岡田は「劇場でない空間が演劇によってまざまざと異化されるさまが、そのような演劇の上演そのものに立ち会う以上にそれを捉えた映画、つまり、この『ピアニストを待ちながら』という映画を見ることによって、よりまざまざと味わうことができるように思われるのは、しかし、なぜなのだろう?」とつづる。映画評論家の
このたび、国際文学館の開館3周年と映画の公開を記念し、10月8日に村上春樹ライブラリーにてアメリカ文学研究者・翻訳家の
「ピアニストを待ちながら」は、10月12日よりシアター・イメージフォーラムほか全国で順次公開。
映画「ピアニストを待ちながら」予告編
「物語を待ちながら」映画の物語と文学の物語を巡って~「ピアニストを待ちながら」劇場公開記念トーク・柴田元幸×七里圭監督
2024年10月8日(火)東京都 早稲田大学国際文学館(村上春樹ラブラリー)
開場 18:30 / 開演 19:00 / 終演 20:30
<出演者>柴田元幸、七里圭
※定員50名、先着順
※入場無料
岡田利規(チェルフィッチュ主宰 / 演劇作家 / 小説家)コメント
図書館という空間が演劇によって異化されるのを、この映画を見る者は目の当たりする。そこで演劇のリハーサルが繰り広げられること。しかも真夜中に。それによってそこに結界が生じる。そこがまぎれもなく異界になる。劇場でない空間が演劇によってまざまざと異化されるさまが、そのような演劇の上演そのものに立ち会う以上にそれを捉えた映画、つまり、この「ピアニストを待ちながら」という映画を見ることによって、よりまざまざと味わうことができるように思われるのは、しかし、なぜなのだろう?
荻野洋一(映画評論家 / 番組等構成演出)コメント
死の舞踏のフィニッシュが永遠に先送りされる。七里は現代映画をバロック化させた。ノイズと風景の反復によって、かつてはここに誰かがいたはずなのにとブツブツ唱えながら「誰(た)が袖」を素描し続ける。「誰が袖」とはエンプティショットであり、七里映画にあっては、誰かが写っているショットも、本質的にはエンプティショットなのだ。エンプティショットがリフレインされ、延滞され、フットマークが貼り直される。
関田育子(ユニット[関田育子]代表 / 脚本家 / 演出家)コメント
「ピアニストを待ちながら」は、現今の社会を意識した実験的な作品であると同時に、遥か昔から問い続けられてきた存在」の問題に、ある視座をもって応答する作品だと感じた。しかし、観客の目に映るのはユーモアに溢れたシーンの数々であるために、肩の力を抜いて鑑賞するのが得策です。笑ける余白のある時間を過ごしたい方におすすめです!
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村上春樹の「図書館奇譚」から着想、井之脇海主演「ピアニストを待ちながら」予告解禁 https://t.co/o60ZaYiK1X