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本作は、1969年8月にチャールズ・マンソンの信奉者たちによって惨殺されたシャロン・テートの最後の日々を描いた作品。「戦場のピアニスト」「おとなのけんか」などで知られる映画監督ロマン・ポランスキーの妻であり、当時26歳だったテートは妊娠8カ月の身重だった。
テートを演じたのは歌手としても活動する
YouTubeでは予告編が公開中。ポランスキーとハリウッドに家を借り、輝かしい日々を送っていたテートの周りで、次々と不吉な出来事が起こるさまが収められている。
「ハリウッド1969 シャロン・テートの亡霊」は東京・ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国にて順次ロードショー。
ダニエル・ファランズ コメント
多くのジェネレーションX世代がそうであるように、シャロン・テートの物語は私の人生を通じてずっと頭から離れることはありませんでした。そして皮肉なことに、私はシャロン・テートの赤ちゃんが、母親の命があのように無残に奪われることがなければこの世に誕生したであろう日に生まれました。おそらくその不思議な事実も一因となって、私はこの物語に不思議な親近感を抱いていたんだと思います。数年前、テート / ラビアンカ事件のドキュメンタリーを観ていて、また怒りと恐怖が湧いてきました。しかしストーリーの1つの要素「もし……だったら?」が私の頭の中から離れなくなったのです。もしシャロンにあの夜奇跡が起こり惨劇を逃げ延びることができたとしたら? もし彼女が抵抗することができたとしたら? この考えは私の心の中で少しずつ大きくなり続けた頃、シャロンの殺害から約1年前の1968年8月に撮られたインタビューを見つけたのです。その記事の中で記者に「霊能力的な経験をしたことは?」と尋ねられている彼女の答えが奇妙だったのですが、おそらく間もなく彼女に降りかかる恐ろしい出来事を予知していたのかもしれません。彼女は、おそらく悪夢だったのだと思われるその出来事を、真夜中に不思議な音を聴いた、と述べていました。彼女の説明によると、目が覚めたら“怪しい小さな男”がドアのところに立っていたのだと説明していたのです。彼女はこの怪しい人影のあとをリビング・ルームまでそっと付いて行くと、そこには彼女自身と彼女の友人であるジェイ・セブリング(のちに彼女とともに殺害されることになる)が、屋根の垂木にロープで首をくくられている姿を目撃したと言うのです。シャロンによれば、ふたりとも“喉を切り裂かれていた”そうです。このあまり知られていないインタビューが私の作品の発端となりました。
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- 「ハリウッド1969 シャロン・テートの亡霊」予告編
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惨殺事件から50年、女優シャロン・テートの最後の日々描いた作品が公開(動画あり / コメントあり) - 映画ナタリー https://t.co/BsscfQv85C