「
「ユーリー・ノルシュテイン《外套》をつくる」は、「霧の中のハリネズミ」「話の話」などで知られるロシアのアニメーション作家
片渕とノルシュテイン作品の出会いは、まさに1981年だった。高畑勲が監督を務め、オープロダクションが制作した「セロ弾きのゴーシュ」の上映イベントにスタッフとして参加した片渕は、併映された「霧の中のハリネズミ」を観て感銘を受けたと述懐。「事件主義ではなく、小さなエピソードを動きのニュアンスでいかに魅力的に語るか。そういった表現自体がアニメーションの根本であり、それを高畑さんに植え付けたのもノルシュテインなんだと思います」と語る。
ラピュタ阿佐ヶ谷によって2000年に創設されたコンペティション、ユーリー・ノルシュテイン大賞では、審査委員長のノルシュテインが若手作家たちに毎回厳しい評価を下した。ともに審査員を務めたことがある片渕いわく、ノルシュテインは「日本の若手作家が作るアニメーションは画一化されている。自分の半径5m以内の小さな出来事しか描いていないからだ。人生経験がないから遠くのものに触れられないのは当たり前で、そのために文学があるんだよ」と話していたそう。土居は「来日するときはいつもチェーホフ全集やゴーゴリ全集がかばんに入っていたし、若者たちに『北斎展には行ったのか? 私はモスクワで毎日プーシキン美術館に行ってるぞ!』と怒っていました(笑)。一級の美術や文学との常なる対話を自分に課している人ですよね」と言及。一方でウォッカを飲んで歌や踊りに興じることも好むようで、片渕は「(ドキュメンタリーでは)ずっと半ズボンをはいてました(笑)」と“巨匠”の陽気な一面にも触れた。
また土居は、片渕が手がけた「この世界の片隅に」に対して「作品のリズムに厳格なハーモニーがあるところに“ノルシュテインイズム”を感じました」と指摘。片渕は「『この世界の片隅に』はワンカットが長い」とし、同作に新規カットを加えた「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」について「どんどんカットが長くなっていくんです。1つのしぐさを最後まで成し遂げたいと思ってしまうから。(当初は)30分ほど拡大しますと言ってたけど、本当かな……(笑)」と作品の尺と制作状況を危ぶむ。そして「ノルシュテインの『外套』は次元が違う。執着のエネルギーが破格だと思います」と30年以上にわたる制作期間に改めてうなった。
ゴーゴリの小説「外套」は帝政ロシア時代のサンクトペテルブルグを舞台に、真面目で貧しい下級役人アカーキー・アカーキエヴィッチを主人公とした物語。土居いわく、ノルシュテインは「人の人生にいかに価値を与えられるか。アカーキーを苦しめ、追い込んでいるのは私たちだという“恥”を観客に感じてほしい」という思いを込めてアニメーションを制作しているという。またドキュメンタリーを観て、片渕は「ノルシュテイン本人は待たれることに恐怖を感じているようだった」と語る。「『外套』には彼が執着する要素が確実にある。『こんな場面も考えているんだ』と次々明かす彼にどれだけのプランがあるのか、僕らは知ることができない」と本作が壮大なプロジェクトになっていることを想像し、「他人が見た夢の話ってたいていつまらないけど、ノルシュテインの話は面白そうだと思ってしまう」ともどかしさをあらわにした。
さらに片渕は「今までのアニメーションはストーリーを売りものにしすぎていた。けれど『外套』は原作自体がある意味教養なのでストーリーをみんな知っている。それをどういう表現に変えてくるか、というところがノルシュテインの『外套』の骨子なんです」と述べる。そしてドキュメンタリーについて「未完の作品の“のぞき窓”みたいなもの。皆さんに『悔しい! なんで完成品が観れないんだ!』と思ってもらえるのが本作の存在意義だと思います。小さな窓をのぞいてもらえたら」と呼びかけた。
「ユーリー・ノルシュテイン《外套》をつくる」は、明日3月23日より東京のシアター・イメージフォーラムほか全国で順次公開。
関連する特集・インタビュー
関連記事
ユーリー・ノルシュテインの映画作品
関連商品
リンク
- 「ユーリー・ノルシュテイン《外套》をつくる」公式サイト
- 「ユーリー・ノルシュテイン《外套》をつくる」予告編
※記事公開から5年以上経過しているため、セキュリティ考慮の上、リンクをオフにしています。
くーぽ @coo_po
【高畑勲ニュース】ノルシュテインの「外套」制作を片渕須直が語る「執着のエネルギーが破格」
https://t.co/lSeeegPnbn
#高畑勲CoolanimeJp