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寺山修司のドキュメンタリーが全国公開、劇団イヌカレーがコメント

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「あしたはどっちだ、寺山修司」(撮影:荒木経惟)

「あしたはどっちだ、寺山修司」(撮影:荒木経惟)

演劇、詩、映画とさまざまなジャンルで活躍した寺山修司に迫るドキュメンタリー「あしたはどっちだ、寺山修司」が12月2日より公開される。

クラウドファンディングにより公開が決定した本作は、寺山が手がけた市街劇「ノック」の映像や、J・A・シーザーら関係者へのインタビューなどによって構成。寺山が1983年に47歳で死去する前に計画していた、幻の市街劇の存在が明かされる。「案山子 KAKASHI」のプロデュースなどを手がけてきた相原英雄が監督を務めた。

相原は「いつか、寺山本人のドキュメントを作ろうと心に決めました。あれから30年以上がたち当時の関係者が次々と亡くなりはじめ、今がドキュメントを撮れるぎりぎりの時代だと考え、個人製作で着手しました。けっして固い歴史物や偉人伝ではありません。ミステリーを見るように謎解きを楽しんでください」とコメント。また「魔法少女まどか☆マギカ」で知られる劇団イヌカレーの泥犬は「まだ寺山作品を知らない若い方にも見て欲しい。東北の町に生まれたやや嘘つきな少年がやがて日本中を疑ってみせ人々を煙に巻き最終的に教科書に載る話です。面白くないわけがありません」と作品について語っている。

「あしたはどっちだ、寺山修司」は、東京のシアター・イメージフォーラムほか全国にて順次ロードショー。現在YouTubeにて予告編が公開されている。

相原英雄 コメント

1970年。学生運動が盛んな時代。入学した高校も紛争が起こり、ベトナム戦争への反戦デモで級友たちが逮捕されていきました。
そのころ、常にバイブルとして繰り返し読んでいた本がありました。
中学2年13歳の時に出会った「書を捨てよ、町へ出よう」。新宿の紀伊國屋書店に山積みされていた本。サイケな表紙、中学生が読んではいけないような怪しい本。
作者は寺山修司。
親を捨て家族を捨てろ。既成概念の破壊が書いてあり、寺山修司の自宅の住所までが書いてありました。いつか、訪ねようと心に決め、15歳になって、初めて会いにいったのです。わずか10分の出会いでしたが、刺激的な10分、こうやって作者に会いにいくというのは、15歳の私にとっては、生まれて初めての大きな決断でした。
「自由」というのは、自らの心の解放だと寺山修司は教えてくれました。

高校時代から寺山の実験映画や演劇の影響を受け自主製作映画に没頭し、大学を卒業後、テレビ映画制作会社に入社しディレクターになります。寺山修司に原作を依頼する番組の企画を出しますが、新人ディレクターの企画は採用されず、やがて寺山は47歳の若さで亡くなります。私が28歳の時です。
寺山と作る作品は実現できませんでしたが、いつか、寺山本人のドキュメントを作ろうと心に決めました。あれから30年以上がたち当時の関係者が次々と亡くなりはじめ、今がドキュメントを撮れるぎりぎりの時代だと考え、個人製作で着手しました。
けっして固い歴史物や偉人伝ではありません。
ミステリーを見るように謎解きを楽しんでください。
寺山世界を楽しんでいただきたいのです。
心に残るなにかを発見できると確信しています。
価値観を転倒させ、意識に革命を起こす寺山スピリッツは、今でも十分、魅力的です。
寺山の発する既成概念をぶち壊すエネルギーの原点があります。
語られることのなかった真実の寺山を見ていただきたいと思います。
ここちよい挑発を楽しんでください。

泥犬(劇団イヌカレー)コメント

まだ寺山作品を知らない若い方にも見て欲しい。東北の町に生まれたやや嘘つきな少年がやがて日本中を疑ってみせ人々を煙に巻き最終的に教科書に載る話です。面白くないわけがありません。映画内で語られるまだ教科書に載っていない頃の寺山修司が公演した伝説の市劇“ノック”そこでは観客が物語を求め市街を彷徨い役者ではなく観客もが物語を綴り、関係者もそうでない者も現実と虚構の間に迷い込みます。自分はそれらを観た折それがポケモンGOでレアキャラを求め街中を歩き回る人々、情報はバズりユーチューバーがはしゃぎ、フォロワーもインスタ映えする嘘松で炎上、といった近年の俗とされる諸々の事象との既視感を感じました。もちろんこれらには寺山作品のような革命的思想はほぼありませんし、寺山作品が人類の認識を変革する闘争に勝利し、我々がネクストステージに上がった訳でもないと思います。技術が進歩した結果戦うべき対象達が緩くほどけ、やたら広々と拓けた場所で個々人が快楽を追求し或いは自意識を満たそうとしていたらいつの間にか表層あたりがそれっぽくなったのやもしれません。ともかく、物心ついた頃より街路には虚構が溢れ昼間のビルの壁面に映画が映る時代です。疑うべき真実とは? 各々が身に纏う虚構が立脚する土台は何なのか? 自身を環境を思想を常識と嘘自体を疑うため寺山修司が夢見たものやその戦いに想いを馳せることは非常に有用であるように感じました。また、その個人史にふれることで神がつくった蜃気楼ともいえる作品群からその不安も興奮も以前より感情豊かに語りかけられてくるようになったようにも思えています。
と、以上の文章のような間抜けな教科書的推薦をせずとも面白い映画です。同級生達のコメントが最高。

樋口良澄 コメント

15歳で「書を捨てよ、町へ出よう」と出会い寺山をたずね、決定的に人生を変えられてしまった相原監督の映像は、人を動かさずにはおかないだろう。人生を変えられた撮る者、撮られる者の生々しい確信が、観る者をもまた変えようと迫るからだ。寺山の原点を青森、一つの到達点を市街劇とし、「舞踏会の手帖」のように青森高校の同級生や天井桟敷元劇団員をたずね、徹底的に取材、新証言も飛び出す。中でも圧巻は市街劇「ノック」のかわなかのぶひろによる映像と演出の幻一馬の証言の掘り起こしだろう。これまで全貌が見えなかった市街劇を外と内から問い直す視点からは、世界を演劇化する寺山の思想が凝集して露出する。今年は天井桟敷結成五十年だが、もと劇団員たちの眼はいまだマタヤル!というオーラを放っており、その時間を感じさせなかった。
寺山は、中学時代に書いた詩や俳句においてすでに虚構化のダイナミズムを模索していた。その原点に家族関係があったという監督の見立ては、たぶん正しい。虚構の問題は、文学から演劇・映画へ、そして現実の社会や歴史の構造にまで展開していった。映像はそのプロセスに迫るが、現在は寺山の時代ほど世界に余白は無くなり、現実と虚構は入り組んでいる。世界が劇場であると覚醒したあと、人はどのようにふるまうのだろうか。寺山の仕事もそこにかかっているはずであり、メディア機器に取り囲まれ容易に仮想世界と戯れている私たちは、いま、「スマホを捨てよ、町へ出よう」と寺山に挑発されているのかもしれないと映像を見ながら思っていた。

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