最初はそもそも短編だった
「幾多の北」は2012年4月から2014年12月まで山村監督が手がけた、文學界(文藝春秋)の表紙イラスト32点をベースに作られたアニメーション作品。イラストを執筆している際は「映画的な発想で作ろう」とは思っていたものの、「全体の中の一部のシーンを描いているような感覚ではあるが、順番をしっかり決めていたわけではない」と振り返り、映像にするにあたっては「すごく難しかった。シナリオは何稿もやり直しました。最初はそもそも短編だったんですが、途中でとてもじゃないけど短編に収まらないことに気付き、最終的な長さは作りながら考えていきました」と明かした。
国内外で評価されている同作だが、ALIMO氏が作品評などに触れ「どうやら観た人にとって捉えどころがない作品なんだと感じました。自身でそういう感覚はありますか?」と尋ねる。山村監督は「作者としては、どの画を描いたときも核心的なものがあるんです。その表示の仕方がたぶん断片的すぎて、宙ぶらりんになってしまうのかな?っていうふうに思います」と回答。また「作っていた時期に影響を与えられたものの1つに、スウィフトの『ガリヴァー旅行記』があります。当時航海日誌の出版が人気だったから、スフィフトは嘘の航海日誌を作ろうとしたんです。そういうフェイクドキュメンタリー的なものに惹かれるところがある」とも語った。
目を開いているときに見る光景ではないものを
またALIMO氏は、作中に登場するいくつかの印象的なモチーフについても尋ねていく。ベースになった32点のイラストには、“Animated Image”として付随するテキストが用意され、文學界にも掲載されていた。このテキストに繰り返し登場する「根」という語と、一方でイラストで描かれる浮遊感のあるイメージの相反性について聞かれると山村監督は「これは直接的に、東日本大震災の不安の余韻が僕の中にも続いていたときに描き始めたからです。“根を張る”と言うと安定した印象がありますが、日本という不安定な土地で根を張って生きていくことは、安心と言えるものではない」と解説した。
また同様に「夢の産物」という言葉について聞かれると、「“夢”に関しては『幾多の北』の制作前後、意識的に考えていました」と山村監督。「我々は起きているときの休息や記憶の整理として夢や睡眠を捉えているけど、生物の発達史で考えると、後から目のような機能を手に入れて、睡眠が必要になった。後から獲得した視界で見ている世界をリアルだと思っているけど、果たしてそうなのか、というのが自分の中にあるんです。夢の世界のほうがリアリティがあって、それの残骸が現実だと考えることもできる」と「夢の産物」という言葉が持つニュアンスを語った。そして「そうしたものの提示の1つとしてアニメーション作品がある。目を開いているときに見る光景ではないものを『幾多の北』でも感じてもらえればいいなと思います」とも伝えた。なお、「幾多の北」を含む山村作品を一挙に上映する「山村浩二大全 アはアニメーションのア」が、東京・テアトル新宿で12月18日まで開催中だ。
「第1回 あいち・なごやインターナショナル・アニメーション・フィルム・フェスティバル」は12月17日まで愛知県名古屋市内で開催中。細田監督作の特集上映や、各国のクリエイターによるトークセッションやカンファレンス、国内外の作品が参加する長編コンペティションが展開されている。
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「これは直接的に、東日本大震災の不安の余韻が僕の中にも続いていたときに描き始めたからです。“根を張る”と言うと安定した印象がありますが、日本という不安定な土地で根を張って生きていくことは、安心と言えるものではない」
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