稽古場で化けた勘太郎
──初演の稽古の様子も教えてください。
野田 1日目が衝撃でした。開始1分で勘三郎が(息子の中村)七之助の演技にダメ出しをし始めて唖然としちゃってね。「すみません。今回は僕が演出家ですから、今後こういうことはないように」という注意から始まった。でもそれと同じことを今、当代の勘九郎が(息子の中村)勘太郎くんに……。
勘九郎 やってません!(笑) 純粋なアドバイスです!
野田 これは僕の勘違いだったんだけど、勘太郎くんは16歳ぐらいだと思っていたんだよね。そうしたらまだ14歳って言うじゃない。
──セリフも動きも多く、大役ですね。
野田 そう。でも本読み初日は小さかった声が今はシャキッと出ているし、見違えるよう。日々、役者がみるみる“化ける”という姿を目の当たりにしています。
勘九郎 稽古初日はものすごく緊張していたらしいですよ。
野田 そうなんだね。でもさ、大人のように汚れた芝居をしないから、それも才次郎にピッタリですごくいいよ。まだ子供のような男の子が仇討ちに駆り立てられる姿が、戦場における少年兵にも見えてくる。今上演する新しい意味も見えてきて、勘違いもたまには役に立ちます(笑)。
勘三郎の色がしっかり染み付いた作品
──今回は主演の辰次を勘九郎さん、勘九郎さんが勤めていた才次郎を勘太郎さん、そして松本幸四郎さんが演じていた平井九市郎を市川染五郎さんが演じます。この代替わりも見どころですね。勘九郎さんは当時のお稽古場に、どんなご記憶がありますか?
勘九郎 誰かがセリフをしゃべっている間は「動いちゃいけない」といった身体に染み付いた“マナー”を、野田さんがどんどんほどいてくれました。最初は全員が「これ大丈夫かな?」と恐る恐るでしたが、エネルギーが爆発したのは最後の群衆シーン。タガが外れるっていうのはこのことだと(笑)。
野田 歌舞伎俳優はさ、タガが外れると半端ないんだよね。声がデカい!
勘九郎 アハハハ!
野田 今回は「ちょっと皆さん、やりすぎじゃないですか?」「うるさすぎないですか?」という注意が圧倒的に多いです。
勘九郎 やらないより、やりすぎを注意されるほうがいいですよね(笑)。
──当時の稽古場では、坂東三津五郎さんが家老を演じ始めた途端に稽古場の空気が一気に変わったとか。
野田 (勘九郎を見ながら)ほら、“鏡事件”……。
一同 (笑)。
──“鏡事件”ですか?
野田 その日はなぜか三津五郎さんが、稽古場の片隅にある鏡の前で足を上げ下げしながら、ずっと真剣に何かしてたんですよね。それでいざ家老がからくりを踏むか / 踏まないかという場面で、振り切った演技をし始めた。それがまた、常に真顔だからおかしくてね(笑)。
勘九郎 朝から鏡を見ながら、念入りに演技プランを組み立てていたわけですよね。うちの父がコミカルな演技をするのは想定済みでしたが、まさかあの三津五郎のおじさまが、家老姿でステップを踏んでスキップをするなんて。実はとてもファニーな方でしたが、舞台では折目正しい正統派でしたから、あの振り切った姿に全員が勇気をもらったと思います。
野田 「坂東流の家元が、ここまで!?」ってね。三津五郎さんも勘三郎も僕もみんな同じ学年。「俺たちが死んだ後にもし古典として残ったら、自分たちの演技が型になっちゃったりして~」なんてゲラゲラ冗談を言って笑ったことも思い出します。今回、全員に「シェー!」とやらせる場面があるんですが、これは勘三郎の独特の言い回しのオマージュ。あれをやっぱり、一つの型として残したいと思って(笑)。
──勘三郎さんがのけぞりながら言う「シェー!」が(笑)。終盤、辰次のモノローグ、謳うように語る中マスカーニの「カヴァレリア・ルスティカーナ」が流れ、紅葉の葉が散るシーンは名場面。あの“演技派”の紅葉も必見ですね。
野田 あれもどうすれば仕掛けがうまくいくか、稽古場で何度も実験検証しました。当時、紅葉を見事に動かしてくれた(中村)仲太郎さんも今は亡くなりましたから、今回はまた新しい方が担当してくれます。
──竹本(義太夫)が熱演しながらどんどん床から離れて語り始めちゃう場面、竹本清太夫さんが顔を真っ赤にして大音声で語られていた姿も懐かしいです。
勘九郎 清太夫さん、最高でしたね。
野田 勘三郎がうれしそうに「見ているだけで面白い竹本がいるんだよ!」と言うから、「それじゃあ下ろしちゃおう!」なんて言ってできた場面ですね。
勘九郎 今回は竹本谷太夫さんにご出演いただけることに。お稽古に合流されるのはこれからですが、僕自身、谷太夫さんの語りもとっても楽しみです。
──役者陣だけではなく演奏家も裏方のスタッフも、新たな世代を迎えて伝説的な作品を立ち上げる。久々の上演ですから、お客様も新世代でしょう。本当にこうして古典になっていくかもしれない……と、グッとくる公演になりそうです。
勘九郎 「生きてえ、生きてえ 散りたくねえ、と思って散った紅葉の方がどれだけ多くござんしょ」なんてセリフ、まさに父自身のことを語っているよう。特別な思いが込み上げそうです。とはいえ新しくなった歌舞伎座で初めて上演されるわけですし、初めてご覧になるお客様にはぜひ、まっさらな気持ちで見ていただければうれしいです。
野田 やっぱり作品のあちらこちらに勘三郎の色がしっかり染み付いた作品だし、息子である勘九郎の声や姿に、勘三郎が重なる場面もあってハッとします。でもそこを追いすぎないようにもしていて、ここ数日の稽古で、彼の身体からどんどん新しい音が出始めた実感もある。僕自身手応えも感じていますね。すごくいいです。どうぞご期待ください。
「野田版 研辰の討たれ」は、2001年「八月納涼歌舞伎」で初演され、2005年には十八世中村勘三郎襲名披露狂言として再演。その後シネマ歌舞伎としても上映されているが、劇場に掛かるのは実に20年ぶり! 7月中旬にマスコミを入れての通し稽古が行われ、現代でも十分アクチュアルで画期的、奥深いテーマ性を含んだ喜劇であることを印象付けた。
勘九郎の辰次は、出ずっぱり、喋りっぱなし、動きっぱなし。途中で浴衣を着替える大奮闘で、大変な役どころだと再確認。お調子者でコミカルな男を軽やかに表現し、舞台を所狭しと駆け抜け、“あの手この手で、どうにか生き抜こうとする男”をエネルギッシュに演じる。隙あらば「オモシロ」を入れ込んで記者席を笑わせてくれたのが家老・平井市郎右衛門役の幸四郎。仇討ちを成し遂げようと辰次を追いかける平井九市郎役の染五郎は凛々しく、その弟である平井才次郎を演じる勘太郎は、まっすぐな少年をピシっと表現。そして何かと「あっぱれ!」と言い放つ粟津の奥方萩の江を演じる七之助は、もうひと役、宿屋で出会う姉娘およしとの2役。妹おみねを演じる坂東新悟との戦いの模様は、ぜひ劇場でご確認を。
舞台上で全員が躍動し、一人ひとりが生きている……その活気も圧倒的。反面そこに浮かび上がるのは無責任な群衆の怖さや、人間の本能だ。SNSの炎上で人を死に追いやるニュースも取り上げられる昨今、現代にも通じるテーマを内包した鋭さにドキリとさせられた。本番では斬新で美しい衣裳や舞台美術や照明が加わり、野田ワールドが歌舞伎座を覆いつくすはずだ。
プロフィール
野田秀樹(ノダヒデキ)
1955年、長崎県生まれ。劇作家・演出家・役者。東京芸術劇場芸術監督、多摩美術大学名誉教授。東京大学在学中に「劇団 夢の遊眠社」を結成し、人気を博す。1983年に「野獣降臨(ノケモノキタリテ)」で岸田國士戯曲賞を受賞。1992年、劇団解散後にロンドンへ留学。帰国後の1993年にNODA・MAPを設立する。2009年に東京芸術劇場芸術監督に就任。主な受賞歴に1999年鶴屋南北戯曲賞、2000年紀伊國屋演劇賞個人賞・芸術選奨文部大臣賞、2009年名誉大英勲章OBE受勲・朝日賞、2011年紫綬褒章受章、2019年「『Q』:A Night At The Kabuki」にて読売演劇大賞最優秀作品賞など受賞歴多数。
中村勘九郎(ナカムラカンクロウ)
1981年、東京都生まれ。1986年に歌舞伎座「盛綱陣屋」の小三郎で波野雅行の名で初お目見得。1987年に歌舞伎座「門出二人桃太郎」の兄の桃太郎で二代目中村勘太郎を名乗り初舞台。2012年に新橋演舞場「春興鏡獅子」の小姓弥生後に獅子の精ほかで六代目中村勘九郎を襲名した。2009年に読売演劇大賞 杉村春子賞、2012年松尾芸能賞 新人賞、2013年読売演劇大賞 最優秀男優賞など受賞歴多数。
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