目まぐるしく変化していく日々、ふと非日常的な時間や空間に浸りたくなったら、“ゆるりと歌舞伎座で会いましょう”。5月の歌舞伎座は、八代目尾上菊五郎、六代目尾上菊之助の襲名で大賑わい。そこで今月はいつもと趣向を変え、「襲名興行で会いましょう」をテーマに、菊五郎という名跡の歴史とスペシャルが詰まった特別公演の楽しみ方を紹介する。
取材・文 / 川添史子撮影 / 平岩享
どんな人が襲名するの?
5月の歌舞伎座でいよいよ、尾上菊之助が八代目菊五郎を、尾上丑之助が六代目菊之助を襲名する公演がスタート。襲名興行は歌舞伎ファンにとって「この時だけのスペシャル」に満ち満ちた、楽しい趣向が満載の一大イベント! そうない特別な公演だもの、まだ歌舞伎を観たことがない人にも、この華やかさと高揚感を目いっぱい楽しんでいただきたい……ということで、今月は「襲名興行で会いましょう」をテーマに、さまざまな角度からご紹介していこう。
まずはプロローグ。この舞台の主役である八代目菊五郎と六代目菊之助の魅力を押さえておこう。
ノーブルな美貌と確かな芸で人気を誇ってきた新菊五郎は、若手時代から艶やかで品のある女方や二枚目の役柄に定評があり、近年は時代物や世話物の立役へと役どころを広げている実力派。古典の技術が身体にしっかりと入った演技からは、常に深く勉強&研究し続けていることが舞台姿からひしひしと伝わってくる。そして蜷川幸雄演出「NINAGAWA 十二夜」(2007年)、宮城聰演出「極付印度伝 マハーバーラタ戦記」(2017年初演、2023年再演)、マンガ「風の谷のナウシカ」(2019年初演、2022年再演)やゲーム「ファイナルファンタジーX」(2023年)の歌舞伎化などなど、時代の動きをキャッチした新作でも驚きの企画力を発揮してきた。
そんな八代目の長男、新菊之助はまだ11歳。丑之助時代から舞台出演を重ね、観るたびに着実な成長を見せている。祖父は七代目菊五郎と二代目中村吉右衛門と、いずれも偉大な血を受け継ぐプレッシャーも大きな可能性に変えていく力が備わり、小さな身体にピカピカの未来が詰まっている。
「襲名興行だけ」の趣向を楽しもう
お次に、襲名興行ならではの楽しみをお伝えしよう。特別なひと月を彩る襲名演目は、いずれもとってもスペシャルだ。昼の部「京鹿子娘道成寺」では、二人の白拍子花子を新菊五郎と新菊之助が勤めている。ここに人間国宝である坂東玉三郎も加わり、“三人花子”によるゴージャスな舞踊が実現。満開の桜の下に繰り広げられる、娘の初々しい恋心……次々と着替えていく美しい衣裳、めくるめく変化していく振り、女方屈指の大曲を、豪華絢爛な舞台で堪能してほしい。
夜の部は「弁天娘女男白浪」の弁天小僧菊之助を、「浜松屋」「極楽寺屋根」では新菊五郎、「稲瀬川勢揃い」では新菊之助が勤める。「浜松屋」「極楽寺屋根」では市川團十郎をはじめとする豪華配役にもご注目を。「稲瀬川勢揃い」では新菊之助と同世代による、小さな白浪五人男が並ぶのも楽しみ(赤星十三郎役の中村梅枝は9歳、日本駄右衛門役の市川新之助、忠信利平役の坂東亀三郎、南郷力丸役の尾上眞秀は12歳)。襲名演目以外もおめでたい公演を盛り上げる狂言が並んでいるので、朝から晩まで「ずっと楽しい」が続くことウケアイだ。
舞台上に裃姿の俳優がずらっと並ぶ「口上」(夜の部)も、襲名興行ならではの風景。1人ひとりが順番に述べていくお祝い口上は、劇場全体がお祝いムードに包まれる時間だ。
休憩中も気が抜けない。襲名を寿ぐ特別な引幕「祝幕」が使用されるのにもご注目を。5月は日本画家の田渕俊夫が、6月は大河原典子がそれぞれ手がける「祝幕」は撮影も可能なので、観劇の記念にパチっと携帯におさめておこう。
ちなみに、4月29日に歌舞伎座で開催された「襲名披露興行 古式顔寄せ手打式」では壇上に歌舞伎俳優95人と舞台関係者10人、計105人が舞台に並び、新菊五郎が「重き名跡を相続した上からは、なお一層芸道精進に励み、先祖の名に恥じぬよう努力してまいる覚悟にござります」とあいさつ。特別プログラムとして映像「菊思扇面影(きくがさねはなのおもかげ)菊五郎の代々」「襲名記念お練り」の上映、舞台上での「古式顔寄せ手打式」に加え、新菊五郎、新菊之助による「七福神」を披露。この「七福神」は3月31日に神田明神で行われた「襲名記念お練り」の際に奉納舞踊として演じられた演目でもある。親子がピシッと緊張感を持って踊る姿が好評を博し、急遽、御祝儀舞踊として上演することになったとか。指先、足先まで神経が行き届いた踊りは、見物人の心も洗われるようだった。こうして二人は心を合わせながら、徐々に新しい名前となる準備をしていったのだ。
代々の菊五郎を知ると、観劇も特別に
3月31日、纏や木遣りやお囃子、芸者衆らも含めた約250人もの豪華な隊列が参道から隨神門へと歩いた「襲名記念お練り」は、威勢のいい神田っ子たちがお神輿を担ぎ大盛り上がり。この「お練り」で特別出演して観衆を驚かせたZeebraが、軽快なラップで歴代の菊五郎を紹介していたのをご存じだろうか。代々の菊五郎の連なりを知ると、観劇も特別なものに。ここでは初代から1人ずつ、簡単に紹介しておこう。
初代菊五郎は京都生まれ。13歳で舞台に立ち、美貌の女方だったと伝わる。二代目團十郎のすすめもあって二十代で江戸に渡り、三十代で立役に転向した。ちなみに初代の父は都座という芝居小屋で働いていて、生まれたのが東山の清水寺にほど近い地だったことから境内の「音羽の滝」にちなみ、自らを音羽屋半平と名乗っていたとか。これが屋号「音羽屋」の由来。
二代目は初代の子で、少年時代に父と死別。大坂で角の芝居の座元となる。18歳のときに巡業先で発病し、帰りの船で亡くなった薄幸の役者だった。
三代目は江戸小伝馬町の建具屋の息子で、初代の高弟・初代尾上松助の養子。「兼ねる菊五郎」と呼ばれ芸域の広い立役で、鶴屋南北の脚本で怪談狂言に画期的な分野を開いた名優として有名。自分で鏡を見ながら「どうしてこんなにいい男なんだろう」とつぶやいた……という逸話も残る美男。
四代目は大坂生まれ、三代目の長女の婿。一座の女方として成長し養父の相手役を長年勤めた。晩年は四代目市川小団次との共演も多かったとか。死んだ日に妻も急死したという、不思議なエピソードも残る。
五代目は三代目の次女と十二代目市川羽左衛門の間に生まれた。7歳で市村座の座元となり、明治元年に弟に座元を譲って五代目を襲名。以後、九代目團十郎、初代市川左團次とともに、黄金時代を築き明治の劇壇を牽引する存在に。これがいわゆる「團菊左時代」だ。文明開化に合わせて当時の風俗に写生した「ざんぎり物」を創造し、團十郎が力を入れた史劇「活歴」と対立しながら新たな歌舞伎を作っていった。すっきりした江戸前の役づくりでも知られる。
六代目は五代目の実子。父の死んだ翌月、九代目團十郎にすすめられて18歳で襲名し、大正・昭和に活躍した歌舞伎役者。初代中村吉右衛門とともに、いわゆる「菊吉時代」の全盛期を築いた。歌舞伎界で「六代目」と言うと、通常はこの六代目菊五郎のことを指す。三代目・五代目以上に芸域が広く、「助六」では助六も白酒売も揚巻も門兵衛も演じた。当たり役も限りない。日本俳優学校を作り、五期生まで養成した。
六代目の養子だった七代目尾上梅幸の長男、七代目菊五郎はご存じ新菊五郎の父。二十代から人気を博し、現在まで「菊五郎劇団」を引っ張っている。八代目が誕生した以降も改名せず「七代目菊五郎」として名跡を全うすると記者会見で発表したときにはどよめきが。菊五郎2人体制は史上初となる(七代目は楽屋で「七ッちゃん、八ッちゃんと呼んでくれ」と話しているそう)。
新菊五郎は記者会見で「すべての菊五郎への尊敬を持ち、代々が成してきたことをすべて受け入れ、八代目を襲名させていただきたい」とそのリスペクトを語り、初代と二代目の京都の墓、そして大阪の墓の一部を再建したと語っていた。
あなたの街にも襲名興行?
「5月はちょっと行けないわ」という忙しいあなたに朗報。6月の歌舞伎座も襲名興行は続く。昼の部「菅原伝授手習鑑」で新菊之助が「車引」梅王丸、新菊五郎が「寺子屋」松王丸を、夜の部「連獅子」では二人が親子の獅子の精をそれぞれ勤める予定だ。
「東京はちょっと行けないわ」という地元密着型のあなたには、大阪松竹座「七月大歌舞伎」、10月名古屋御園座「吉例顔見世」、12月京都南座「吉例顔見世興行」、来年6月博多座「六月博多座大歌舞伎」はいかが? 襲名興行はまだまだ続くので、ぜひともどこかで目撃してほしい。