山崎努が大学生に講義 黒澤明作品のオーディション、“ゆがみ”を探す役作りを語る

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早稲田大学の授業「『映画創作学概論』公開講義 俳優・山崎努との対話~俳優・演技・映画」が、本日6月2日に東京・早稲田大学 大隈記念講堂 小講堂で行われ、山崎努が登壇した。

「『映画創作学概論』公開講義 俳優・山崎努との対話~俳優・演技・映画」の様子

「『映画創作学概論』公開講義 俳優・山崎努との対話~俳優・演技・映画」の様子

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「映画創作学概論」は映画の企画、演技、興行など14分野の基礎を学ぶ講義。今回は映画監督・犬童一心が司会として参加し、受講生らが山崎に次々と質問を投げていった。まず講義に先立ち、黒澤明の監督作「天国と地獄(1963年)」を上映。同作は製靴会社の重役・権藤の息子と、運転手の息子が取り違いで誘拐されたことから展開するサスペンスだ。山崎が誘拐犯・竹内を演じている。

自身を受け入れてくれた黒澤明の目

山崎努

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最初にマイクを握った学生は「『天国と地獄』の竹内は誘拐犯かつ殺人犯ですが、目が離せないというか、かっこいいようにも感じました。魅力的な役作りのためにやっていることは?」と問う。山崎は「『天国と地獄』の場合、台本をもらって読んだときから、自分と役が重なる部分が多かった。当時の僕は不安神経症というか、自意識過剰というか、人の目を正視することができなかった。話している途中に顔が赤くなって、慌ててトイレに行くフリをして逃げたりもした」と明かし、「オーディションを受けたときは、三船(敏郎)さんとの対決シーンを演じました。黒澤さんが黒メガネを外して相手役になってくれたんです。普段でさえ人の目を見れないのに、あのシーンは見つめ合う場面で苦痛だったけど、黒澤さんの目がね。『大丈夫、不安だったら不安でいいし、今のままでいい』と受け入れてくれた。それで僕はずっと彼の目を見続けることができたんです。それだけでうれしく、帰りは飛んで跳ねて帰った記憶があります」と回想。「竹内は自分と重なっていたので工夫することはなかった。まだ25歳だったし、役作りといったところまでやるような段階ではなかったんです」と答えた。

ゆがみを発見し、最後は愛して慈しむ

山崎努(右)と質問者の学生(左)

山崎努(右)と質問者の学生(左)[拡大]

「普段の役作りでは、まずキャラクターのゆがんでいるところや欠点を探していくんです。臆病だったり傲慢だったり、威張っていたり優しすぎたり。正常な人間なんているわけはないので、そのゆがみを発見するまで台本を読んで時間を掛ける。そこが見つかればどんどんイメージできるようになっていくし、役作りはほとんどそこで終わっているような気がするんです」と述懐。「竹内になんとなく好感が持てる、かっこいいと思えるのは、黒澤さんの中にもそういう意識があったからだったからだと思う。いくら悪いことをした人物だとしても、その人に対する慈愛や美しいコンパッションが根底のどこかにあると思うんだ。悪いところをほじくり返すだけではなく、最後は愛して慈しむ。俳優志望の方もこの教室にいるんでしょ? 役作りにはそういうものが必要だと思いますよ」と語りかけた。

また劇中で竹内がカーネーションの花を買うシーンを挙げて「花屋に入って、まるで人を食ったような行動ですよね。そしてその情報を知った警察側の1人が『母の日かな? 今日は』と言う。クライマックスで、竹内は『幸いお袋も去年死んで、メソメソした幕切れにならなくてよかった』といったことを話します。この間ふと、このシーンはカーネーションとリンクしているんじゃないかと思ったんです。これまで気付けなかった。黒澤さんがどこかで結び付けているんじゃないかなと思います」と解釈を語り、ドストエフスキーの「罪と罰」にも実はつながっている部分があるのではと意見を述べる。

役を選べる機会があっても自分では決めない

山崎努

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続いて「山崎さんの『自身で役を選んだことがない』という記述を見ました」と学生から伝えられると、山崎は「みんな、望んで自分自身に生まれてきたわけじゃない。僕もそうだし、物心ついてから『自分は山崎の努なんだ』と自覚する。役もそれと一緒で、突然(自分の身に)降ってくるんですね。生まれたときと同じで選べない」「役を選べる機会があっても絶対に自分では決めなかったし、演出家やプロデューサーに決めてもらったり。そこは自分でも面白い部分だなと思っているんです」と笑う。

マーロン・ブランドに衝撃「なんじゃこりゃ」

「俳優になるきっかけ、長年続けてこられたモチベーションは?」という質問も飛ぶ。山崎は家が貧しく、上野高校の夜間部に入ったことを説明し「中学を卒業して、このまま町工場の工員などになって社会に出ていくのになんだか抵抗がありました。だから僕の高校時代は社会に出るまでの執行猶予だったんです。だから向学心なんかなくて、授業も退屈でサボって、上野公園をブラブラしていました」と回想。そして上野広小路付近の映画館での出会いを語る。「映画はいつも半分居眠りしながら観ていたんですが、マーロン・ブランドがいきなり出てきて『なんじゃこりゃ』と。その映画はドロップアウトした青年の話だったんですが、ショックでした。自分のような心境のやつがいるんだという共感とカタルシスがあった。それで彼の作品は全部観た」と言い、最終的には俳優志望だった同級生に付いていく形で俳優座の養成所を受験して、自分だけが受かったことを述べる。「なんとなく付いてきた僕がこうなって、60年70年やるのは皮肉ですね」と付け足した。

また山崎は共演者、監督といった周囲の人々からの影響にも触れ「自分だけで作った役作りは結局捨ててしまうんです。現場には監督や相手役がいて、空気も違う。ロケ撮影ではどこに連れて行かれるのかもわかりません。俳優は初めての風景の中に放り込まれて、自分の家でやって来た準備なんかは飛んでしまう。そのときに湧いてきた感覚を一番大事にしています」とコメント。山崎と一緒に仕事をした経験がある犬童は「山崎さんの脚本にはメモがすごくたくさんしてあるんです。毎晩僕のところに電話もして、朝現場に来るたびに『この役はこういう人なんじゃないか』と話してくる。そういう(深い)役作りをしたうえで、というお話です。よくここまでメモを書けるなというほどで……」とその熱心さを生徒に伝える。

なぞる、繰り返すをやっていくと芝居が死んでしまう

学生から「うまく演じようと思わないほうがいいのでしょうか?」と率直に聞かれると、山崎は「うまくやろうとしたら絶対にダメ。前の日の稽古や本番でうまくいったことをなぞろうとするのもダメ。(芝居が)死んでしまいます。リセットして、白紙にして演技しないとダメです」と断言。舞台「リア王」で台本を読み合わせたときのエピソードを例に出し、役が付いていない若手俳優が突然大きな役のセリフを読むよう指名され、とつとつと口にしたセリフが非常に心に入ってきたと話す。「なぞる、繰り返すをやっていくと死んでしまう。朝起きて、昨日までの自分はなかったかのようにしたい」「綱渡りのようなスリルがないと」とアドバイスを贈る。

また犬童に「山崎さんは『思った通りにならなかったほうがいい』『考えていなかったことになるのがいい』とおっしゃいますよね」と振られると、山崎は“脱線”について話を広げ「『早春スケッチブック』の3話か4話で、鶴見(辰吾演じる和彦)さん相手に僕が泣くシーンがあるでしょう。長ゼリフで説教をしていたら、止まらなくなっちゃった。『脱線してしまった』と思った自分もいたんですが、しばらくそのままでいよう、もう少し経ってから(もとの筋に)戻ろうと。それが面白い」と口にする。犬童は「すごく長いシーンなんですよ。鼻水がダラダラと出て、でも一度も拭わないのがすごかった」「テレビの前で観たときに、すごい場面をやっているなと思ったんです。あんなシーンを観たことがなかったんですよ」と当時の驚きを伝えた。

自分で答えを作らなくちゃいけない

山崎努(右)と質問者の学生(左)

山崎努(右)と質問者の学生(左)[拡大]

若い人々に対しては「お手本はないので、自分がお手本を作るんだという気持ち。答えは自分の中にあるし、自分で答えを作らなくちゃいけない」と助言し、「若い俳優にはすごく感心しています。僕らの若い頃よりもレベルが上がっているし、演出家に対する姿勢が全然違って対等なんです。それがとても大事で、教わらずに自分でやるということ。進歩したと思います」と称賛と期待を込めて言葉を紡いだ。

「『映画創作学概論』公開講義 俳優・山崎努との対話~俳優・演技・映画」の様子

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※山崎努の崎は立つ崎(たつさき)が正式表記

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山﨑努 @yamazaki_do

【早稲田大学での講義】 https://t.co/1fq4L1dOjM

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