「なぜ日本映画は政治を語らないのか?」と題したシンポジウムが、1月23日に東京・LOFT9 Shibuyaで行われる。
このシンポジウムは、映画人有志で結成された「自由と生命を守る映画監督の会」と日本学術会議問題を考える「学問と表現の自由を守る会」が共催するもの。パネリストとして「新聞記者」のプロデューサー・河村光庸や「新世界の夜明け」の
当日は、香港のスーパースターであるデニス・ホーが民主活動家へと変貌していくさまを切り取ったドキュメンタリー「
映画監督と「映画と時代」を語るシンポジウム第8弾「なぜ日本映画は政治を語らないのか?」
2022年1月23日(日)東京都 LOFT9 Shibuya
料金:2000円+ドリンク代 600円(シンポジウムのみ無料配信あり)
<スケジュール>
12:00~「デニス・ホー ビカミング・ザ・ソング」上映
13:40~ シンポジウム
<パネリスト>
河村光庸 / 宮崎信恵 / 小林三四郎 / 戸田ひかる / リム・カーワイ / 日向有史 / 金子修介
<司会>
井上淳一
「自由と生命を守る映画監督の会」ステイトメント
なぜ日本映画は政治を語らないのか?
もちろん、政治を語ってきた映画はあるし、個人を描いていてもその周りに社会が見える映画はあった。でも、それって、数えられる程しかないのではないか。戦争映画だって、自国の加害行為や天皇の戦争責任まで描いたものは何本あったろうか。お隣の韓国を見ればいい。自国の黒歴史や格差問題を堂々とエンターテイメントにして、大ヒットさせている。台湾だって、フィリピンだって、ドイツだって、みんなやっている。その最たるものはハリウッドだ。なのに、この国は。投票率が低いのは当たり前だ。映画のみならず、ほとんどの表現が政治を語っていない。半径1メートルの世界しか描いていない。
2016年、フジロック内のトークコーナー「アトミック・カフェ」に、津田大介氏とともにSEALDsの奥田愛基氏が出演することが決定した際、「音楽に政治を持ち込むな」という批判が殺到したことは記憶に新しい。漫才で政治ネタを語るウーマンラッシュアワーの村本大輔に対して、「お笑いはお笑いだけやっていろ」という批判は未だ根強い。そうやって政治を語ることを潰そうとしてきた歴史がこの国には確かにある。でも、転ばぬ先の杖で、そういう批判を恐れ、映画は政治や社会を描くことを過剰に避けてきたのではないだろうか。それって、もしかして忖度や自主規制という名の「表現の自由の無自覚な放棄」なんじゃないだろうか。
2019年の「あいちトリエンナーレ」の「表現の不自由展」の問題を、しんゆり映画祭の「主戦場」の上映中止問題を、思い返してみればいい。普通にそこにあると思っていた「表現の自由」は、我々が政治を語ってこなかった内に、足下から崩れようとしている。何をやろうと自民党が勝ち続けるこの国で、今こそ、その問題を考えたい。そこからしか、「表現の自由」を守るすべはないのだから。
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映画ナタリー @eiga_natalie
なぜ日本映画は政治を語らないのか?河村光庸、リム・カーワイら登壇のシンポジウム
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