ホラーを語るリレー連載「今宵も悪夢を」 第34夜 [バックナンバー]
選者 / 野水伊織「哭悲/THE SADNESS」
罪悪感から涙を流しながらも、残虐の限りを尽くす感染者たち
2023年1月27日 21:00 6
ホラーやゾンビをこよなく愛する著名人らにお薦め作品を紹介してもらうリレー連載「今宵も悪夢を」。集まった案内人たちは身の毛もよだつ恐怖、忍び寄るスリル、しびれるほどの刺激がちりばめられたホラー世界へ読者を誘っていく。
第34夜は
文
ホラーは時代の世相や人々の心の深層を反映する
世間は未だコロナ禍。皆良くも悪くも慣れてきたとはいえ、依然としてこのウィルスが根絶される気配は無い。
そんなコロナ禍が訪れてから一番注目されたパンデミック作品といえば、一時期話題にもなっていた、スティーヴン・ソダーバーグ監督「コンテイジョン」(2011)だろう。だが一番嫌なパンデミック作品は、ハーマン・ヤウ監督「エボラ・シンドローム/悪魔の殺人ウィルス」(1996)に違いないと私は確信していた。なんてったって、怪優アンソニー・ウォン演じるクソ野郎がエボラウィルスに感染するも、抗体のおかげで気づかないまま人間細菌兵器となって人々を蹂躙しまくるエグエグな作品。これを上回るものはなかろうと思っていたのだ。
しかし2022年夏、「哭悲/THE SADNESS」という世にも恐ろしいウィルス映画が日本に上陸してしまった。
台湾ではアルヴィンというウィルスが長く流行しているが、感染しても風邪のような軽微な症状しか出ないため人々は慣れてしまっていた。
しかしある日アルヴィンは、感染すると欲求を抑えきれず狂暴化する危険なウィルスへと変異を遂げる。
再会するため互いを探す恋人たち、カイティンとジュンジョーも、残虐行為を重ねる人々に巻き込まれてしまう。
架空のウィルスを取り扱うパンデミック作品では、感染者はゾンビのように変貌したり、元の意識を失ったりしていることが多いように思う。そうしておけば感染者と対峙した際にも、「こいつはもうダメだ」という免罪符の下、遠慮なくブッ殺れるというもの。人間の罪悪感を払拭してくれる優しさだ。
けれど「哭悲/THE SADNESS」は違う。アルヴィンに感染した者たちは本人の意識を手放しておらず、見た目も人間らしいまま。何なら本人も「こんなことしたくないのに~!」と涙を流しながら残虐の限りを尽くす。
台湾で実際にあった事件に着想を得たという地下鉄のシーンでは、感染者の男が泣きながら乗客をめった刺しにしてゆく。男はやがて乗客たちに取り押さえられるが、一瞬の内に車内は血まみれの地獄絵図に。さらにその男に続いて暴れ出す感染者たち。
ふくらはぎを噛みちぎり、男女構わずのレイプが始まり……。その様子を、私たちも主人公・カイティンと一緒に呆然と見るしかない。ぬるぬるとして、逃げようにも滑りそうなほど血に濡れた床、座席に身を寄せ合う乗客たち。このシーン、少し前に日本の電車内で起きた事件を思い出しゾッとした。
同じ残虐さを持った作品でも、本作が「エボラ・シンドローム/悪魔の殺人ウィルス」と違うのはそこだ。アンソニー・ウォンの芝居によるコミカルさもなく、ゾンビのような怪物との戦いでもない。そこに少なからず“リアル”があるから恐ろしい。
道端に散らかった臓物も血まみれセックスも顔面溶解も有刺鉄線股間刺しも、ゴア描写は本作において舞台装置でしかない。「哭悲」の恐ろしいところは、エンタメに昇華されていない、真に迫る暴力の描写なのだ。
欲求に忠実に動く感染者たちは、目的のためなら人を人とも思わない。「女を犯したい」という願望に残虐な思いが乗っかった結果生まれた、眼窩に陰茎をぶち込むインモラルレイプシーンには、さすがに丹田のあたりがぎゅっとなってしまう。
そんな“本気の暴力”を、画面を介してとはいえ2時間近く浴びることとなるのだ。ゴア好きの私でさえ、見終わる頃には心が疲弊していた。
知り合いなどに「『哭悲』気になってるんだけど、どうだった?」と訊かれるたび、「がっつり暴力を食らうから苦手ならおススメはしないよ」と答えてしまうのは、本気のアドバイスだ。
ではなぜ私はこうして「哭悲」を取り上げるのか。それは単なる恐怖の面白さのみならず、何か得るものがあるのではないかと思うからだ。
国立映画アーカイブにて開催中の企画展「ポスターでみる映画史 Part 4 恐怖映画の世界」を観ると一目瞭然だが、ホラーはその時代の世相や人々の心の深層を反映するジャンルだ。これまで、未知のモンスター、サイコな人間など、時代によって様々な恐怖の対象が生まれてきた。
そして2020年以降は「ニューオーダー」(2020)や「NOPE/ノープ」(2022)のように、“人々の分断”の恐怖を描く作品が生まれた。さらにコロナウィルスという不自由を強いる強敵のもと、人々は不満や不安から不寛容を募らせ、他者への攻撃性も増したように感じる。この時代のホラーは、そんな我々の姿を反映しているのだ。
中でも「哭悲」は、最もストレートに個の人間の姿を描き出している。そこが興味深くもあり、反面教師にしなくては、という社会派な側面も感じられる。
ニッチなジャンル映画として扱われがちなホラー映画だが、恐怖という感情は人間の持つ防衛本能の働きだ。今一度恐怖と対峙することで、この先私たちがどう生きるべきなのかヒントを探ろうではないか。
野水伊織(ノミズイオリ)
北海道出身、声優。2009年放送のアニメ「そらのおとしもの」で本格的に声優としてのキャリアをスタートさせ、以降テレビアニメ「デート・ア・ライブ」「ムヒョとロージーの魔法律相談事務所」、ゲーム「艦隊これくしょん-艦これ-」に参加している。現在は配信番組「まろに☆え~るのYouTube LIVE」に出演中。
「哭悲/THE SADNESS」(2021年製作)
本作の舞台は、風邪のような軽微な症状が出るだけという謎の感染症“アルヴィン”が流行っている台湾。しかしウイルスは突然変異し、感染した人間の凶暴性を助長するように。感染者は罪悪感に涙を流しながらも、衝動を抑えられず残虐な行為に走る。そんな世界で1組の男女が生きて再会しようとするのだが……。
「哭悲/THE SADNESS」Blu-ray / DVD販売中
税込価格:Blu-ray 豪華版 6380円 / DVD 4290円
発売元:クロックワークス
販売元:ハピネット・メディアマーケティング
※「哭悲/THE SADNESS」はR18+指定作品
バックナンバー
野水伊織のほかの記事
リンク
関連商品
野水伊織 @nomizuiori
リレーコラム、更新されました!
やっぱりこちらに触れないわけにはと思い書きました✌️
選者 / 野水伊織「哭悲/THE SADNESS」 | ホラーを語るリレー連載「今宵も悪夢を」 第34夜 https://t.co/teTjBn7EQO