新連載「国境を越えて活躍する日本人」がスタート! 本連載では、独自の武器を持って海外の現場で闘う俳優たちを取り上げていく。
第1回では、「
文
真田広之、活躍の軌跡
1966年:下沢広之名義で「
1978年:学業への専念を経て、「
1980年:「
1981年:「魔界転生」「
1982年:「魔界転生」で日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞。香港映画「
1984年:「
1993年:ドラマ「高校教師」に出演。
1994年:「
1996年:「
1999年:イギリスのロイヤル・シェイクスピア・カンパニー公演「リア王」に出演し、全編英語のセリフに挑戦。
2003年:「
2006年:「
2007年:「
2013年:「
2018年:ドラマ「ウエストワールド」シーズン2にゲスト出演。
2019年:「
2021年:「モータルコンバット」やNetflix映画「アーミー・オブ・ザ・デッド」に出演。ジョニー・デップ主演作「
コンバットRECが語る真田広之
「肉体は俳優の言葉だ」を理念とするJAC
真田広之について考えるということは、JACについて考えるということである。
JACとは、正式名称ジャパンアクションクラブ。若い方には現在のジャパンアクションエンタープライズ(JAE)と言ったほうがピンとくるかもしれない。俳優の千葉真一が、世界に通用するアクション俳優およびスタントマンを育成・輩出するため、1970年に創設した虎の穴的な機関である。JACの設立理由や目的に関しては、創設者の千葉自身、そのときそのときで微妙に言うことが変わったり、時代が変わるにつれ内容がアップデートされたりするのだが、どれが不正解ということはなく、創設者である千葉本人が言うのだから全部正解である。文字数に限りもあるので、とりあえずここでは上記の説明に留めて話を進めることにする。真田広之がJACに在籍したのは13歳から28歳までのおよそ16年間。真田の俳優としての基礎はここで形成されたと考えて差し支えないだろう。
JACが誕生した1970年、千葉真一は視聴率30%を超える人気ドラマ「キイハンター」で、すでにアクションスターとして国民的人気を獲得していたが、当時の日本映画界では、「アクション俳優は二流」という価値観がまだまだ支配的だった。俳優の梅宮辰夫は、晩年にバラエティ番組で千葉と共演した際、「当時、俺たちはおまえのやっているアレは芝居じゃなくてサーカスだと言ってたんだよ」と語っている。テレビで観ていて(なにも本人の前でわざわざそんな酷いことを言わなくても……)と思ったが、のちに伝え聞いたところでは本人のいない場所では「千葉真一は本物だよ」と褒めたりもしていたそうなので、梅宮辰夫らしいと言えばらしい話ではある。現代の話はさておき、ハードスケジュールの中、連日命懸けの撮影に挑んでいた「キイハンター」当時の千葉が、アクション俳優を蔑視する日本映画界の風潮に、誇りを傷付けられ悔しさを募らせていたことは想像に難くない。JACの歴史はこうした偏見との闘いの歴史でもあったのだ。
JAC創設にあたり、千葉は盟友であり最大の理解者でもある映画監督・深作欣二の「肉体は俳優の言葉だ」という発言を理念として掲げた。演技とは表情や台詞だけでするものではなく五体を使って表現するものであり、監督にいつ何を要求されても己の肉体で表現できる準備をしている者こそが本物の役者である。飛んだり跳ねたりすることがアクションではない。アクションとは演技そのものを指す言葉なのだ。当時から現在に至るまで、千葉は繰り返しそう語っている。そしてその信念を弟子たちにも叩き込んだ。
「広之は僕の分身」、千葉真一が託した思い
1960年生まれの真田広之は、5歳で劇団ひまわりに入団し、1966年にスクリーンデビューを飾っている。本名の下澤廣之を新字体表記にした「下沢広之」名義で出演したデビュー作は東映映画「浪曲子守唄」。主演はのちに師となる千葉真一である。子守唄シリーズはヒットを記録し、2年間で3作品が制作された。千葉はその頃から下沢少年の勘のよさと身体能力の高さを見抜いて大いに可愛がり、1968年には「千葉真一と下沢広之」名義で歳の離れた兄弟の愛情を歌ったシングル「握手をしよう」をリリースしている。下沢少年はその後も子役として順調にキャリアを重ねる中で撮影現場の楽しさに魅了されていったが、「子役上がりは大成しない」というジンクスを心配した両親から相談を受けた千葉に「高校を卒業したら思う存分やらせてあげるから、一度仕事を休みなさい」と命じられる。正確な時期についてはハッキリしていないが、真田本人の証言から推察するに小学校高学年の出来事だと思われる。
芸能活動を休止した下沢少年は中学に進学すると剣道部に入部、普通の学生生活を送る傍らで、大久保のスポーツ会館で行われているJACの稽古にはちょくちょく顔を出し続けていたという。そんなある日、部活から帰ると1本の電話が鳴った。「おい、まだやる気があるなら冬の合宿から来ないか」。待ちに待った千葉真一からの入団許可である。こうして1973年冬、下沢少年は13歳でJACの最年少メンバーとなった。当時の下沢少年について、創設1年目からのJACメンバーである蒲原敏明はこう語っている。
「広之にしろ志穂美(悦子)にしろ、いっさい特別扱いはしなかった。あの2人は普通の研究生の倍くらい練習した」。
13歳の少年が成人男性と同じトレーニングメニューをこなすばかりでなく、さらに倍の練習をしていたという事実には驚くしかないが、真田本人は当時を振り返って、「練習はキツかったけどその苦しみが楽しみでもあった。大人と同じ扱いをしてもらえるうれしさのほうがはるかに勝っていた」とまったく悲愴感を感じさせないコメントを残している。週6日間あるJACの稽古から自宅に帰ると23時を越えていたと言うから、自分を律して物事に打ち込む能力が幼少時より高かったのだろう。どう考えても普通の13歳ではない。
また時を同じくして母の勧めにより日本舞踊の玉川流に入門。JAC入団後は千葉真一主演作品に時折出演する程度でセーブしながら仕事をしていたが、高校入学以降は完全に休業する。中学から高校のこの時期、下沢少年は剣道、日本舞踊、JACの稽古に明け暮れ、時代劇に必要な素養を着実に身に付けていった。
1978年、東映が威信を賭けて時代劇復興を目指した超大作「柳生一族の陰謀」のオーディションに合格したことをきっかけに下沢少年は芸能活動を本格的に再開、千葉真一の「真」と千葉の本名である前田禎穂の「田」を組み合わせて「真田広之」と芸名を改めた。再デビュー後は、映画、テレビ時代劇、特撮番組などに数多く出演し知名度と実力を急速に高め、1980年の「忍者武芸帖・百地三太夫」で映画初主演と歌手デビューを果たした。真田広之を次世代のスターとして売り出したい東映は、この頃から「ヒロユキ」という呼称を使用するようになる。初主演作公開に当たって師匠の千葉真一は「僕はアクションが好きで、俳優として東映に入社したときから本格的なアクション映画を創りたいと念じていた。だがそれが果たせないままに年月が流れ、ようやく機会が訪れたとき、体は若い頃のようにどうしても動けない……果たせなかった夢を広之で果たしたい。広之は僕の分身なんです」とコメントしている。まるで果たせなかった自分の夢を息子の星飛雄馬に託した星一徹のようである。出会いから15年の月日が経過し、千葉と真田の関係は単なる師弟を超えた特別なものになっていた。
アイドル俳優としての躍進、そして演技派へ
翌1981年は大ブレイクの年となる。要因はいくつか考えられるが、1980年代に入りアイドルブームが訪れたことの影響は大きいだろう。真田広之フィーバーは、まず最初に少女向けティーン誌から火がついた。ほどなくして角川の大作映画「魔界転生」で沢田研二とのキスシーンで日本中の注目を集め、ジャッキー・チェンブームの高まりから主演カラテ映画「吼えろ鉄拳」が大ヒットし男性ファン人気も爆発。暮れに公開された主演第3作「燃える勇者」は薬師丸ひろ子主演の話題作「
真田がアイドル俳優としてブレイクした影響で、母体であるJACもこの時期、急速にアイドル集団としての色彩を帯びていく。次々と若手がレコードデビューを果たし、公式ファンクラブが設立され、頻繁にファン参加イベントが開催される。事業欲旺盛な千葉はアパレルブランド「JAC BROTHERS」を立ち上げ、即売会では千葉、志穂美、真田といったトップスター自らが売り子となった。入団テストには真田広之に憧れる若者が殺到し、太秦には関西の拠点、千葉道場が開設された。真田広之を旗頭にして、JACブームとも言える状況が全国に広がっていった。
一躍、トップスターとなった真田はまさに時の人であった。翌年以降も、映画、ドラマ、舞台、ラジオ、コンサート、CM出演とスケジュールは多忙を極めた。深作欣二、鈴木則文、岡田茂、日下部五朗、角川春樹といった映画人に愛され、日本映画界の期待と師匠・千葉真一の夢を背負ってアクション映画のみならず、大作映画や文芸作品の主演を重ねていく。中でも1984年公開の「麻雀放浪記」は、アイドル俳優から演技派への転身を感じさせるターニングポイントとも言える一作であった。
時代が生かしきれなかった才能
真田が順調に俳優として成長、躍進を続ける一方で、1980年代も後半に差し掛かる頃には、時代劇人気の低下、アイドルブームの終焉、カンフーブームの収束といった複数の要因が重なり、JACの勢いは完全に失速していた。その頃のJACは、「狭義の意味でのアクション」ではなく、千葉が提唱する「演技という意味でのアクション」を追求する真田に対し、相応しい舞台を用意することができなくなっていたのである。1989年、真田はさらに幅広い演技を追求するため個人事務所「ザ・リブラインターナショナル」を設立し、16年間在籍したJACを去った。出会いから23年目の親離れである。そして2年後の1991年、千葉はJACを日光江戸村に売却し、拠点をLAに移す。それから約30年間、ファンの目に映るところで2人の交流はない。
1990年代の真田広之は、アクション作品にこだわらず幅広い作品に出演している。テレビでは大河ドラマ「太平記」、「高校教師」、映画では「
60歳、「モータルコンバット」で見せた“俳優の完成形”
大きな転機となったのは1999年、イギリスのロイヤル・シェイクスピア・カンパニー公演「リア王」(蜷川幸雄演出)に唯一の日本人キャストとして出演したことだろう。真田曰く「歌舞伎に1人だけ外国人が混ざっているようなもの」という異例の事態だったが、演技力と文化交流の架け橋としての功績を評価され、エリザベス女王より名誉大英帝国勲章第5位を授与されている。また、アカデミー外国語映画賞にもノミネートされた「たそがれ清兵衛」(2002年)、「ラスト サムライ」(2003年)などで海外からの称賛を集め、「亡国のイージス」(2005年)以降は完全に海外での活動にシフトするため、LAに移住した。同じくLA在住の千葉真一とバッタリ遭遇することもあるのではないか? 会わないほうが難しいのではないか? といった想像も膨らむところだが、残念ながらそうしたエピソードは一向に伝わってこない。
海外に主戦場を移してからのキャリアについては「ラッシュアワー3」、「ウルヴァリン:SAMURAI」、「47RONIN」といった大作のメインキャストもあれば、一瞬しか登場しない謎の日本人役もあり、いったいどういう基準で出演作を選んでいるのかよくわからないというか、正直困惑することも多かったのだが、最新作「モータルコンバット」(2021年)はLA移住以降の最高点を叩き出してくれた。伝え聞くところによると出演オファーに関してはすべて本人が熟考を重ねて判断しているとのことなので、本人の中では明確な判断基準が存在するのだと思われる。その判断を積み重ねた結果、「モータルコンバット」のスコーピオン / ハサシ・ハンゾウ役にたどり着き、シェイクスピア俳優のフェイタリティ(残虐トドメ技)という奇跡を拝めたのだから、これまでの選択はすべて正解だったのだろう。
この原稿は1本ずつの作品はあまり深掘りせず、キャリア全体をざっと振り返る形でまとめようと思っていたのだが、担当氏に「モータルコンバット」の感想も少しは書いてくださいよ!とリクエストされたのでもう少し続けることにする。個人的に「モータルコンバット」の何に感動したかと言えば、リミッターを外して「狭義の意味でのアクション」をフルスロットルで演じる真田広之を久しぶりに観られたことである。海外作品では何かしらモヤモヤする要素がつきまといがちだったので、ここまで純度の高いアクションを観ることができたのは30数年ぶりかもしれない。いつ何を要求されても己の肉体で表現できる準備をしておく。アクションを要求されたらいつでもアクションを演じられるよう、常に刀を研いでおく。それこそがJACの、千葉真一の教えである。真田広之がその教えを今でも忠実に守っている姿を見れたことが何よりも嬉しい。師匠・千葉真一とは30年前に袂を分かったが、師の教えはいまでも胸に抱き続けていたのだ。
千葉真一は「モータルコンバット」を観ただろうか。60歳になった今も「肉体は俳優の言葉だ」というJACの理念を完璧に体現している弟子の姿を見て何を思うだろうか。「世界で通用する俳優を育てたい」という夢を実現した弟子の姿を見て何を思うだろうか。あの頃のJACはもうなくなってしまったけれど、千葉真一が夢見た「俳優の完成形」は、真田広之という形で今も存在している。
真田広之出演の注目作品
「モータルコンバット」
6月18日に公開された人気格闘ゲームの映画化作品。サイモン・マッコイドが監督を務め、ジェームズ・ワンが製作を担当した。劇中では、太古より繰り広げられてきた格闘トーナメント“モータルコンバット”と、その戦士たちを描き出す。真田は、ゲームファンにとってはモータルコンバットを代表する存在である、白井流の伝説の忍者ハサシ・ハンゾウ / スコーピオンを演じた。
「MINAMATAーミナマター」
ウィリアム・ユージン・スミスとアイリーン・美緒子・スミスが1975年に発表し、水俣病の存在を世界に知らしめた写真集「MINAMATA」をもとにした映画。ジョニー・デップが、水俣で人々の日常や抗議運動を撮影する主人公・ユージンに扮した。真田は、有害物質を海に流していたチッソ工場に補償を求める活動のリーダーを演じている。9月23日に全国公開。
「John Wick: Chapter 4(原題)」
チャド・スタエルスキが監督を務めるシリーズ第4作。キアヌ・リーヴス演じる元殺し屋ジョン・ウィックの戦いを映し出す。真田の役どころは明らかになっていないが、ドニー・イェンの出演も発表されているほか、日本生まれのリナ・サワヤマや元力士の田代良徳もキャストに名を連ねる。2022年5月27日にアメリカで公開。
バックナンバー
- 第7回 森博之:トニー・レオン、ワン・イーボーとともに映画「無名」で存在感を発揮、母国で「外人」と呼ばれた経験から得たもの
- 第6回 星まり子:トンネルの先に見えた光を目指して──ドリームワークスを経て現在はピクサーで活躍するアニメーターの半生
- 第5回 大島遥:オリンピックを目指していた少女が、のちにスタントパフォーマーとしてイギリスへ渡り、「ワイスピ」「007」に参加するまで
- 第4回 藤本ルナ:「続けていればつらいことも通過点にすぎない」13歳で女優になるため単身アメリカに渡り、挑戦し続ける原動力に迫る
- 第3回 吉原若菜:「チャレンジだった」ヘアメイクへの道、「ベルファスト」の現場裏話も
- 第2回 奈良橋陽子(後編):MIYAVIや菊地凛子のキャスティング秘話、さらなる夢も語る「映画を作りたい」
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