アニメスタジオクロニクル No.1 J.C.STAFF 宮田知行

アニメスタジオクロニクル No.1 [バックナンバー]

J.C.STAFF 宮田知行(代表取締役会長)

「少女革命ウテナ」が変えた会社の命運

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会社の基礎作りをしながら、プロデューサーとして精力的に活動

その後、程なくして宮田氏はキティ・フィルムを退社しJ.C.STAFFを設立する。

「『街メル』のあとに『軽井沢シンドローム』『What's Michael?』と手がけ、キティを退社しました。きっかけはキティ本社からの『スタジオを閉鎖し宮田だけ渋谷の本社に戻れ』という通達です。キティ・フィルムのアニメ部門は作品プロデュース機能だけがあればよく、スタジオなどの製造部門はぴえろ、ディーン、マジックバスといった外部に委託すればよいという考え方でした。確かに三鷹スタジオは赤字も貯まりつつあったので当然の判断ではあったんですが、どうしても企画から制作フィニッシュまでの一貫した体制で作品制作をしたいという夢を捨てられなかった。それでたくさんのチャンスを頂いた多賀さんにお詫びしつつ、J.C.STAFFを1986年1月に設立しました。36歳でした。

J.C.STAFFとしての初作品は1987年の『エルフ17』でした。白泉社から刊行された、山本貴嗣さんによる少年マンガが原作です。これと並行して『妖刀伝』の第1巻の制作を手伝っていましたが、そこでの働きを認められて第2巻からはJC制作となります。この作品をきっかけに山崎理くん、大貫健一くん、大張正己くん、西井正典くんといった若手が集結したクリエイター集団・南町奉行所と連携するようになり、彼らが作る『暗黒神伝承 武神』をプロデュースしました。続いてスタジオライブと連携して、芦田豊雄さんが監督、鳥山明さんがキャラクターデザイン・脚本で制作したのが『小助さま 力丸さま コンペイ島の竜』。芦田さんとは『超幕末少年世紀タカマル』を形にしました。続いてJC完全オリジナルの『幻想叙譚エルシア』、夢枕獏さん原作の『ねこひきのオルオラネ』と続き、OVA制作会社の基礎を確立したと思います。

この頃は社長として会社の基礎作りをしながら、プロデューサーとして充実した時代でした。スタジオの事務室の一角をパーテーションで仕切り、ベッドと簡単なクローゼットを置き、そこに寝泊まりしながらがんばっていました」

しかし1990年前後から、アニメを取り巻く状況が変化する。OVAブームの衰退、そして深夜アニメが始まる。そんな中、1994年にはJ.C.STAFFが初のTVシリーズとして制作した『メタルファイター♥MIKU』が放送された。

「メタルファイター♥MIKU」ビジュアル (c)日本ビクター・テレビ東京

「メタルファイター♥MIKU」ビジュアル (c)日本ビクター・テレビ東京

「日本ビクターと組んで、当時人気を集めていた女子プロレスを題材にした女の子版スポコン成長物語でした。監督に、今ではトップランカーですが若手演出として目立ち始めていた新房昭之くんを起用し、我々にとってのTVシリーズデビューでしたが、あまり注目を引けませんでした」

最大のターニングポイント「ウテナ」でやめた作品プロデューサー

その後も劇場作品「ダークサイドブルース」やOVA「アルスラーン戦記」、劇場作品「スレイヤーズ」、TVシリーズ「MAZE☆爆熱時空」などが制作されたのち、1997年に宮田氏がターニングポイントとして挙げる作品の放送が始まる。現在も根強い人気を誇る「少女革命ウテナ」だ。それは会社の運命だけでなく、宮田氏のプロデューサー人生にも大きな影響を与えた。

「それまでの作品もそれぞれに評価はされていましたが、『少女革命ウテナ』で業界やアニメファンの評価がまったく変わりました。『ウテナ』の企画の立ち上げは『美少女戦士セーラームーン』シリーズディレクターの幾原邦彦氏とキングレコードプロデューサーの大月俊倫氏で、JCサイドの担当者は当時入社5年目だった松倉友二(現執行役員制作本部長)でした。その頃僕は『MAZE☆爆熱時空』『それゆけ!宇宙戦艦ヤマモト・ヨーコ』『スレイヤーズ』などで忙しかったこともあり、のちにJ.C.STAFFのエポック的な作品になる『ウテナ』は残念ながら具体的にはノータッチでした(笑)。

「少女革命ウテナ」ビジュアル (c)ビーパパス・さいとうちほ/小学館・少革委員会・テレビ東京

「少女革命ウテナ」ビジュアル (c)ビーパパス・さいとうちほ/小学館・少革委員会・テレビ東京

そのときはJCの設立11年目で、プレイイングマネージャーとして経営も作品作りも先頭で突っ走ってきたのですが、50歳を過ぎて『MAZE☆爆熱時空』を最後に作品制作から完全に離れました。作品内容にまったくタッチしなかった『ウテナ』が注目されたことがターニングポイントという面もありましたが、たまたまこの時期にアニメプロデュース界……特にメーカーやTV局、出版社、レコード会社など最前線の担当が世代交代した時期だったことも大きな要因でした。

竜の子入社から作品まみれで過ごしてきた21年。いざノータッチになったらかなり堪えました。アニメ界にピリオドを打とうとさえ考えたりしました。そんなときに思い出したのが創立理念の第一条『安定した経営基盤を築き、長期にわたり存続、発展を続け、社員に安心を保証し、未来を担保すること』。そして考えたんです。はたしてここで放り出していいのだろうか。それなりにスタジオ作りはやってきたが、まだまだ道半ばではないのか。それを推進するのが自分の役ではないのか。自分以外に推進できる者がいるのだろうかなどなど……。

そうして“アニメ制作会社作り”もクリエイティブな物作りだと気付いたんです。作品作りのプロデューサーは廃業したが、アニメ制作会社を作品と捉え、そのプロデュースをやっていこう。しかもこの作品は毎年毎年リテイクしながらやっていけると考え、クリエイター魂が甦りました。そして『J.C.STAFF(ジャパン・クリエイティブ・スタッフ)という社名が示す通り、クオリティーと面白さを全力で追求し、満足と感動を与えられる作品を発信し続けること』という創立理念の第二条をより強化するため、新たな指針として、以下のようなグランドデザインを発表しました」

J.C.STAFFのスタジオ指針。

J.C.STAFFのスタジオ指針。

①制作プロダクションとして在り続けること。
アニメ制作に必要な全工程を社内に有した制作体制を構築し、ジャンルに捉われず数多くの作品を制作するキャパシティーを持ち、且つ高いクオリティーを維持し、プロダクションとしての評価を高めてゆくこと。

②コンプライアンス等の企業責任の確立。
正社員制を維持し、労働環境の改善やセーフティーネットの向上に務め、法令を遵守し、一企業として社会的責任を果たす。

こうして“アニメ制作会社のプロデューサー”に専念することになった宮田氏の手により、J.C.STAFFが創業当初から進めてきた経営基盤の安定は、より強固なものとなっていった。

JCの目指すところはやはり安定と継続

「一般に元請けプロダクションは作画、背景、撮影などの製造部門は個人や会社を問わず外注し、下請けとの良好な発注・受注関係を構築して成り立ってきました。しかしJCでは創業まもなくから正社員制を敷き、制作部から始まり、会社の発展とともに動画部、仕上部、原画部、美術部などを作っていったんです。そして当時はアナログ撮影だったため大変な設備投資が必要でしたが、念願の撮影部をスタートさせたのが1993年のこと。これで現像所を除く、アニメ制作に必要なほとんどの工程を自社内で賄えることになり、作品制作の安定性に繋がりました。

そして会社の経営に専念することになり、会社のさらなる発展のために発表したグランドデザイン1を確立していくため、全セクションの再構築を始めたんです。まずキャパシティを増やすためにアニメ制作会社ではほとんどなかった会社説明会を始めました。JCの目指すところ、つまり創立理念やグランドデザインを丁寧に話すとともに、まだそれに行きついていないJCの現状と各部署のリアルな仕事内容を正直に伝えることにしました。入社希望者が持つ漠然とした憧れや夢、希望と、実際の仕事とのミスマッチを避けるためです。併せて、グランドデザイン2のコンプライアンスと社員のセーフティネットの向上を一歩ずつ進めていきました。これらによって入社志望者が確実に増え、退職者の割合が確実に減りました。

次に各部署をチェック・点検し、スキルアップとキャパシティ増強を図るためにさまざまな改善案を考え、トライアンドエラーを繰り返しながら改革していきました。その辺はまた機会があればお話します。いずれにしても一朝一夕でできることではなく、部署ごとに3年計画、5年計画を立てて進めていく長丁場でした。作品プロデュースと同じくらいに全集中し、こつこつ進めて今のレベルにするのに15年くらいかかったかなあ。自分で言うのもなんですが、簡単には真似できないと思います。2004年には3DCG部とデザイン部門を立ち上げ、今、育てている段階です。そして現在も全部署でリテイク、改革、改善は進めていますが、結果として撮影部はJC作品を全部撮れるようになり、制作ラインが5ラインになるなどプロダクションとしてのベースが強化されました」

宮田知行

宮田知行

最後に、アニメ制作会社のプロデューサーに専念し、20年以上経った宮田氏に今後のJ.C.STAFFの目指す姿を聞いた。

「『グランドデザイン』の1にあるように『制作プロダクションとして在り続けること』です。作品を作りたくて作った会社です。たとえプロデュース方法が変わったとしても流通の仕方が変化しても制作部分が原点であり、ここは変わらない。JCは最初からずっと、そして未来もアニメ制作集団でありたいと思っています。

そのために、制作部スタッフは、プロデューサーを中心に『面白かった』『ワクワク、ドキドキした』『感動した』『素敵な話だった』『画面がきれいだった』といった反響が来るよう懸命にスタッフをリードして作品を作ること。社内マネジメント担当者は制作部、作画部、美術部、仕上部、撮影部、CG部など各部署のスキルアップとキャパシティの増強を図り、単独でも自立できるような力を付けること。総務系はモラルやルールの徹底を図るとともに、健康診断や予防接種、衛生委員会など社員の心身の健全を守るために全力を尽くすこと。経営陣は社員に失望されないように身を正すこと。ミスリードしないように細心の注意力と洞察力、指導力をもって運営にあたること。これらを一生懸命やり続けることで今日まで来ました。これからもさらに精度を上げて頑張っていくだけです。今日はありがとうございました」

宮田知行(ミヤタトモユキ)

1950年6月27日生まれ、東京都出身。J.C.STAFF代表取締役会長。1976年4月に竜の子プロダクション(現タツノコプロ)に入社し、企画文芸部へ配属される。3年後、プロデューサーに転身。1982年に竜の子プロダクションを退職後、キティ・フィルムを経て1986年にJ.C.STAFFを設立する。社長兼プロデューサーとして様々な作品を制作したのち、2000年に経営に専念するために代表取締役会長に就任した。

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