![アニメスタジオクロニクル Vol.20 スタジオディーン 池田愼一郎](https://ogre.natalie.mu/media/news/comic/2025/0115/comic_anime-chronicle_title20.jpg?impolicy=hq&imwidth=730&imdensity=1)
アニメスタジオクロニクル No.20 [バックナンバー]
スタジオディーン 池田愼一郎(スタジオディーン代表取締役 / イマ・グループ代表取締役会長兼CEO)
50周年、やっぱり何か新しいことをやりたい
2025年2月10日 15:00 9
アニメ制作会社の社長やスタッフに、自社の歴史やこれまで手がけてきた作品について語ってもらう連載「アニメスタジオクロニクル」。多くの制作会社がひしめく現在のアニメ業界で、各社がどんな意図のもとで誕生し、いかにして独自性を磨いてきたのか。会社を代表する人物に、自身の経験とともに社の歴史を振り返ってもらうことで、各社の個性や強み、特色などに迫る。
第20回には、スタジオディーン代表取締役・池田愼一郎氏が登場。1975年に設立され、2025年に50周年を迎えるスタジオディーンは、1984年に公開された劇場版「
取材・
「ビューティフル・ドリーマー」でアニメ制作会社に
日本サンライズから独立した長谷川洋氏によってスタジオディーンが設立されたのは1975年3月のこと。当時はアニメ制作に仕上げとして参加しており、最初に手がけた「勇者ライディーン」にちなんでスタジオディーンという社名になったという。
「スタジオディーンにとって大きな転機となったのは、1984年公開の劇場版『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』をメインで作らせていただいたことでしょうね。立ち上げから仕上げだけしていたけど、これがきっかけとなってアニメ業界内で名が通るようになり、アニメ制作会社としての活動を本格化した。次第に元請としてアニメ制作をするようになったと聞いています。それから多数のアニメを制作し続け、今では幅広いジャンルを手がけるようになりました」
終始、明るい口調でインタビューに応じてくれた池田氏だが、実はなかなかの剛腕経営者だ。1990年代初頭に始まったのちのイマ・グループ(当時バンジハンエース)の業務はカプセルトイのオペレーションがメインだったが、それからトレーディングカードや雑貨、ホビーの企画や流通など幅広いキャラクターグッズを扱うようになる。現在は全国にカプセルトイの販売機を14万台設置し、ひと月あたり8000アイテムを展開する大企業だ。
そんな池田氏がスタジオディーンの子会社化に本格的に乗り出したのは2008年のことだった。
「イマ・グループはさまざまなキャラクターグッズを扱っていて、そのキャラクターの原点となるのは多くの場合アニメです。だからアニメ制作会社をM&A(合併・買収)するのはグループにとって重要なことでした。ただ重要とはいえ相手があることなので運も必要だし、グループとしてシナジーを生み出せないと意味がありません。
しかし2008年9月15日にリーマンショックが起きてしまった。グループにもアニメ業界にもどんな影響が出るかわからない。一旦ペンディングさせてもらいました。でもリーマンショックから3カ月ほど経ってアニメ業界には大きな影響もなかったし、自分も本腰を入れて話し合いを進め、その年にM&Aが成立しました」
「売上が下がってもいい、早く帰ろう」
子会社化後、スタジオディーンの代表取締役社長に就任した池田。そこで彼はアニメ業界の慣習に立ち向かうことになる。
「前オーナーと引き継ぎの打ち合わせをしている中で、会社の様子を知るには何時頃に行けばいいか聞いたんですよ。すると『夜の1時から3時頃はどうでしょう? それくらいの時間が一番優秀な連中が活気を持ってやってるので』って。それを聞いて、まずそんな慣習をなくそうと思ったわけ。それに、スタジオディーンが過去最高の売り上げを上げたとき、社内は疲弊しているようでした。そんな状況が続いていたから7、8年前に『うちは18時で帰ろう』と提案しました」
しかしこの池田の“当たり前”とも言える提案は先送りとなってしまう。
「幹部たちから猛反発がありました。『それでは仕事になりません。納期が遅れてTV局に映像を出せなくなり、会社は潰れます』と言われて一度は断念しました。現場の意見って大事だしね。それでイマ・グループの本体側だけ仕事は18時まで、残りの仕事は次の日にすることにしました。
ただ当時のスタジオディーンの幹部たちが心配していたのは売上が下がることなんですよね。そりゃあ『売上を伸ばしながら早く帰れ』なんて無理ですよ、俺だってできない。だから『売上が下がってもいいから早く帰る』という方針にしました。おかげで、19時ぴったりに終わるかというとそうでもないけど、かなり早く帰るようになってきています。
もちろん売上は導入から2~3年後まで下がりました。ただそのあとに上がり始めたんです。これは脳が慣れてきたんですよ。9時に出社して23時までやるとなったら、誰だって自分のスタミナ配分を考えて午前中はいい加減になります。でも19時に帰るとなれば朝から3時間やって1時間休んで残りもフルでがんばる。最近ようやくそういう習慣が根付いて、うまく機能するようになってきました。
俺は社員が残業して黒字になるようなのは経営ではないと思っています。社員が普通にやって儲からないなんて駄目。それで企業として利益を出し、きちんと給料を払うというのが経営者の役目ですよ」
企画会議には出ない
このように池田氏のホワイト企業志向は強い。社員が伸び伸びした制作を行うためスタジオディーンの、特に作品内容についてはほぼ口出しをしないという。
「経営会議はもちろん出るけどそれ以外の企画会議などには出ないです。弊社の周囲に3つくらいあった売上300億円とかの会社は、社長の周りがイエスマンだらけになって、潰れていきました。70歳を超えたような社長が企画に口を出して若い子に押し付ける。それでできあがったものが“罪子”(在庫)になっていた。そういう状況を見ていたので、自分は20年以上前に企画会議にはもう出ないという方針にしました。当初は社員みんな焦っていましたけど、俺が出ないほうが社員のプレッシャーもないし、キャラクターのことは現場の人のほうが100倍も500倍も知っていますよ。それからイマ・グループは大きく伸びました。これはスタジオディーンでも同じです」
人によっては池田氏のスタンスはドライに映るかもしれない。しかしスタジオディーンというアニメ制作会社との距離感としては最適だったようだ。
「スタジオディーンの経営会議はほとんどネットで参加しています。理由は海外にいることが多いから。そこでは経営側の人しかいないから細かな話はします。それとスタジオディーンに月に1回は行ってPL(損益計算書)とBS(貸借対照表)くらいは見るけど。あとは現場の人とお昼ご飯に行って、『こんなの作るんです』とか『こんな依頼が来ました』って聞いて、『自慢できるようなやつを作ってね』って言うくらいで。
あ、ちなみに焼き肉屋では口出すよ。『焼き方が間違ってる!』とかね。それは指導するようにしているけど仕事では口を出しません。似たようなことはイマ・グループのどの会社にも言ってるけど『リスク管理は自分たち経営側がするから、とにかくいいアニメを作って』と。スタジオディーンの現場にはそんなふうなことをずっと言っているけど、結果、業績もいいんです」
2025年で50周年、やっぱり何か新しいことをやりたい
スタジオディーンを傘下に収めてから10年以上経った現在、親会社の代表として池田氏はどんなことを感じているのだろうか。
「まずいろんな会社と付き合う中で、イマ・グループに対して抱かれるイメージが全然変わりました。グループ内でアニメ制作をしている、しかもある程度名前が売れている作品を作っているというだけで全然待遇が違いますね。これは大きなアドバンテージになっています。特に海外では食事に誘われることがありますが、向こうは家族で来るんですよ。そこで子供がいると、アニメの話で会話もはずむ。そうすると親の心も掴めて『今度一緒に仕事しましょう』となる。そういうことがよくあります。
最近だとNetflixで配信された『伊藤潤二「マニアック」』なんかは評判がよくて、海外でも観たと言われてうれしかったなあ。あとは『美少女戦士セーラームーン』の映画も、どこに行っても知られている作品です。
そういったイメージ的な話以外にも、アニメ制作会社がグループ内にあるおかげで情報が入ってくるスピードが違います。どの作品がアニメになるかとか、キャラクターのトレンドとか。これは非常にグループとして助かっています」
他業種の会社と変わらない労働環境になったアニメ制作会社を抱えるイマ・グループ。このアドバンテージを得た同社は2020年代どのように活動していくか、最後に聞いてみた。
「これまでイマ・グループはキャラクターIPを中心にグループ会社が一律的にやってきましたが、今後はそれぞれ別々に動き出すようになると推測しています。アニメはアニメで日本ではすっかり文化として認められ、世界的にも絶好調だから世界に打って出るほうがいいでしょう。フィギュアも外国ですごく売れているので、どんどん海外に展開していきます。
一方でカプセルトイは中国にも進出していますが、すごく国内向けの産業になってきているんです。カプセルトイ自体は数百台規模の専門店ができていて、うちは今度大型店舗の展開を計画しています。また値段を見ると、一番売れているのは500円くらいのもので、最高で2500円までいっています。これはかつて少年向けだったカプセルトイが少子高齢化に対応して全年齢にターゲットを広げたからです。こんなふうに業界によって事情や状況が異なるから、無理に足並みを揃えるよりは各社が得意としていることを伸ばしていきたいです。
それとスタジオディーンは2025年で50周年を迎えます。イマ・グループが関わったのは2009年からだけど、これまでよくがんばって来られた。それに企業で50周年まで残るなんてかなり珍しいからそこには誇りがあります。だから、やっぱり来年は何か新しいことをやりたいよね」
池田愼一郎(イケダシンイチロウ)
東京都出身。1990年、株式会社バンジハンエース設立。2001年に株式会社ソルインターナショナル、2003年には株式会社イマ・グループを設立する。2009年、上海拓華貿易有限公司を設立し、国際的なビジネス展開を進める。2011年に株式会社スタジオディーン、2015年に株式会社アルファーを子会社化し、事業領域を広げる。
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荒川直人 @nao_arakawa
“2025年に50周年を迎えるスタジオディーンは、1984年に公開された劇場版「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」で制作スタジオとして一本立ち”って、そうだったのか! その後押井守監督はぴえろを離れ、ディーン制作で『天使のたまご』『トワイライトQ』『機動警察パトレイバー』を手がける。 https://t.co/55yYxayhNm